エンジニアは「変人」と呼ばれてなんぼだと思う。

英語偏重が産むグローバル凡人

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■行き過ぎた英語偏重の流れ

 IT業界の某大手企業が社内英語公用語化を宣言した時にもさすがにやり過ぎだろうと思いましたけれども、最近では文科省も会議を英語でやろうなんて言い出してまして、一体あなた方はどこの国の役人だとツッコミを入れたくなったのは僕だけではないんじゃないでしょうか。

 そもそも、会議を英語でやることのメリット・デメリットを考えると、デメリットのほうが大きくないですか。例えば日本語はその性格上、語尾や細かい言い回しなどで表面の言葉そのものには表れない感情を乗せたりします。で、組織内の打ち合わせでもそれは例外ではなく、むしろ日本人はそういう表面上以外の部分を敏感に感じ取ることこそ、直接言葉を交わし合う打ち合わせにおいて重要な要素にしていると思います。

 そしてそれが、日本人同士がコミュニケーションを上手くとる土台であり、日本人特有の、相手の微妙な言葉に表しにくい感情も察知するというコミュニケーション方法を支えているわけです。それが相手を思いやる精神に繋がったりするわけで、去年流行った「おもてなし」の文化だって、日本語を母国語とする文化背景が強く作用していると思っています。

 ましてや、英語ネイティブでもない人が、英語を使って言葉の裏に隠した微妙な感情表現をお互いに伝え合う、なんてことがそうそう簡単にできるわけがありません。すなわち、普段のやりとり全てを英語化しろというのは、日本人らしいコミュニケーションを捨てろということも意味します。ただ単に言語が英語になるという話ではありません。

 そのような状況では、組織が知らず知らずのうちに機能不全に陥っても全く不思議ではありません。

■英語が必要な範囲は限られている

 ITエンジニアの立場から言わせてもらうと、そもそも英語がどこまで必要なのか、という範囲は意外に限られています。

 例えば、最新のプログラミング言語やフレームワークの仕様などは、英語の情報を探すことがほぼ必須です。英語で書かれたドキュメントを参照したり、海外のエンジニアが集まる掲示板を読んだりします。ですから、リーディングの力はある程度必要になります。

 しかし、技術情報の理解に必要なのは大した英語力でもありません。ぶっちゃけ、中学英語に専門用語知識が加わればほとんど足りる程度です。義務教育で真面目に英語をやった人ならさほど苦労しないと思います。分からない単語があってもネットの辞書で調べれば済む話ですし。

 ちなみに以前、海外の取引会社との打ち合わせに出席することになり、会話を聞き取れるか心配しながら出席しましたけれども、相手方の日本支社の人が通訳を兼ねてフォローしてくれたのでほとんど問題ありませんでした。身構えてたのでちょっと拍子抜けしました(笑)

 もちろん、それは通訳を務める人を付けてでも打ち合わせしたいと相手が思ってもらえるような技術力やビジネス上の優位性を持っていたからと言うことも出来るでしょう。

 でもよく考えたら、海外と取引するということは、世界に通用する技術力やビジネス上の優位性を持っているという前提がなければ意味が無いのではないでしょうか。英語が話せるから取引したい、なんてことはありませんよね。

■もしサッカー選手だったら

 例えばあるプロサッカー選手がいたとしましょう。その選手はチーム内でも技術は低い方で、国内の試合でもいまいちパッとしない選手だとします。

 ところが、その選手が「世界的な活躍には英語が必要だ」なんて言って英語の勉強にせっせと時間を使うとしたら、「おいおい、それは違うだろ」と思いませんか?「まずはサッカーの技術を磨くのが先だろ」って。

 もちろん、スポーツマンの世界とビジネスマンの世界を単純に比較はできませんけれども、まだ国内どころか自分の会社内ですら認められるレベルでもないのに、英語に多大なる時間を割いたりするのって、これってどうなんでしょうか。

■結局生まれるのは「グローバル凡人」

 もう一歩突っ込ませてもらうと、そもそも英語が母国語の人達と比較するならば、いくら英語が上手くても何のメリットでもありません。そもそも長所であるとすら見なされません。当然です。

 よく「グローバル人材」なんて言葉が使われますが、自分の時間を犠牲にして英語につぎ込んで、ネイティブ並みにペラペラ話せるようになったとしても、単にそれだけだったら世界基準では凡人、すなわち「グローバル凡人」です。

 グローバル人材を育てるという言葉がほぼ英語力強化とイコールなのであれば、結局はグローバル凡人を育てているに過ぎないことになります。

■ウォークマンを思い出すと

 昔、世界中を席巻したウォークマンですが、ソニーの創業者盛田氏は片言のたどたどしい英語で海外に売ったといいます。また、デジタルカメラも、つたない英語しか話せない営業マンが海外の出展会に持参したが、人だかりができて訪れる人が絶えなかったといいます。

 それらの日本製品が世界に認められたのは、別に社員が英語ができたからではないでしょう。「世界に通用するために言語が障害」というセリフは実に頻繁に目にし耳にしますが、果たして本当ですかね?

■グローバル化絶対主義を疑う

 そもそも、グローバル化を絶対視し100%善とみなす風潮自体、一度立ち止まって再考すべきであるように感じます。なんでもかんでも海外の方がいい、海外に合わせればいいというものではないでしょう。本来ケースバイケースであるべきものです。「グローバル化は避けられない」という言葉を目にしたり耳にしたら、本当にそれは正しいのか、もしかしたら、都合のいい方針を押し通すためにグローバル化という言葉を利用していないか、考えてみたほうがいいでしょう。

■一人のエンジニアとして

 さて、色々書きましたが、一人のエンジニアとして英語とどう向き合うべきかと考えると、次のように考えられると思います。

  • 技術力のほうが英語より優先順位は上。
  • もし既に日本国内でどこでも認められる技術力を持っているならば、英語に時間を注ぎ込んでもいい。
  • 海外と直接やり取りする部署に配属になったとか、そういう場合は仕方ないから、できるだけ最低限の勉強で済ます。
  • もちろん英語が趣味ならどうぞお好きに。

という感じですかね。今すぐ英語に時間を注ぎ込む必要がある人は、かなり少数でしょう。

 エンジニアの皆様のキャリアが充実したものとなるよう心からお祈りいたします。

Comment(1)

コメント

仲澤@失業者

そう言えば何年か前に、成毛眞(元マイクロソフト日本法人社長)さんが、

「日本人の9割に英語はいらない」

という題名の本を出してましたね。
この本のオビには

「英語ができても、バカはバカ」

って書いてありました(笑)。

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