町工場から大企業、そして派遣社員も経験した現役派遣社員の壮絶体験

本配属編!その16 まるで病院の待合室

»

私は今の状況を親に相談しました。「もうあんな会社冗談じゃねえ!」。両親も自分の顔つきを見て気づいていたようで止めることはしなかった。「まずは職業安定所にいってみろ」と、オヤジに言われた。今でこそハローワークなんて英語の呼び方だけど、自分たちの頃は職業安定所。略して「職安」と呼ばれていたのだ。当時は平日しか営業していなかったのだが、自分の休みは勝手に決められていて、だいたい平日だったので職案に行ってみることにした。

職安に行ったことがある人ならわかると思うんだけど、あそこは絶対に行くもんじゃないですね。転職や失業を経験している自分にとっては今でこそハロワには何度も通ったのだが、ほんとに異様な空気が流れている。仕事も探さずに頭を抱え込んでうなだれている人、ハロワの職員に八つ当たりしている人、まるで病院の待合室というか、そんな感じなんです。しかし、いつの時代でもハロワの中は超満員ですよね。ちなみにこのころはまだバブルの影響も続いていたので仕事などは腐るほどあった。職員に製造の仕事を紹介してもらったのだがあまり乗る気もせず、資料だけを持ち帰った。

結局、今の会社で学んだことって何があっただろうか?1年半も居てまったく仕事のスキルも人間も進歩していなかったのかもしれない。どうしても一つ、身についたものを挙げるとすれば、それは溶接が上手になったことだろうか。アーク溶接ってやつです。やる気がない、周りとのコミュニケーションもとれない、そんな私がやっていた仕事は溶接でした。毎日のように使用済みの劣化した部品を現場の人たちが修理依頼で私の居る部署に持ち込んでくる。その部品の欠けた箇所などを溶接で穴埋めしてから盛り上がった個所を綺麗にサンダーで研磨して完成させるという仕事だった。これを毎日のように私がやらされていたのだ。気が付けばベテランの人たちよりも上手に溶接ができるようになってしまっていた。直径3㎝位の穴でも溶接で埋められるようになっていたのだ。これが私にとって唯一身についた技術というか、技能でした。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する