Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

部門売却

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2006年6月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

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 最近のことだから、会社の合併や部門売却、あるいは倒産を経験した人も多いだろう。もう10年以上も前の話になるが、筆者もその1人である。今月は、会社について考えてみる。

●なぜ買収が行われるのか

 IT業界では、日常的に企業合併や買収、いわゆるM&Aが行われている、ということになっているが、実際のところ、他業種に比べて本当にM&Aが多いかどうかは調べていない。しかし、企業買収を繰り返す企業が存在することは確かである。その代表はライブドアやソフトバンクで「ITはITでもInvestment Technology(投資技術)だ」と揶揄されるくらいだ。

 買収の目的はさまざまである。マイクロソフトがよくやるのは、特定の会社が持つ技術が欲しい場合である。シェア拡大を狙って、同業他社を買収することもある。業務そのものを拡大するため、異業種企業を買収するのはライブドアの得意技だった。非主流派部門が、独立を求めて買収してもらうこともあるし、単に金に困って部門を売ることもある。

●IT業界らしい買収の例

 さて、実際の例として筆者の勤務先「グローバルナレッジネットワーク」を紹介しよう。この会社、そもそもは、デジタルイクイップメント社(DEC)の教育部門であった。PC技術に乗り遅れたDECは、1990年あたりから資金繰りが悪化し、1993年に希望退職プログラムが始まるとともに、さまざまな部門を売却し始めた。

 当時、Oracle社のOracleやIBM社のDB2と並んで、世界最高クラスの性能を誇ったDEC Rdbは1994年にOracleへ売却され、その技術はOracleデータベースの機能と性能向上に貢献したらしい。一方DEC Rdbチームの中心メンバーであったジム・グレイ博士は、後にマイクロソフトのSQL Server 7.0の開発に多大な影響を与えた。

 ストレージ部門はクアンタム社に買収された。これにより、テープドライブ規格DLTが業界標準となった。それまではDEC製のサーバにしか搭載されていなかったのだ。考えてみれば当然である。

 そんな頃、教育部門が売却された。買ったのは米国の投資会社で、部門が丸ごと1つの会社となった。これがグローバルナレッジネットワークの起源である。その後、米国との方針の違いから、日本の投資会社の助けを借りて日本だけが独立した。いわゆるMBO(マネージメントバイアウト:経営者による自社買収)である。

 名称が変わっていないので気付いていない人も多いが、現在グローバルナレッジは「外資系」ではない。さらに、2006年には資金調達のためインターネット総合研究所(IRI)と提携した(*1)。

 さて、かつてのDECはどうなったか。多くの部門を売却し、身軽になったDECはCompaqの買収提案を受け入れた。一連の部門売却は、資産価値を減らし、Compaqが買いやすくするためのものであったという噂もある(あくまで噂である)。DECの創業者であるケン・オルセンは「PCはおもちゃだ」と公言してはばからなかったが、結局、そのPCメーカーに買収されたのである。そして、そのCompaqはHPに買収され、現在に至っている。

 競合他社に買収された場合、当面の資金繰りには心配ないが、重複部門の人員整理は避けられない。一方、独立した(させられた)場合は、人員整理の心配はないものの、そもそも利益が出るかという基本的な心配がある。どちらがいいとは言い切れないが、筆者は独立して良かったと思う。DECの教育部門は、本社から見ると傍流であり、十分な投資を受けられなかったからだ。

 何度かの希望退職の実施や、部門売却、企業合併を繰り返した結果、DEC出身者はIT業界全域に広がることになった。もともとDECは営業力や大局的な戦略には弱かったが、エンジニアとしては優秀な人が多い。こうしてDEC出身者はIT業界全体の底上げに寄与した。DEC出身者を集結すればIT業界を征服できるというジョークもある。

 ところで、筆者は昨年(2005年)、あるパーティでジム・グレイ氏としゃべる機会があった。データベースは専門外だが、せっかくの機会なので少し話をした。「DECに10年ほどいた」と言うと「古き良き時代だな(Good Old Days!)」と返された。他のDEC出身者に聞くと、どうやらDECの話をするときの「お約束」らしい。

●会社がなくなるということ

 部門売却や希望退職は、業界にとって決して悪い話ではない。もちろん経営者や株主にとってもそうだ。そもそも部門売却や合併は株主の利益になるから行われるのである。

 では、従業員にとってはどうだろう。否定的な意見が多いのではないだろうか。しかし、ちょっと考えて欲しい。筆者の頃は、資本関係のない会社への移籍は強制できなかった(今はできるらしい)。そこで、移籍の同意書にサインを求められた。1996年のゴールデンウィーク前、ちょうど10年前である(執筆時点)。

 独立してやっていけるのかという大きな不安はあった。そのため、移籍しない人ももちろんいた(現在も同業他社で活躍中である)。移籍しない場合、DECに残り、グローバルナレッジに出向するか、DEC内の他部門に移籍することになる。筆者は移籍を選んだ。

 部門売却を行う場合、通常は期間を区切ってその分野に参入しないことを約束する。グローバルナレッジの場合は、5年間だった。つまり、DECに残る場合、5年間は教育の仕事ができない。出向するよりは社員として働いた方が楽しいだろう。会社への愛着もあったが、それより仕事に対する愛着の方が大きかった。結果的に、ほとんどすべての社員が移籍した。

 移籍して良かったことは、自分たちで自由に事業計画が立てられたことである。また、自分たちの仕事が自社の本流であるという意識も、モチベーション向上につながった。傍流の仕事とはやりがいが違う。ここ10年を振り返っても、売却当時が最もやりがいがあり、楽しい時期だった。

 筆者がさまざまなメディアに実名で登場し始めたのもこの頃だ。最初は(そして今でも)会社を有名にするために何ができるかを考えた結果である。何しろ「グローバルナレッジネットワーク」というのはいかにも怪しげである。マイクロソフト系の教育で言えば、当時から現在に至るまでのメジャープレーヤーはNEC(現在のNECラーニング)やNRI(現在のエディフィストラーニング)などである。両社のブランドと張り合うには、実績を積み、知名度を上げるしかない。ちなみに、NECもNRIも現在は教育部門が独立しているが、関連会社の地位は保っているようだ(NRIはNRIラーニングネットワークを経て、キヤノンマーケティングジャパン傘下の会社となった)。

 もしみなさんに、部門売却の話があったら、最初から敬遠せずに、ぜひ詳細に検討してみて欲しい。売却先の会社が本気でその事業をするつもりであれば、きっと今より楽しい仕事ができるはずだ。

 ケネディ大統領の就任演説に「国家が何をしてくれるかではなく、国家のために何ができるかを問いたまえ」という有名な一節がある(*2)。国家を会社に置き換えてみよう。会社は、何かをしてくれるところではなく、自分が何かをするところである。転職をする場合は、自分の能力を最も生かせる場所がどこかを考えるべきだろう。筆者の場合、別の技術部門に移っても高い能力を発揮できるとは思えなかったが、教育部門であればそこそこの力を出せると考えた。

 一方、移籍して戸惑ったのは、経営者との会話が成り立たなかったことだ。それまではせいぜい事業部長としか話をしなかったし、会社経営の知識も皆無だった。しかし、新しく来た社長をはじめとする経営陣は、常に「数字」を求めた。ちょうど、希望退職で部長クラスの多くが退職したあとでもあり、残されたマネージャの方たちは苦労されたことだろう。数字に責任を負わない我々グループリーダークラスでも苦労したのだから、部門長を任された人たちはなおさらである。

 そんなマネージャたちも徐々に退職し、今年の2月末には、10年前最初に移籍に同意したマネージャたちも退職された。衝突もしたが、新しい企業を立ち上げるための努力は大変なものであったと思う。現在、当時の社員で残っている者はほとんどいないし、仕事のスタイルもカルチャーもずいぶん変わった。それでも、どこかに当時の心が残っていると信じて仕事を続けていきたい。

 今月は、有名なシャンソン「詩人の魂」の歌詞で締めくくろう。

longtemps après que les poètes ont disparus
Leurs chansons courent encore dans les rues
(詩人がいなくなっても、その歌は街にあふれている)

(*1)http://www.iri.co.jp/jp/ir/column/61.html

 この記事では、IRIの社長は「DECの」という点を評価しているように読める。実際には、当時ですらDEC出身者は数人しか残っていないし、DEC時代のスタイルは大方消えている。なお、その後IRIがオリックスと経営統合された結果、グローバルナレッジもオリックス傘下に入った。

(*2)オリジナルはローマの政治家キケロの言葉らしい。

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 「詩人の魂」などというシャンソンの歌詞を登場させたが、別に筆者はシャンソンを聴く趣味はない。高校時代、経済の教師がシャンソン好きで、授業中に時々歌っていたのだ。この先生の一番のお気に入りが「詩人の魂」だった。歌詞の意味まで考えたことはなかったが、卒業文集に書いた先生の文章で「人間は去っても、思想は残る」という意味を知った。

 ところで、この先生、なぜかインド国家もよく歌っていた。なぜだろう。未だに分からない。そもそも、教師が授業中に「今日は歌を歌います」というのも変な話だ。これではまるで「だいたひかる」である。

 さて、この号が出版された翌日(2006年4月25日)に役員の何人かが交代した。そして、なぜか筆者が取締役に任命された(もちろん事前に打診があった)。肩書きは「取締役技術担当」で、「現場の声を経営に直結させる」というのが筆者の仕事である。正直、筆者につとまるとも思えないが「自分ができることをやれ」と書いた手前、思い切って引き受けることにした。

 ところで、取締役というのは、社員ではないので、いったん退職することになる。退職金は出るが、その後、取締役になってしまうと、失業保険を含め、労働者が持つ権利の多くが剥奪される。もともと労働法は、被雇用者の権利を守るものなので、経営者である取締役は保護対象ではないのだ。

 実際には、いくつかの条件を満たせば、雇用保険の対象になるのだが、筆者の場合は適用されないようだ。こうなったら覚悟を決めて、やれることをやっていくつもりだ。もっとも、相変わらず講習会も担当しているので、筆者の教育コースを受講したい人も安心して欲しい。そんな人がいたら、の話であるが。

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