できないと決めつけて挑んでも苦労するだけだ
■苦悩するだけで終わらせない
こんにちは。ものを語り過ぎるエンジニア、Anubisです。先日、エンジニアライフで手塚さんのコラム、【18】物言うエンジニアになりませんかを読んで衝撃を受けた。何に衝撃を受けたかというと、このコラムで紹介されているねとらぼさんの記事、「しわ寄せはいつも技術者に来る」「笑えるどころか胃が痛くなってきた」 エンジニアの苦悩を描いた動画に世界中が共感。に衝撃を受けた。
実はこの記事、エンジニアライフの前担当者の一応美人編集者さんの書いたものだ。この記事に対してSNS上で物申したところ、取材を受けて、「もちろんできますよ。私は専門家ですからね」 エンジニアの苦悩を描いた話題の動画「緑のインクで赤い線を描け」への答えという記事が書かれた。
こういう「技術者は苦労する」系の話題が上がるとどうも覆したくなる。苦労して虐げられてます!みたいなオーラを常に出していたら、エンジニアとしてかっこわるい。無理だと言われたなら、代行策や改善案で迎撃するのがエンジニアとしての意地だ。
■理不尽を認めるところから始まる
理不尽に対して代行策や改善案のが出ない人には特徴がある。理不尽が思考の終着点なのだ。いろいろ考えたが上手くいかない。どうしようもありません。それが回答になっている。よくよく考えれば当たり前だ。結果を自分でだしているのだ。その先を考えないので出てこない。
理不尽に対して代行策や改善案を出すためには、理不尽から思考をスタートすることだ。っ無理なものは無理。それをきちんと認識しよう。そこから新たな終着点を考えるのだ。理不尽の理由は、事実を正しく見れないことに起因する。自分が正しく事実を見ないと理不尽には対抗できない。
■《不本意な状況》(いま)を変えるのは戦う覚悟だ
理不尽が起きるもう一つの理由は、自分が不利益を被りたくない。そうい思う弱さだ。現代の日本人は、特に不利益を認めがらない。仕事だって、頑張れば常に右肩上がりで業績が延びると思い込んでいる。技術だって、仕事を頑張っていれば右肩上がりに伸びていくと思い込んでいる。
だがそんなに現実は甘くはない。確かに、頑張るだけでプラン通りに事が運んでいた時代はあったが、そんな家畜の安寧がいつまでも続くはずもない。技術にしても業績にしても、欲望のままに伸びるものではない。
自分の思い通りにいかない、期待を裏切られる、そういう痛みをきちんと受け止めよう。そうしないと、正しく現実を把握することができない。そこから、自分の未熟さと戦っていく。そういう覚悟がたりないのではないだろうか。
■諦めることと認識することは違う
不本意な状況を認識するというのは、例えば、売上が100万円落ちますとか、技術的に無理です。そういう事実を認めるということだ。こういうと、「それって、諦めるってことじゃないか!」と反論する人が多い。
だがそれは違う。売上が100万円落ちるなら、なぜそうなったか原因を探ればいい。技術的に無理なら、別の角度から解決案を探ればいい。できないところから方法を探っていくのがスタートだ。不本意な状況を不本意だと指摘し続けるだけでは何も進まない。そこで思考がループして、労力ばかり無駄に消費してしまうからだ。
ちなみに、「しわ寄せはいつも技術者に来る」「笑えるどころか胃が痛くなってきた」 エンジニアの苦悩を描いた動画に世界中が共感。の動画に出てるエンジニアさんの対応。あれを見てどう思っただろうか?同じ方法をたどって、あぁできないな。そう思った人は多いと思う。
ちなみに、この動画のエンジニアさんは要求に対する理由を聞いていない。それが答えが出ない理由だ。うまくいくとは、シナリオ通りに進めることではない。最後に結果を得ることだ。ここらへんを忘れて仕事をしている人が多いように思う。
コメント
ksiroi
> それが答えが出ない理由だ。
ほんとそれ。
僕があの動画に共感できない理由をズバッと指摘してもらってスッキリさっぱり。
なんかもやっとしてたんですよ。
「この動画の男とは一緒に仕事したくないな」
「こいつの部下は死ぬほど苦労するだろうな」
と。
相手に理解させることが重要なんじゃないんだ。
自分が理解したうえで相手に理解を促さないとダメなんだよな。
あ、なんか結婚論にも繋がってきそうだおっぱいおっぱい
仲澤@失業者
このビデオを見て途中は笑いました。
が、最後の結論は普通の終わり方でさげが感じられませんでした(残念です)。
今のスマホの機能を当たり前だと思っているかもしれませんが、
自身がガキの頃には持ち歩ける電子デバイスは何もありませんでした。
翻って、青色のインクで赤い線が引けないのは現時点でのテクノロジーの限界に
過ぎないのではないかという疑念を持ったわけです。
おもちゃとしては結構おもしろそうです(闇鍋的描画ツール?)。
おっしゃる通り「なぜ」がないのところがこのストーリーの肝かもしれません。
テラーはそのことを説明する想像力を節約したかもしれませんね。
もっともそれで理不尽さが増しているわけですが。