「立つ鳥跡を濁さず」よりも「希望」の用意を
立つ鳥跡を濁さず 辞める者がキレイに去るさま、ってワケだが、ない話だよな
ヨルムンガンド(8巻) 高橋慶太郎
ずっと前に見かけた、マンガでのひと言である。このひと言がずっと僕の心に刺さっていた。だけど、ある人の異動話を聞いて、意外とそうでもないかもしれないと思い始めた。
自分の場合
前職から転職をしたときの話である。自分が転職活動を始めた2010年の冬、サービスを立ち上げようとして1年が経過しようというのに一向に立ち上がる気配がない。皆、仕事に対して閉塞感を感じている。「いくらやっても無駄だ」——そうしたあきらめの空気が開発ルームにただよっていた。
そうしたなかで自分が最初に転職した。周りからはうらやましがられた。
その数カ月後、前職で一緒に仕事をしていたうちの2人が転職をする。リーダーも1年後には転職した。
聞くところに後から入ってきた人もいるとは聞いた。しかし、聞こえてくるのは、相変わらずの芳しくない状況。自分が起こした転職というアクションが引き金となり、携わっていたメンバーがどんどん去っていったのではないか。自分が与えた影響はどれほど大きかったのだろうか。上の言葉の言葉に触れ、自分の行動を振り返ったとき、「立つ鳥跡を濁さず」の難しさを痛感した。
とある担当者の話
そんな転職から2年が経ったある日、自分がコミュニティ活動をする中でお世話になっていたある企業の担当者が、この9月で異動になるという話を聞いた。その話を聞いたとき、その周囲にいた人たちに衝撃が走った。「やだー!」と叫んだ人もいた。
やはり「立つ鳥跡を濁さず」はない話なのかーー僕はそう思った。だが、その異動話の先には、きちんと未来があることに気が付いた。
今年度に入ってから、その異動する担当者の仕事が、後任となる新人さんの仕事になっていった。自分が普段接するのも、その後任の人になっていった。
その後任の方が、仕事を覚えた。「ひととおり任せられるだろう」ーーそうした判断ができたから、ずっとお世話になっていた人が異動できるようになったのではないか。
異動自体、本人の希望なのか、会社の意向かは分からない。だけども、この異動で2人ともさらに成長する機会を得るチャンスが巡ってきたのだ。そう思うと、良い離れ方ができたのだろうなと感じた。
跡を濁さずではない。希望を用意するのだ。
立つ鳥跡を濁さず 辞める者がキレイに去るさま、ってワケだが、ない話だよな。飛んでいった鳥は周りにいた者の心に混乱を残す。なぜ去ったか理解できない者には、鳥は裏切り者に見え、自分も飛びたくても飛ぶわけにはいかない者は、鳥をやたらと羨む
僕の場合は「思いっきり濁しているじゃないか」という誹りを受けても仕方ないだろう。間違いなく「裏切り者」と思われただろうし、「転職できたのか」とうらやましがられただろう。
では、異動する担当者はどうだろうか。「裏切り者」という誹りはないだろう。「いいなぁ」とうらやましがられることはあったかもしれない。異動に際して、周囲には少なからず混乱や衝撃もあっただろう。しかし、その先には担当者や後任の人、ひいては会社にも成長・発展という希望が待っているのではないか。
転職と異動を同列に語るのは、無理があるかもしれない。だが、自分が数年間働いた場所を去るという点においては同じである。そうとらえてみたとき、転職であっても異動であっても、去り際にとっては「立つ鳥跡を濁さず」よりも「希望を用意する」ことの方がもっと大切ではないのかと感じた。
異動する担当者の方には今後の活躍を、後任の方には一緒に盛り立てていくことを願わずにはいられない。