ジョブズが亡くなられて5年も経ったし、イノベーションもうええよ
こんにちは。たのっちです。 いやまぁ「イノベーション」って単語や価値観に対して、完全に食傷起こしてしまっただけなのですが。
イノベーションって、結局のところ何なのよ
昨年の今頃、積読になっていた「イノベーションの神話」を何気なく読んでいたのですが、とてつもなく面白くて。
「イノベーション」という言葉に抱いていたイメージを思いっきり破壊されたのでした。
それ以来、私のなかで「イノベーション」は
枯れた技術の水平思考で
価値観や考え方を一変させてしまった
プロダクト・サービスに与えられる称号
だと思うようになりました。
起こそうとして起こすものではなく、結果として起きたこと。なんですよね。
iPhoneだって3GSか4あたりを境にして一変したと思うのですが、それ以前は「へっ、なんだこのオモチャ」だったのではないかなーと思うのです。
それこそ、iPhone以前はWillcomのWindowsを積んだPHSに未来を感じていたひとが相当数いたと思うのですよ。自分もそうでした。
携帯電話/PHSとWindowsの組み合わせだったのですよ。異種配合だったのですよ。
でも、いまとなっては、あれはイノベーションでもなんでもなかったのだよなぁと思うわけです。目の付け所は、よかったですよね。
イノベーションは起こせないの?
では、イノベーションは起こせるものではないかというと、そうでもないと思うのです。
それこそ「天の時、地の利、人の和」だと思うのです。
いま流行りの機械学習だって、3年くらい前は、まだバズワードにもなっていなかったと思うのです。
それこそコンピューティングリソースを潤沢に使えるようになったからDeepLearningがバズって一昨年あたりから一気に話題になったわけです。他にもいろいろと要素はありますが、そういう「タイミング」って大事だと思うのです。
場所もそう。ジョブズもザッカーバーグもアメリカではなく、ラテンアメリカだったら上手くいったのかという話です。
それに加えて、最後は人。どれだけ良いアイデアを思いつこうとも、共同創業者や協業できる会社がないとうまいこといかないこともあるでしょう。
「アウトサイダー」と「狂気」
タイミングも、場所も大事。でも、それは環境。なかなかコントロールできるものではないです。唯一コントロールできそうなものは、人でしょうか。
身内のなかだけで「価値観や考え方を一変させる」なんて天変地異でも起きない限り無理なわけです。外からの血を入れたりする必要があるのではないかと思うのです。アウトサイダーって大事なのですよ、きっと。某紅白歌合戦出場歌手も、アメリカ生まれのハーフということでアウトサイダーだって公共放送で言ってたし。
そのうえで、アイデアはアイデアのままでは意味がなく、形にすることが必要だし、その形にしたものが受け入れられないといけない。 そのためにはクオリティだって大事だし、営業だって大事だし。それこそ「無理を通して道理を蹴飛ばす」くらいの情熱あるいは狂気がないとブレイクスルーなんて起こせないと思うのです。ムラサキノホノオを吐く巨大不明生物を描ききるような、ね。
イノベーションもうええよ
そんなわけで、輝かしい「イノベーション」と呼ばれるものの裏には泥臭い作り込みや、血生臭いライバルとの争いがあったりして、しんどい展開しかないと思うわけです。
気がついたら一時期そういう狂気を帯びながら、どうにかして突破口を作ろうとするようなこともしていたので。
なので「イノベーション」として語られる美談なんて、ただの神話。そんな神話を崇めるような風潮に食傷してしまったのでした。
いまは、なんかもうイノベーションとかどうでもいいし、ついでだから、SIerとWeb系の比較とか、アジャイルとウォーターフォールの話ももういいかなって。
単純に、自らの情熱を傾けられる仕事に、得意なことで関わりつづけられれば、それで十分幸せなのだろうなぁと思う今日このごろです。