Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

知的財産の価値

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月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2008年10月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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自分の著作物は財産であり、他人が勝手に使うことは許されない。そう思ってきたが、どうも世の中は違う方向に動いているようだ。今回は「何でも無料」という最近の傾向について考える。

●インターネットは何でも無料で提供される?

ラジオに出演した。といっても、インターネットラジオである(*1)。テーマは「Web 2.0」、正直言って筆者の専門外だが「賛成派でも反対派でもなく、一般に分かる言葉で話ができる人」ということで選ばれたらしい。光栄なことである。

番組中、「インターネットにはどんなコンテンツでもある」という話になった。現実問題として、インターネットでは多くの著作物が無償で流通している。合法的なもの以外に、明らかに非合法なものや、ちょっと怪しいグレーゾーンのものを含めれば、「ないものはない」と言っていいだろう。

著作権管理者は、さまざまなコピー防止技術が考案されているが、絶対安全な方法は見つかっていない。DVDのコピー保護はとうに破られているし、ブルーレイ・ディスクのコピー保護機能もかなり怪しい。画像として表示できる以上、何らかの方法でコピーすることはできないわけがない。

新人コメディアンのネタはYouTubeに行けば大抵見られる。音楽業界に本当にダメージを与えているのは、おそらくiPodではなくYouTubeだ。

Webニュースは一部を除き、基本的に無料で提供される。技術解説では、『Windows Server World』と同程度の品質の記事が@ITITproなどで無償公開されている。筆者が愛読している、歌田明弘氏の週刊アスキー連載コラム「仮想報道」は、1週間もしないうちに記事全体がブログで公開される(現在は一部有料)。「何でも無料で提供されるのがインターネットである」と考える人がいても不思議ではない。

前回「自分の成果である著作物を安売りするな」と書いたが、無償公開の期待はどんどん高まっているのが実情である。

●情報に対価を払ったのは過去の話か?

番組前の打ち合わせでは「情報に対して対価を払うようになったのは20世紀の大きな成果だ」と筆者は主張した(残念ながら番組で言うのを忘れてしまった)。実は適当に言ったのだが、円盤型レコードの発明が1889年だから、それほど外れてはいないだろう。

例えば、横山哲也が書いた文章は、雑誌に載ろうが、Webに掲載されようが、あるいはメールであろうが、どのような形態であっても、横山哲也本人にそのコピーが流通するのを制御する権利(copyright)がある。また、複製に対して対価を要求する権利も認められている。

もし『Windows Server World』編集部が「IT嫌いはまだ早い」をWebにも掲載したいと思ったら、まず筆者に許可を得る必要がある。掲載料を取れるかどうかは分からないが、無償だとしても「すみませんが、今回は追加の原稿料なしでお願いします」くらいの話はあるだろう。これが「コピーライト」の意味だ。

幸い、音楽や映像と違い、Web上の文章を丸ごとコピーするようなシステムはあまり聞かない(*2)。しかし、同じ文章でなくても、同じ内容が得られることは多い。例えば、筆者は過去に『Windows Server World』に対して多くの記事を提供している。その記事を読みたければ、バックナンバーを購入していただきたいと筆者は(そして編集部も)考える。ただし、特定の機能を実現するための操作手順に限れば、どこかのWebサイトから発見できるだろう。これなら無料だし、バックナンバーを取り寄せるより早い。皆さんならどちらを選ぶだろう。正直に言って、筆者なら無償提供されるWebサイトを優先して参照する(時々、自分が書いた記事が検索されて苦笑することもある)。

客観的な事実ではなく、感想も無償で提供されている。大量のブログがそうだ。普通の人の普通の感想はもちろん、専門家による詳細な分析ですら無償公開されていることがある。こうした傾向はどんどん拡大している。知的財産に対して対価を支払う習慣はなくなるかもしれない。

●何にお金を払うのか

情報にお金を払う人がどんどん減り、無償公開を期待する人がどんどん増えている。無償提供は、消費者にとって歓迎されるかもしれないが、前回も書いたように、これは業界にとって必ずしもよいことばかりではない。業界が衰退して困るのは結局のところ消費者である。では、どうすればいいのだろう。

面白い事実がある。CDの売り上げは落ちているが、コンサートの売り上げは増加しているのだという。ライブハウスも盛況だ。また、一部のファンはCDのジャケットが変わっただけで新しく買い求める。最初から数種類のジャケットで売り出して、見かけの売り上げを増やすという戦略もあるらしい。旧作アニメのDVDボックスも、出るたびに買うマニアがいる。中身は同じなのだから、おそらく見ることはないだろう。音楽や映像という「情報」には対価を支払わないのに、自分の体験や形のあるものには大金を支払う。一部のマニアは、自分が一生かかっても見られないくらい大量のビデオを抱えているくらいだ。

どうやら、金銭を払う価値があるのは情報ではなく「体験」と「モノ」らしい。21世紀は、すべての情報が無償になり、金銭価値は個人の体験と情報の入れものだけになるのだろうか。

IT業界に目を向けてみよう。OSもデータベースも、ワードプロセッサも表計算ソフトも全部無償で入手可能なものがある。IT業界の金銭を払う価値がある「モノ」「体験」とは何だろう。ハードウェア、これは無償にはならないが、そもそも知的財産ではない。リーナス・トーバルズ氏のサイン入りLinux CD……おそらく売れないだろう。イベントはどうか。イベント会社は利益を上げているらしいが、主な収益は出展料であり、入場料でもうけているわけではない。やっぱり駄目だ。

いまのところ、企業で使われている主力ソフトウェアの多くは有償の製品であり、無償の製品で完全に置き換わるような兆候はない。せいぜい「一定の地位を占めた」という程度だ。しかし、インターネットでの動きを見ていると、遠い将来、すべてのソフトウェアが無償で提供される日が来てもおかしくはない。可能性だけを考えれば、現在でも無償でシステムを作ることはできる。そのとき、体験や入れものが売りものにならないIT業界では、すべてが無償になり広告だけが主な収入源になるのだろうか。

●ただより高いものはない?

英語には“There's no such thing as a free lunch”(無料の昼食なんて存在しない)ということわざがある(*3)。日本語だと「ただより高いものはない」だ。「なんで無償がいけないの? 広告費で運営されるのならいいじゃない」と言う人もいる。本当にいいのだろうか。

筆者は、広告による運営は、広告主の立場が強くなりすぎるので良くないと考えていた。広告主の力が強くなると、読者の好む記事ではなく、広告主の好む記事が優先される。広告主は、多くの読者が欲する記事を好むため、結果的に多くの読者を満足させるということになっている。

しかし、利害関係のある企業の記事は排除するような圧力がかかるかもしれない。今でも商業雑誌やWebの記事に対して「公正な商品テストが行われていないのではないか」という疑惑を抱いている人がいる。

このことを烏賀陽(うがや)氏に言うと「それは読者のメディアリテラシーが高いということですね」と返された。広告主の意思を想像しながら記事を読む人はどんどん増えている。そのうち下手な細工はすぐに見破られるようになるだろう。どうも、「無料だからいけない」というのは筆者の考えすぎだったかもしれない。

だが、本当にいいのだろうか。筆者もYouTubeにアクセスし、Webサイトの無償記事を読み、専門家のブログを読んでいる。それが悪いこととは思えないが、全部無償でいいのだろうか。このあたりで筆者の思考は停止してしまった。そのため、今回は結論を出さない。これからも長い時間をかけて考えていくつもりだ。ただ、旧世代の人間として、1つ思っていることがある。

「何でも無料は何かおかしい」

(*1)「烏賀陽弘道のU-NOTE」2008年7月3日放送。烏賀陽氏は、高校時代の同級生である。

(*2)検索エンジンのキャッシュは「著作権者の許可を得ないコピーではないか」という意見が昔からある。

(*3)ただしGoogleの社内食堂は無料だそうだ。

■□■Web版のためのあとがき■□■

読者の皆さんは、これが当たり前だと思うだろう。しかし、現実にはそうではない。一部の人は、他人の著作物を自由にコピーしても構わないと思っているようだ。合法的な場に掲載された情報なら、無許可の複製でも構わないと思っている人はもっと多い。

YouTubeにアップロードされたビデオクリップを見るとき、著作者による掲載許可を確認する人は少ないだろう。筆者もしていない。YouTube自身は著作権違反を容認しているわけではないが、結果的に多くの著作権違反コンテンツを含んでいることは否定できない。

筆者の中では、YouTubeのコンテンツを見るときに3つの基準がある。

第1に、過去に公開されたものであること(テレビ番組など)で、第2に、そう簡単に入手できないものであること(販売されていないもの)だ。

ただし、この条件では「昔は若気の至りでやってしまったが、いまは見てほしくないもの」が流通してしまうため、コピーライトの保護としては十分ではない。だから、著作権侵害の片棒を担いでいるという批判は甘んじて受けよう。

最後は、YouTubeの映像を手元に残したり再配布したりしないということだ。YouTubeは、著作権侵害についての申告窓口を持っているが、YouTubeの映像をさらにコピーしてしまうと著作権侵害を訴える窓口がなくなる。これでは著作権侵害に対して泣き寝入りしかできない。

テレビのバラエティ番組など、対価を払いたくても入手できないコンテンツも多い。例えば、筆者は、ある日突然「キャンディーズ」が「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!! 」でやっていたコントが急に見たくなってYouTubeにアクセスした。途中、間違って「南海キャンディーズ」という漫才コンビのネタも見てしまった。往年の女性漫才コンビ「メンバメイコボルスミ11」に似たシュールな笑いが面白かった(さすがに「メンバメイコボルスミ11」はYouTubeには存在しなかった)。

キャンディーズの映像も、南海キャンディーズの映像も、著作者に無断で公開されていると思われるので、これはもちろん違法である。できればYouTubeのコンテンツが1回100円なら筆者は払うだろう(1000円ならたぶん払わない)。

最近では、技術情報を掲載したブログも増えてきた。ブログの場合、書き手によってレベルはまちまちだが、大ざっぱに言って、分かりやすさや正確さはかなり劣る場合が多い。第三者のチェックが入っていないからだ。

では、編集者が原稿を検査している場合はどうだろう。この場合、品質の差はほとんどない。例えば、『Windows Server World』に掲載された記事と、@ITの記事はそれほど差がないように思える。少なくとも、筆者の記事はそうだ。どちらも著者には同水準の原稿料が支払われ、同じように優秀な編集者が原稿をチェックしているからだろう。

書籍はどうか。筆者の経験から言うと、あまり大きな差はないものの、書籍の方が多少信頼できる。執筆にかける時間の差ではないかと想像している。ただし、書籍にはまとまった知識が一度に得られるという大きな利点があるものの、雑誌よりは高価である。

現在のIT出版業界は、価格を反映してか、書籍市場は縮小、雑誌は少し遅れて縮小、Webが辛うじて伸びているように見えるが、原稿料は激減している。しかし、それでいいのだろうか。

Comment(1)

コメント

アラファイブ

1.
やはり、無料版はあくまで「見本」ではないか?
WindowsのExplorerが10000回に1回異常終了する時、
Linuxのノーチラスは1000回に1回異常終了すると
思う。
開発環境は少し特殊で、実業だが「見本」扱いで
でも、できた物を商用で使う場合は、年額とか、
企業としての寄付とかになると思う。

2.
1つの組織、個人が提供できるものは限られ、
下手に有料にしてしまうと、「無理な新しさ」
をでっち上げないとならなくなるのでは?
それがたとえM$でもなんでも。
特に、まとまった成書は、もうあきらめるべきでは?

3.
総論賛成各論反対とか言われるが、ネットで流せる
情報はあくまで総論であって、個々の利害ではなく、
(各論を流そうものなら、各所からブーイングが飛ぶ
はず。)
逆に、各論にこそ、¥を求めるべきでは?

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