地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

動かなければはじまらない

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 よくこのコラム欄でも色々と問題定義をしてきていますが、大体にして理想はあれどもそう簡単に解決できるようなものは殆どありません。多くの問題は、それを問題たらしめる理由が複雑に絡み合っており、シンプルに理想をかかげたところで、それができれば苦労しないよね、というものが非常に多くあるのではないかと思います。このような状況に遭遇すれば遭遇するほどに、理想と現実の狭間に悩まされ解決のために行動するのをためらうようになるのではないでしょうか。

 この場所を含め、多くの記事や Blog・SNS などでは「こうすべき」という内容で色々な考え方や解決方法と思われる内容を記すことがあります。改善していくべきである、努力していくべきである、といったような文章はよく目にされていることと思います。当然考え方は人それぞれですので、その内容に賛同できることもあれば否定的に思えることもあるでしょう。またあまりにも理想的に感じ、現実感を伴っていないと感じることも多いのでは、と思います。そのような考え方の中でも、あまりに理想を前面に押し出してくる内容には結構苛立ちを感じたりはしないでしょうか。

 現実を知らない、と切り捨てるのは簡単です。執筆者と自分とではおかれている状況が違う、と思うのも簡単です。ですが本当にそれでいいのでしょうか。

 現実的な面ばかり気にすることで多くのできない事が生じます。何かを成そうとした場合、他に影響が出ないようなことはそれほどなく、ある程度以上の事を行う場合にはどこかかしらに影響が発生するものです。起きる影響ばかりに気を取られるあまり、本来行わなくてはならなかったことができないというのも、多くの人が経験されているかと思われます。私たちは一人で生き抜いているわけではないので、他人とは必ずどこかでつながりを持つ必要があります。そういった環境ですので、当然何かを行えば誰かに影響が出てしまうのです。そしてそれは決して良い影響だけではなく、悪い影響というのも大いに起りえます。

 このような悪い影響を懸念するあまり、現状を維持する事を最善と考えてしまうと、次の一手を打ち出させずに時代の流れから取り残されてしまうのではないでしょうか。このような状況に陥ると何もできなくなってしまうのですが、ここで考えてほしいのが重要なのは何か、という事です。

 重要なのは現状維持だ、というのであればそれは構わないと思います。考えた末に選んだ結論であるのならば、そこには何の問題もありません。しかし「どうせできないから」といった気持ちで現状維持を選択するのであれば、それは非常に問題です。すべての物事が必ず成し遂げられるというわけではありませんが、考えに考え抜くことで道が開けることは多くあります。色々な人に助けを求めることで状況が変化するということも多くあります。反対に行動を起こしたことで状況が悪化することもあります。ですが多くのことを考えた上での悪化と、あまり考えずに感情的に選択した上での悪化とでは天と地程の違いがそこにはあるのではないでしょうか。

 現実は非常に大事です。全ては現実ありきであり、現実なくして先の未来もありません。ですがあまりに現実を大事にしすぎて、後に続く未来を良くできないというのも考え物です。何も行動を起こさなければ、その先には先細った世界しかありえません。そう考えると、できるだけ後に良い結果を作り出せる行動を多く行っていく必要があるのではないでしょうか。

 色々と行き詰まりを感じることが多い昨今ですが、このあたりで一念発起し本当に大事だと思えることのために行動を起こしてみてはどうでしょうか。それこそが、これから自分たちの置かれる環境も含めて、よりよい方向へと進むことができるただ一つの方法だと考えます。

Comment(8)

コメント

ゲームにパソコンにスマフォにiPad!
最近の子供たちは昔の王子様より、格段に恵まれている。
今回のAfhさんのコラムは、いいとは思いません。
もうITは飽和してるんです。

先日、アジをさばいてみて、包丁が切れないから、セラミック包丁を買ってきたんですが、注意書きに刃が欠けるから骨付きの魚には使うなとのこと。
何がいいのかインターネットで検索したところ普通の包丁を砥石で研ぐのが一番よく切れるとのこと。昔とまったくかわってないものがたくさんあるんです。
風呂場の鏡を綺麗にするにはクエン酸を霧吹きで吹きかけるとか・・・・

「実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです」から三年近くたちました。結局、あそこでdisった人たちばフレームワーク技術の適用範囲をわからずに単にブーム乗せらていた、としかいいようがありません。

ITに限定せずに生活に根さした技術を考えていただきたいものです。はっきりいって、今回のAfhさんのコラムは脳なしの社長が社員に向かって「もうかるビジネスモデルを考えろ」といっているのと次元が同じで、がっかりしました。

επιστημη

>「実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです」から三年近くたちました。
> 結局、あそこでdisった人たちばフレームワーク技術の適用範囲をわからずに
> 単にブーム乗せらていた、としかいいようがありません。

3年前ならオブジェクト指向の"ブーム"はとっくに終わってんじゃないかしら。

>3年前ならオブジェクト指向の"ブーム"はとっくに終わってんじゃないかしら。

そうです。なんでOO信者が3年前熱狂的、盲信的であるかが、日本国民がかつて、全体主義、特攻隊で死ぬのが栄誉と信じられてきたくらい、不思議です。
Asai RyoさんのようなJAVAプログラマーはDIやスプリングなどの技術を自分が開発したわけでもないのに、偉そうに語っていた。それが3年前です。

επιστημη

> そうです。なんでOO信者が3年前熱狂的、盲信的であるかが、
> 日本国民がかつて、全体主義、特攻隊で死ぬのが栄誉と信じられてきたくらい、
> 不思議です。

ブームが去って"廃れた"にもかかわらず、であれば不思議ですが、
十分"枯れた"(この言い方が気になるなら"成熟した")
あるいは"認められた"のなら僕には不思議とは感じません。

Jitta

100里の道も1歩から、ですね。
アルスラーン戦記だったかな。「遠いからといって歩き始めなければ、一歩だって近づかない」。
ただ、その一歩が、目的地に向かっているかどうか。
そのことは、常々確認しなきゃならないし、確認する方法を用意しなきゃ、ですね。


みながわさんの投稿、違和感だらけですね。
30年ほど前、銀河漂流バイファムというアニメがありました。
新規に開拓した星に異星人が襲ってきて、13人の子どもだけが残されてしまいます。
その13人が、親が連れ去られた異星人の母星に向かうというストーリーです。
その最初の方に、こんな話があります。
航路を設定するために目的にの座標を入力するのですが、異星人の母星を直接入力するのではなく、近くの星に設定します。
何故か。星間航行、つまり、かなり遠くの目的地へいきます。
そこへ一直線に向かっていって、もし、進路が0.1度でもずれていたら。
最初の進むと決めた距離だけ進んだ後、目的地との誤差は、かなりの距離になります。
この誤差を少なくするために、近くに目標を設定し、そこに到達してから、進路の修正と目標の設定をやり直します。

さて、みながわさんの、OOへの目標って、どこに設定してあったのでしょう?
遠くに設定して、軌道修正もせず、本来の目的地とは違うところに到達しているのにそれに気付かず、「違う」と叫んでいるのでは無いでしょうか。
Object Oriented に「オブジェクト指向」という訳語を当てたことが、こういう間違いを生んでいるのでは無いかと、最近思うようになりました。
Oriented の訳は、「志向」です。「指向」は、その方向を向いている、その方向を指し示している、という意味ですが、「志向」は、ある目的に思いを向ける、という意味があります。
広辞苑では「志向」に対して「指向とも書かれる」と書かれていますが、明鏡国語辞典では「指向とも書かれるが、本来的な用途ではない」と書かれています。
オブジェクトに、指が向いているだけではダメなんです。
オブジェクトに、心を向ける必要が有るんです。
「指向」という漢字を見ることで、Oriented の本来の意味を見失い、オブジェクトの方を向いている、オブジェクトが使えればよい、という方向へ進んでしまったのではないでしょうか。

関数型という新しい言語も出てきましたが、C、BASIC だけでなく、COBOL もオブジェクト志向言語になっています。
それを「単にブーム乗せらていた」というのは、情報収集が足りていないのではないでしょうか。
プログラミング言語が作られた背景を学ぶと、もっと見方が変わってくるのではないでしょうか。

> 「実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです」
 プロセス(プロシジャ)に注目して、プロセスにあわせてオブジェクトを作ろうとすると、しっくりこないでしょう。つまり、オブジェクトに目を向けてはいるが、心が向いていないのです。

> アジをさばいてみて、包丁が切れないから、セラミック包丁を買ってきたんですが
なんちゅう喩えなんだか。
義父は、菜切り包丁で蟹を捌いて、見事に刃を折りました。
普通の(金属製の)包丁にしても、出刃包丁か、万能包丁でも丈夫なものを使わないと、同じですね。
道具には、それぞれ用途があります。用途に合わせて選ばないと、そして道具にあった使い方をしないと、その真価は実感できません。

Ahf

大変遅くなりましたが、コメントありがとうございます。

個人的には昔も今も、それほどスタンスが変わってはいないと思っており、
常に努力を、常に行動を、という考え方でやっています。
それを目に見えるようにしたものがコミュニティ活動であったり、ここでのコラムであったりします(他から認められるかどうかは別として・・・)

がっかりされたのは残念に思うところです。ですが、仕事云々に関わらず常に前を見て少しでも先に進むよう努力を続けることは、エンジニアとして必要な要素の一つなのかな、と個人的には思っています。

#古い職人像と言われるかも知れませんが、自分の中ではこのイメージですね。
#エンジニアはそうあるべき、と自分は思っています

技術も製品もそうですが、必ずそれが向くシーンと向かないシーンというのがあると思っています。全ての場面で活用できるものはどこにもなく、この場面ではAの技術や思想が、こちらの場面ではBが、というように使い分けを今後はより一層求められていくのではないでしょうか。

個人的にそれが近々現る(願望含む)のが、スマホのアプリの世界かな、と思っています。なんでもかんでもネイティブアプリである必要はなく、ハイブリッドアプリやWebアプリが適している場面があり、エンジニアとしてはそれらに対応できるよう努力が必要になっていくのではないでしょうか。

古参

「関数型」が「新しい言語も出てきました」って言われちゃうんだ。そういうひとが「情報収集が足りてないのではないか」と指摘する。コントかなんかですか?

Ahf

古参さんコメントありがとうございます。

日本のビジネスの場で利用されるようになった時期を考えると、
新しい言語扱いしてもそれほど外れてはいないと思ってます。

自分の中では、言語としての歴史とビジネス上での歴史は別物と考えていますので。

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