Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

IT業界、もうひとつの読書案内

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2008年7月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

 なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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 新入社員の方は、そろそろ基礎研修が終わり、職場に配属されたころだろうか。最新の情報はブログで発信されることが多い。ブログを読んで、元ネタは分からないが何かのパロディらしいと思ったことはないだろうか。今回のテーマは「IT業界人として知っておきたい作品群」である。

●エンジニアの好きな作品

 エンジニアの書いているブログや、オープンソース系のドキュメントを読んでいると、ときどきよく分からない表現に出くわすことがあると相談される。見てみると、何らかのパロディであることが多い。

 完成されたドキュメントを読む場合、元ネタを知らなくても何ら困ることはない。しかし、どこか気持ち悪いものが残るだろう。

 また、一緒に仕事をしている先輩の発言であれば、何らかの反応をしてあげないと失礼である。うまくいけば「話の分かる奴」ということで、目をかけてもらえるかもしれない。スムーズなコミュニケーションは仕事の基本である。

 では、どのような作品のパロディが多いのだろう。以前はファンタジー系の古典やSF小説が多かった。その後、徐々にアニメが増えてきた。ゲームに関するパロディも多いようだが、筆者は門外漢なので今回は触れない。

 海外に目を向けるとアニメの知識を持つ人はまだまだ少ない。逆に、日本のエンジニアでファンタジー系の古典を読み込んでいる人は減りつつある。今回は、あまり触れる機会のない「世界の常識」を中心に、日本の事情は最小限に留める。日本の詳しい事情は先輩に直接聞いてほしい。

●ファンタジー系

 まず、絶対に読んでおきたいのが「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル)である。正確に調べたわけではないが、最も引用が多い。多くの翻訳があるので好みのものを見つけてほしい。

 何冊か読んだが、筆者のお薦めは特にない。以前ラジオ番組で、チェシャ猫が「自分は気が狂っている」と主張するシーンを、数学の証明風に朗読していた人がいた(*1)。こんな具合だ。

大前提として、イヌは気が狂っていない。
イヌは怒るとうなり、うれしいとしっぽを振る。
しかるに、わたし(ネコ)はうれしいとうなり、怒るとしっぽを振る
(*2)
ゆえに、わたしは気が狂っている。

 これが一番面白そうだが誰の翻訳かいまだに分からない。アリスの作者であるルイス・キャロルは数学者だったことを考慮すると、非常に面白い試みである。

 アリスの時代背景にまで踏み込んで理解したいなら、マーチン・ガードナーの「注釈付きアリス」をお勧めするが、翻訳で読む限り、肝心の本文に勢いのないのが残念だ。

 柳瀬尚紀氏の訳は頑張りすぎてひとりよがりの感じがする。山形浩生氏の訳は意欲的で面白い上に無償だが(書籍版もある)、いくつかのエピソードを翻訳ではなく翻案してしまっているのが長所であると同時に短所でもある。

 コンピュータソフトウェアでは、最初に読むべきドキュメントを「Read Me(わたしを読んで)」と呼ぶが、これは「アリス」に登場する「Drink Me(わたしを飲んで)」とビンに書いてある飲みものに由来するらしい。

 また、暗号化技術の教科書では、よくアリスとボブが登場する。アルファベット順にAとBのイニシャルを持つ2人なのだが、アリスはもちろん「不思議の国のアリス」のアリスである。

 メアリー・ポピンズもたまに登場する。彼女は「完ぺき」の代名詞である。例えばCommon Lispというプログラム言語の仕様書は、暫定版に対して名前が付けられた。完ぺきとされた最終版が「メアリー・ポピンズ」である。ディズニーの映画版(ジュリー・アンドリュース主演)には

メアリー・ポピンズは「ほとんど完ぺきな教師(practically perfect teacher)」

というせりふがあるからだ。ただし、メアリー・ポピンズはアリスほどひんぱんに登場することはない。

●SF系

 アーサー・C・クラークはぜひ押さえておきたい。特に「2001年宇宙の旅」は、映画と小説の両方を知っておきたい。小説の方がより論理的だが、作品としての味わいは映画の方が深い。ここに登場する探査船の名前は「ディスカバリー」、偶然の一致かもしれないがスペースシャトルの名前にもなった。

 ディスカバリーに搭載されたコンピュータ「HAL 9000」は「思考して意志決定まで行うコンピュータ」として有名であり、今でも人工知能研究者の目標である。

 なお、HALは「Heuristically programmed ALgorithmic computer(発見的プログラミングによるアルゴリズム的コンピュータ)」の略とされているが、IBMの文字を1文字ずつアルファベットの前にずらした言葉という説もある(アーサー・C・クラーク自身は否定している)。

 同種の例にVMS(Windows NTの初期の設計責任者であるDavid Cutlerが以前に担当したOS)を1文字ずつ後ろにずらしたWNT (Windows NT)がある(本人は否定も肯定もしていない)。

 アーサー・C・クラークは静止衛星原理の提案者としても有名だ。現在のインターネットは海底ケーブルが中心だが、衛星回線も利用されている。

 映画では、「スター・トレック」(TVシリーズの邦題は「宇宙大作戦」)と「スター・ウォーズ」は必見であろう。

 スペースシャトル1号機は、スター・トレックに登場する調査船にちなんで「エンタープライズ」と名付けられた。また、スター・ウォーズに登場するさまざまな用語「ダークサイド(悪の側面)」や「フォース(超自然的な力)」は、システム管理者の倫理基準として日常的にもよく使われる。本連載でも「世界征服」の回で紹介した。

 もっともUNIX系からWindows系に転身したエンジニアを、ダークサイドに落ちた登場人物になぞらえて「ダース・ベーダー」と呼ぶのは行きすぎである。マイクロソフトは別に悪の帝国ではない。

●アニメ系

 以上は世界共通の話題だが、日本の事情も簡単に紹介しておこう。前述の通り、最近のエンジニアは、読書離れの傾向を反映して、ファンタジーやSF作品を読まない人も増えているが、ロボットアニメの知識は共有できることが多い。

 中でも圧倒的に人気の高いのが「機動戦士ガンダム」シリーズである。せりふには味のあるものが多いので、しばしば引用される。

「どうしてインストールに失敗したのか?」「坊やだからさ」

「Aeroなんてただの飾りです、偉い人にはそれが分からんのです」

「認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを」

などなど(一部修正を加えた)。ただし、ガンダムにはマニアが多く、下手に知ったかぶりをしない方がよい。中途半端な知識はすぐに露見する。素直に質問した方がいいだろう。嫌というほど詳しく説明してくれるはずだ。

 同様に「新世紀エヴァンゲリオン」の話も中途半端に参加するとけがをするかもしれない。エヴァンゲリオンのファンは、ガンダムファン以上に思い入れが強い。下手をしたらDVD全巻セットを強制的に見せられることになるかもしれない。しかも、多くのなぞや伏線が解決されないまま放置されているので、解釈の幅が広い。感情的な議論にならないように注意してほしい。

 これらの作品は、日本のITエンジニアの「教養」となりつつあるので、実際に見なくても一通りの内容は知っておきたい。「ロミオとジュリエット」を実際に読んだ人は少ないだろうが、ストーリーは誰でも知っているし、知らないとコミュニケーションに困ることもある。それと同じだ。

●おわりに

 IT業界には論理パズルやごろ合わせの好きな人が多い。特に米国のエンジニアに顕著である。日本語を覚えたての米国人エンジニアに「だじゃれ」を教えたら喜んでいた。アリスには論理とごろ合わせの両方の要素が含まれているのが人気の秘密なのだろうか。

 SFにごろ合わせは少ないが、先のHAL/IBMやWNT/VMSはごろ合わせといえる。もちろん論理はSFの生命線だ。

 基礎研修を終え、技術に飽きてきたら、息抜きにファンタジーやSFを読んでみてはどうだろう。世界のITエンジニアが好む作品を、あなたも好きになれるだろうか。いくつか紹介したが、とにかく「アリス」だけは読んでほしい。山形浩生氏もいっている。

「アリス」シリーズには、テッキーなおたく心に訴える独特の魅力がある」

(*1)確か、ラジオたんぱ(当時)のアナウンサー室谷昭子氏。
(*2)確かにネコはおいしいものを食べるときにうなり、いらいらしているときに尻尾を左右にふる。

■□■Web版のためのあとがき■□■

 2008年4月14日から17日まで、米国シアトルで「マイクロソフトMVPグローバルサミット」が開催された。マイクロソフトMVPは、マイクロソフトの製品やテクノロジーに関する豊富な知識と経験を持ち、コミュニティやメディアなどを通して情報を発信している個人を表彰する制度である。

 MVPグローバルサミットは、そのMVPをマイクロソフトが招待し、セミナーや開発者との意見交換を行う年に1度のイベントである。日本からも、筆者を含めて70名を超えるMVPが参加した。

 MVPにはそれぞれ専門分野がある。筆者の専門はDirectory Services、つまりActive Directoryだ。専門分野のエキスパートが集まったイベントでは、懇親会でも専門知識と周辺分野の話題で盛り上がることが多い。しかし専門分野が違うと話題に困る。MVPといえども、全分野に精通しているわけではないからだ。

 筆者の同僚も、日本人MVP有志の夜の懇親会で、専門外の話が続いて困ったらしい。そこで、同僚は試しに「マクロス」(注)の話をふってみたという。結果は大成功で、全員が盛り上がったそうだ。「やっぱり、IT業界の共通知識はアニメだ」というのが同僚の結論である。

(注)超時空要塞マクロス: 1982年10月から翌年6月まで放送されたTVアニメ。異星人とのファーストコンタクトもの。視聴率は低かったがカルト的な人気があった。

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