エンジニアと英会話
●Web公開のためのまえがき
月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2005年9月号)をお求めください。もっと面白いはずです。
2005年6月初旬に、フロリダ州オーランドで開かれたMicrosoft TechEd(テック・エド)に参加してきた。TechEdはマイクロソフトの開催する技術カンファレンスで最大のものである。今年(編注:2005年。以降も同様)は約1万3000人が参加したそうだ。
今月は、このTechEdの状況をお伝えする。なおTechEdでどんな技術が議論されたのかはここでは触れない。それよりも、TechEdを通してIT業界で生き抜く方法をお伝えしたい。
●TechEdとは
TechEdで中心となるのは「今すぐ使える技術」または「もうすぐ使える技術」である。対象者は開発者とIT管理者(ITプロフェッショナル)。従来ITプロフェッショナルの比重はそれほど高くなかったが、ここ1、2年はかなり重視されている。マイクロソフトCEOスティーブ・バルマーの基調講演も、以前は「我々は開発者を大事にしている」と言っていたのが「開発者とITプロフェッショナルを大切に思っている」と変わっている。
特に今年のテーマは「ITヒーロー」ということで、お土産にもらった野球帽に「IT Hero」と書いてあったし、Tシャツの袖にも「IT Hero」と書いてあった。ただし、胸には「No, I will not fix your computer」(いいえ、私はあなたのパソコンを直せません)と書いてあった。
システム管理者は、自分が管理しているコンピュータを修復することはできても、「あなたが」使っているコンピュータを直せるとは限らない。どんな設定になっているか分からないからだ。いい言葉なので手帳にメモした。
今年のTechEdは過去最高の人数だそうで、期間中11万7000本のミネラルウォーター、1万5600本のアイスクリーム、1800Kgのスナック菓子、2万7000個の卵、3万6000Kgの鶏肉、5万2000杯のジュースが消費されたという。よく分からないがかなりの数字である。
●TechEdで「タダ飯」を食う
TechEdに限らず、米国開催のカンファレンスでは通常食事と飲み物、そしておやつが無償で提供される。食事は朝食と昼食が提供される上、夜は何回かパーティが開催されるので、夕食代も浮くことがある。しかも、朝8時半から夜6時までセッションがあるから、まじめに出席するとお金を使う暇は全くない。
初日は「Attendee Party(参加者パーティ)」で、スポンサー展示会場での立食パーティがある。ここ2、3年は展示会場も小さく参加企業も縮小傾向にあったが、今年は多くの企業がブースを出していた。米国の景気回復も本物のようである。もっとも以前紹介したとおり、IT業界の成長率は相対的にはそれほど高くないそうだ。
最終日の前日は、ユニバーサルスタジオでのパーティである。現在、オーランドのユニバーサルスタジオには2つのテーマパークがある。そのうち1つがTechEd参加者のためだけに貸し切られた。いくらTechEdの参加者が過去最高だといっても、所詮1万数千人である。別料金を払うと家族参加もできたのだが、それでもせいぜい2万人だろう。そのため、長くても30分待ちですべてのアトラクションを楽しめた。食べ物や飲み物の屋台も出ており、これらもすべて無料である。もちろん、これらの費用は参加費(1人1995ドルだが早期割引だと約1695ドル)で補填されるのだが、どう考えても赤字である。マイクロソフト様、ありがとう。
ちなみに日本でも同じイベントが8月にパシフィコ横浜で開催される。こちらもパーティが開催されるが、隣接の遊園地を貸し切りというわけにはいかないようである。
●TechEdで英語をしゃべる
ところで、パーティには「おしゃべり」がつきものである。「パーティ・トーク」という言葉があるくらいで、初めて会った人でも世間話を続けるのだ。筆者もそうだが、日本人はこのパーティ・トークが苦手である。どこから来たの? 誰と来たの? どこに勤めているの? 興味のある分野は何? 家族は? というのが定番の会話だが、英語力の問題もあってなかなか話が続かない。
パーティ・トークに比べれば技術的な議論の方がずっと簡単である。もう少し英語力を付けようと、英会話学校にも通っているが大して変化はない。知人に言わせれば「根性のない人はどんな方法でも駄目なのよ」ということだ。ちなみに彼女は日本で生まれ日本で育ったが「普通に」英語をしゃべれる。悔しいが言い返せない。
日本人以外に、英語が苦手な国民といえば韓国だそうだ。日本と韓国の共通点は、大学進学率が高いことである。韓国の大学進学率は約80%(*1)、日本は50%程度(*2)である(いずれも短大含む)。中国が約15%、香港が20%というから、相当な差がある。そもそも日本と韓国以外では、高等教育の授業の多くが英語なのだそうである。高等教育が大衆化していないため、英語の授業が成り立つのだろう。ただし、母国語での高等教育は、エリートを生まない代わりに平均レベルを押し上げる。インドのように、一部のエリートが国を支えるのと、日本や韓国のような状況のどちらがよいかというのは一概には言えない。
優秀な経営者やエンジニアは、こうしたパーティで人脈を広げるようだ。アスキー創業者の西和彦氏は、飛行機で偶然隣に乗り合わせた稲森和夫氏(京セラ創業者)の会話の中で新しいポータブルPCを提案し、実現させたらしい。製品の発売はNECから行われ、PC-8201という型番となった。米国ではTandy 100という名前でTandy社から発売され、一時は記者必携のツールとなった。筆者にはちょっと真似できないが、それくらいの意気込みで人としゃべりたいものだ。
ちなみに、PC-8201のプロジェクトはビル・ゲイツが実際にプログラムを書いた最後の製品だという。このプロジェクトで、自分よりも優秀なプログラマを見て引退を決意したとか。
●TechEdに見る女性比率
TechEdで、以前から気になっているのは女性の数である。数少ない筆者の経験では、米国の技術カンファレンスやセミナーの出席者で、女性の比率は2割から3割である。技術分野にもよるが、日本の場合は1割に満たないような印象があるので、米国での女性比率はかなり高い。
ところが、講師の割合となると話が変わる。2005年米国TechEdのセッションスピーカで、Webに登録されている人は518人いた。このうち、女性(と思われる名前)は数名であった。実際、筆者が参加した過去のセッションで女性のスピーカは皆無である。一方、2004年日本のTechEdのセッションスピーカは78名中10名と1割を軽く超える。講師に限定すれば男女平等は日本の方が進んでいるのである。いうまでもなく、社会的には米国の方が「男女平等」がずっと浸透している。しかし、分野を限定すれば、日本の方が進んでいることもあるのだ。
女性といえば、日本の場合、結婚して姓を変える人が多い。ところが、姓を変えることで、それまでの知名度が失われてしまうこともある。荒井由実(松任谷由実)のように、継続して活躍できる人もいるが、少数派だろう。同じ分野で継続して活躍したいのであれば、同じ姓を使い続けることをおすすめする。逆に、姓を変えることで自分の専門分野を変えてしまう方法もある。ある程度知名度が出てしまった人は同じ仕事しか来ないことが多い。姓を変えることで継続性を断ち切り、新しい分野に挑戦するのも悪くないと思う。
筆者の知人には圧倒的に夫婦別姓の人が多い。事実婚の人もいれば通称使用の人もいる。あまり知られていないが、相手先の招待状があれば旧姓(通称)でパスポートを取得することも可能である。ところがIT業界の知人にはなぜか夫婦別姓が極めて少ない。たまにいても、転職と同時に夫婦同姓にしてしまう。同じように活躍していても「そういえば、昔活躍していたXXXさんは最近見かけないな」「この仕事はXXXさんに依頼したいのだけど最近見ないのは引退したのかな」などと思われては損である。昔のように、同じ会社に在籍し続けるのであればいいだろうが、現在では自分の名前が失われるのは大きな損失だと筆者は思うのであるが、男女を問わず賛同者は少ない。残念である。
●海外に行くこと
TechEdに限らず、海外に行くことはそれだけで価値がある。いくら通信技術が発達しても、自分で体験しなければ分からないことは多い。技術情報の入手に国境はない。しかし、生活には国境はある。たとえば最近のWindows Serverのテーマである「ブランチオフィス(支店)」について考えてみる。明確には記されていないが、どうも米国で「ブランチオフィス」というと、全米に広がった数百以上の各拠点を指すようなのだ。せいぜい10や20だと思ったら大間違いである。こういう言葉のニュアンスは、生の言葉を聞くのが一番である。
英語はどうも苦手で、という人も多いと思うが、重要なことはまず実行することである。江戸末期から明治の日本人のことを考えてみて欲しい。当時の武士階級では漢文の知識が普及していたため、中国語の読み書きはだいたいできたのではないかと思う。しかし、ヨーロッパについてはオランダ語が一部に普及していただけで英語に精通した人はほとんどいなかったはずである。それでも、単身留学し成果を上げて帰ってきたのだ。
参考までに筆者の英語力を披露しよう。数年前の結果だがTOEFL 490点、TOEIC 560点である。これだと対面である程度の意思疎通ができるものの、一方的にしゃべられたり、複雑な話をされたりすると理解できない。それでも技術カンファレンスに出席し、ある程度の内容を理解し、日本で伝えられるのは、専門領域に精通しているからであろう。多くのエンジニアは、自分の専門分野技術についての英文ドキュメントを読んでいると思う。もしそうなら、海外のカンファレンスに出席しても大丈夫だ。きっと得るものがある。
ところで自分の英語力が貧弱であることを伝えるのに「My English is not good」「My English is bad」「My English is poor」などという言い方もできるが、少々直接的なように思える。特に他人に対して「poor」というのはかなりばかにしているし「英語のドキュメントも読めない」という感じになってしまう。もう少し婉曲な言い方も覚えておこう。これだと他人に対しても使うことができる。
My English ability is (very) limited.
*1 月刊誌『海外子女教育2007年11月号』
http://www.joes.or.jp/g-kaigai/zaigai/2007.11-1/n3186.html
*2 文部科学省「平成16年度学校基本調査速報」
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04073001/
●Web公開のためのあとがき
実際に「My English ability is (very) limited」と言うと、かなりの確率で大笑いされた。ネイティブスピーカの解説によると、かなり洗練された表現なのだそうだ。「そんなスマートな表現ができるのに、英語ができないなんて面白いことを言う人ねえ」と思われるらしい。
さて、筆者の通っていた私立中学は、実践的な英語力を身につけさせようという風潮が強かった。英語の先生たちは全員英語をしゃべる。当たり前のようだが、日本の学校ではかなり珍しい(らしい)。実際に海外とのつながりもあったようで、放課後にネイティブ・アメリカンのグループとの交流会が開催されたこともあった。筆者も参加してフォークダンスを踊った。なぜそうなったかは今でも謎である。
副教材も多彩であった。中学1年の時は、canの使い方を学習するために、水俣病のことを歌った英語曲が登場した。歌詞には「私たちは立ったり歩いたり走ったりできるが、彼女は立つことも歩くことも走ることもできない。彼女は水俣病なのだ」とあった。もちろん、水俣病の歴史についても取り上げることになった(これは日本語)。また、ある時はキング牧師の有名な演説「I Have a Dream」の抜粋も取り上げられた。実に感動的な演説だった。知らない人は翻訳で良いのでぜひ読んで欲しい。今でも一部を覚えているが、思い出すだけで涙が浮かぶ。
英会話は専門の授業があった。中学2年生のときの期末試験は、道案内だった。地図が書いてあって「郵便局へ行く道順を英語で示しなさい」というものと、道順が英語で書いてあって「目的地を示しなさい」の2種類だった。
もっとも、こうした授業の内容が今の筆者に役に立っているとは思えない。本文中に登場した友人は「そんな授業をしてもらって、なんで海外にもっと目を向けるようには育たなかったのか」と、あきれている。まあ、それには反論できないわけだが、社会問題を考える習慣を付けるようにはなった。その点に関しては感謝したい。