地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

大は小を兼ねない

»

 Windows 8が来月にはベータ版が提供されるかも、という話が流れており、新しい物が続々と目に付くようになってきたと思います。Apple関係ではiPad3が登場すると言われ、AndroidはAndroid 4.0搭載モデルが続々と販売されてきています。Windows Phoneは残念ながら日本においてそれほど活発ではありませんが、海外では新機種の登場などこちらも多くのニュースが飛び交っています。

 この流れを見ていると、徐々にではありますが入力デバイスがタッチ式へと切り替わっているのではないかと感じています。

 タッチ式のデバイスは、登場してから結構な年月が過ぎていますが、銀行のATM や、iPhoneといった個人所有のデバイスなど、場所を限定した状況でしかなかなか目に触れることはありませんでした。しかし、今では個人所有のデバイスはほとんどがタッチ式デバイスで、タッチできないものの方が珍しい状態です。携帯型ゲーム機である Nintendo 3DSやPlayStation Vitaでもタッチ入力が当然であり、その機能を生かしたソフトが増え始めています。

 しかし、業務の世界では、まだまだ活用されていないのが実態です。これは今までの歴史的経緯も関連しますが、まだまだキーボードが主流なのではないでしょうか。

 個人的な考えとしてキーボードを否定するわけではありません。ただキーボードに囚われすぎているのではないか、という危惧はあります。タッチ式デバイスが登場した時は、「わざわざタッチして入力するのが面倒」といった感想を持った方が多いのではないでしょうか。ですが今やタッチ式の方がスムーズに入力することができるよう、ソフト的な工夫も含めて環境が整備されています。

 このような状況になっている今でも、業務システムではキーボード以外に入力を行いやすいデバイスが普及していません。せいぜいバーコードスキャナなどです。それ以外にも RFID 等の「手入力する必要のない仕組み」が登場していますが、まだまだ導入するにはある程度以上の体力(資金力)が必要です。

 このように、業務の世界とそれ以外とでは、状況にかなり差が出てきています。過去を振り返ると、個人向けと業務向けでは、業務向けの方が先進的な物が多く、個人向けは極論すると「お遊び」と酷評する人もいるほどでした。ですがこの図式は現在において逆転していないでしょうか。
 一部の企業を除き、個人向けの方がより先進的に技術や仕組みを取り入れ、企業向けはどちらかというと保守的に危険を冒さないようゆっくりと進もうとしているように見えます。そのような基本姿勢の違いもあり、進歩する速度がものすごく速くなった最近では、個人向けと企業向けとの間にかなりの差が開いてしまっているのではないか、と感じます。

 IT業界に関わる1人の人間として、このあたりは非常に良くない兆候だと思います。本来であれば、個人用・業務用区別なく「適しているものを利用する」というのがあるべき姿勢なのではないでしょうか。それが業務用となると「規模が大きい」「時間がかかる」と言われ、ほんの少しでも手をかけない、というケースが非常に多いです。それが積み重なって、気が付いた時にはかなり取り残されている、という状況に陥っているのではないでしょうか。

 このあたりは開発を請け負う私たちにも、一因があると考えています。私たちも商売なので、より大きい売上やより大きい粗利を求める活動がどうしても大きくなります。受注できること自体は非常にありがたい話で、同じ受注であればより大きい金額を扱いたくなるのは、企業としてもある種当然の姿勢です。

 しかし、今のご時世を踏まえると、これまでに行ってきた「ある程度まとめて」の受発注よりも、「小出しに少しずつ」改善を行っていく形の受発注であることの方がメリットは大きいのではないかと思います。

 大きな改善はそれだけ失敗する確率が高くなり、投資した金額にそぐわない結果も発生しやすくなります。反面、小さく改善を行うことは失敗したとしてもまだ回復の余地があるかもしれませんし、完全に失敗だとしても、被害はそこまでの深手ではありません。

 なにより少しずつ改善を行う方法であれば、今よりもスピーディーに行動できる点が、大きく改善するよりも優れている点ではないでしょうか。大きく改善しなくてはならない場合も必ず存在していますが、その前に少しずつでも変化していくことがもっと重要なのではないでしょうか。

 最低限の必要な部分に改善する範囲を絞り込むことは、リスクを減らし、かかる負担も減らします。そして、これは開発だけに留まらず、すべての行為においても共通したものなのかもしれない、そう私は思います。

 タッチ式デバイスを少しずつ取り入れてみることで、それをきっかけにして、さらに改善できる点が思いつくかもしれません。「こうでないとならない」と思っていた部分が、実は違う方法を採用するとさらに便利になることだって十分あり得るのです。まったく違う業界の話題が新たなアイデアにつながることもさほど珍しくはありません。

 私のように提案する側も利用してもらうユーザー側も同じように、少しずつの改善を行うようやり方を変えていくのが、今現在から今後につながるベターな方法の1つなのではないでしょうか。私はこのあたりをよくよく考えながら過ごしていきたいと考えています。

Comment(14)

コメント

「少しずつ改善」は一気にやるよりコストかかるんよねー。
せっかく作ったもんをぶっ壊す勇気と技量も必要だし。

CMP

επιστημηさんへ

どの分野での話しですか?
ちょっと風呂敷広げすぎですよ。

そうかしら?
「部分最適解の積み重ねは全体最適解と一致しない」は何事にもあてはまると思うんだけども。

あ、もちろん「一気に取り替えると導入障壁がシャレならん」とか
「毎月100万6か月なら払えるけど今600万はムリ」とかいうのは
アリです。

CMP

επιστημηさんへ

基本設計自体が不具合の塊みたいなシステムとか、OSやミドルウェアがサポート対象外となるほど古いとかは置いといて、部分的な不具合対応や機能追加もりっぱな「少しずつ改善」だと思うのですが違いますか?

まぁ、「少しずつ改善」は、元々のコストに「少しずつ改善」コスト分を積み重ねていく分、結果論で考えると「一から作り直したほうがよかったんじゃね?」って話になりますが、そこは別次元の話じゃないかなと思ってます。

元々だめなシステムを「少しずつ改善」するって条件なら、諸手を挙げて賛同しますけど、使っているうちに「ここもうちょっとなんとかならない」みたいな改善には当てはまらないかなと思い、コメントしました。

>CMPさん

AhfさんがあげてるようなUIの変化とかだと、古い方式と新しい方式の両方が欲しかったりしますよね。
でもって、新しい方式に切り替えるだけなら簡単だけど、古い方式も残すと面倒なケースが結構あったり(^^;

あと、1回1回の変更は問題なかったんだけど、変更の数が多くなってきて全体として一貫性がなかったりとかー
部分的に解決していたところが、足を引っ張るケースはそれなりにあるんじゃないかと。

個人的にはAhfさん自身のコラムであったVB6から.NETの話と逆の内容になっているのがジレンマかなと。
VB6から改善を繰り返したシステムは、ベターな方法を取っていたわけですがー
まぁ、その過程をみていない人がみたら、なんでVB6なの?って思ったりもするわけでw
.NETに置き換えてしまえば、その後の変更はVB6より短時間でできるとわかっていてもー
置き換えのコストが回収できなければ、そんなことはできないわけで(^^;

設計が悪いわけでもないのに、より便利な環境が誕生したことで、コストがかかるように見えるケースもあるかなと。
新規に対して改善だと、互換性という足かせが生まれやすいし、古いということはそれ自体が足かせになることもあるのではないかと。
まーどんな環境で、どんな改善をイメージしたかで、大分違うんでしょうね。

PS.
タッチ式デバイスは項目を選択させるのには便利なんだけどー
入力するのが便利だと感じれるようになるのは難しかったり(^^;
キーボード入力を使っていると特にそう思うんだけど、これも慣れの問題なんですかねぇ。
携帯でメールを高速に入力している人が当たり前になってくると、キーボードのほうが入力遅かったりするのかな?
いや、携帯やスマホにキーボード付けたいと思う自分がレガシーなんだろうか?w

> 使っているうちに「ここもうちょっとなんとかならない」みたいな改善には当てはまらないかなと思い、コメントしました。

個々の改善点が互いに独立であれば「少しずつ」で問題ないと思います。
# 往々にしてヘンなとこで繋がってて"あるぇ~?"ってケースが少なくないのねー^^;

CMP

Sodaさん&επιστημηさんへ
要は、「「少しずつ改善」は一気にやるよりコストかかるんよねー。」が全部に当てはまるわけじゃないよねってだけです。
まさに「まーどんな環境で、どんな改善をイメージしたかで、大分違うんでしょうね。」に尽きると思います。

Sodaさんへ
>いや、携帯やスマホにキーボード付けたいと思う自分がレガシーなんだろうか?w
その道具への依存度or使用頻度の差でしょう。脳で考えた文章を入力する方法がキーボードに特化してるだけで。そのうちKinectで入力するほうがキーボードより速いというツワモノが(ry。

Ahfさんへ
マンマシンインターフェースに関する戯言なんて如何でしょう?結構釣れると思いますよ~。

Jitta

20年前に携わっていた業務では、タッチ式の方が主流でした。
キーボードは、筐体の中に隠して、保守のためにしか使っていませんでした。

 機械的には、タッチをどう行うか、というところが、ネックだったようです。
あるシステムでは、透明な感圧シートをディスプレイに貼りました。
あるシステムでは、ディスプレイの周りに不可視光線の格子を作り、どこが遮られたかで位置を検出していました。
あるシステムでは、CRT は同時に光っている点は1点しかないわけですが、受光器でポイントし、リフレッシュのタイミングから位置を検出していました。
感圧シートでは、指紋などでディスプレイが汚れるという問題があるし、光線式ならかさばるとか高価だという問題があります。
ノート PC のポインティング デバイスも、静電式、感圧式で特徴があり、キーボード入力中に親指が触れてポインターが飛ぶという問題がありました。
受光検出でも、高価であるとか、リフレッシュのタイミングに同期しなければならないとか、問題があります。
こういった、機械的な問題がクリアされてきたのでしょうね。

 最近のでも、入力するものが決まっているなら、キーボードは隠す事があります。
何をどれだけ入力することが予想されるか、ではないでしょうか。

仲澤@失業者

ちょっとづつ変更もいいとは思いますが、革命的転換が
起こりづらい点が惜しいかもしれませんねぇ。

現実に、また文中でも指摘されているように、
コンピューターからキーボードを取っ払ってタッチパネルにし、
200gのパッドにしたらいろんなところに影響したわけですが、
これは多分ちょっとづつの改善という発想では成し遂げ
られなかったかも知れません。

最も1000年程度のスパンで大雑把に見ると「ちょっとよくなった」
程度かもしれませんけど(笑い)。

「ちょっとずつ改善」の行く末がガラケーだもんね♪

Ahf

みなさんコメントありがとうございます。

少しずつ変更していくやり方は、ある一定期間後に振り替えると実は全然違う方向に進んでいた、ということがありえるところが怖いというのはありますね。そして革命的なことは起きないというのも。

ただそれでも変化を行っていかなければ、後で大きく改善しようとした場合に「全てを作り直す」事が起きやすくなるのではないかなー、と考えています(逆にそれだからいい、のかも知れませんけど)。実際のところ、一度に大きく手を付ける方がメリット大きいのも承知していますが、現場の人にかかる負担など考えると結構躊躇されますよね。このあたりも含めると難しいですよね・・・作る側としても、使う側としても。

>マンマシンインターフェースに関する戯言なんて如何でしょう?
>結構釣れると思いますよ~。

本人が意図して釣ろうとした場合、大体失敗してしまう程度の文章力・構成力なのでw
でも面白そうな話題なのでいつかはチャレンジしてみたいですね。


そういえば今回みたいな話題を書いていますけど、プライベートではキーボード必須派で、携帯電話もキーボード付が好きなんですよね。最近の流れを見るとものすごく少数派ですけどw

cirth

これは単に(塩野七海風の)盛者必衰の理を表すではないかと。
奢ったから衰亡したという読者の望む答えではなく、それまでうまくいっていた仕組みに対する改善の積み重ね(ジャンプ世代の言う努力友情根性のパターン。改善て言うのはさ与えられた方向性(元々ある仕組みの旨味)の追求だからさ)与えられた方向性っていうのはその方向性を維持する限りにおいて世の中が変われば変わるほどその方向性を維持するコストとかデメリットって増えていっていう意味だからさ)と。それが限界に達するときに一世代終わるというか文明が終わるというか。個人的にいえばキーボードの叩きやすさは早々タッチパネルに後れを取るとは思えない(プログラマ視点)。でもちょっとメール打ったり、ネット検索したりするのにそんな本気のキータイピングってするのかな?ほんとに重要な情報の量は昔とほとんど変わっていないっては言うけれど(キッシンジャーだっけ?)それ以外と考えれば、多少の打ちやすさや打ちにくさなんて大した価値が無かった(打ち易さは本質ではなかった)。だから時代が変わった際に入力方式が変わっても通じる世の中になったんではないかな?って。つまり盛者の方式は正しいのだけれど、(時間を経た人の営みの中で環境が変わったために)正しさが有効に機能しなくなってしまったという事なのかなって思いました。

Ahf

cirthさんコメントありがとうございます。

>つまり盛者の方式は正しいのだけれど、(時間を経た人の営みの中で環境が
>変わったために)正しさが有効に機能しなくなってしまった
>という事なのかなって思いました。

そうですね、同じ問題でも考えるタイミングといいますか、時代によって
出てくる回答は変わるでしょうが、それは時間経過によって周りをとりまく環境が
変わってきたことが大きい影響を与えているのですね。

言われている本質がどこにあるのか、そこを見極める力が
ますます重要になってくると感じます。

コメントを投稿する