罪と罰(13) ハーモニー
私たちのプロダクトの名前は、<ハーモニー>と決定した。メンバーからいくつかの候補を出してもらい、「就活くん」のようなセンスのない名称を除外した後、最終的には無記名投票で決めた。決定したとき、この名称の提案者であるマサルは、さすがに嬉しそうに声を上げて笑っていた。
名称を決めたのは、GWの終わりと同時に、プロジェクトAがいよいよ本格的な実装フェーズに突入するからだ。パッケージ名や、ロゴマークなど、名称が決まっていないと何かと不都合が多い。
すでに美和学院大学以外に3つの大学が、私たちの、まだ実装を開始したばかりのプロダクトに対して、興味を示してくれていた。いずれも、美和学院大学のキャリアセンターから、口コミで話が伝わった結果らしい。荒木准教授が大学関係者同士のネットワークで「うちの大学ではこういうことをやっています」と、宣伝をしてくれた効果も大きかっただろう。その気になれば、まだまだ「予約注文」を受けられそうだったが、五十嵐さんは当面の間、この4大学の要望を満たすことに集中すると告げた。
「最初からあまり詰め込みすぎると、実装が間に合わない可能性もあるからな」五十嵐さんは理由を説明した。「まずは、動くものを作ることを何よりも優先させよう。しばらく残業が続くと思うが、ここが正念場だ。死にものぐるいでがんばってくれ。ただし、本当に死ぬなよ」
もはや五十嵐さんを崇拝していると言ってもいいぐらいのメンバーたちは、その言葉通り、一心不乱にコーディングを行っていた。
3バカトリオがサーバサイドの構築を担当。学生たちが使用するのはタブレットだが、管理者、つまりキャリアセンター職員が使用するのは、通常のブラウザで動作する画面だ。基本的にメンテナンスはPCから行うので、従来型のWebアプリケーションを作らなければならない。
マサルとクミは、Flash BuilderでAIRアプリケーションを作成する。マサルとクミが画面や仕様をラフデザインし、メンバー全員の簡単なブレインストーミングであれこれ足し算引き算をした後、改めて2人で実装を行う。私も3割ぐらいの画面を担当しているが、コアとなる機能は2人に任せることに決めていた。
私は全体のマネジメントに加えて、メンバーのコーディング上の相談に乗ったり、テストケースを考えたりしている。傍から見ていたときは、リーダーというのは指示だけしてればいいように見えたものだが、自分がその立場に立たされてみると、ほとんど雑用係でしかないのがわかる。別の言い方をすると、メンバーが実装に専念できるように、あらゆる妨害に対して身体を張って立ちふさがる生きたファイアウォールのようなものだ。
妨害のいくつかは、武田さんや久保さんたちからのものだった。 いくつか残っていた他の開発案件は、全て引き継ぐか、終わらせるかしてある。それなのに、引き継いでくれた武田さんや久保さんは、引き継ぎ完了後も、しばらくの間、なんだかんだとどうでもいい質問をしてきては、私たちの時間を消費していた。私は「質問はまず私を通してください」とお願いして、それらの攻撃を可能な限り防いでいた。しかし、私も血の通った人間なので、食事や各種生理現象のために離席することは避けられず、敵はそうした瞬間を巧妙に狙っては若手メンバーたちに、直接攻撃を仕掛けてくるのだった。
最初のうちは、軽い嫌がらせ程度だったのが、次第にその頻度を増してきて、やがてAチームメンバーの実装作業に影響が出始めた頃、五十嵐さんが業を煮やした。
私がファイアウォールだとしたら、五十嵐さんはICEか攻性防壁そのものだった。相手は職場の先輩、という遠慮があった私と違って、五十嵐さんの攻撃は容赦なかった。
「君たちはベテランなんだろう」ミーティングの席で、五十嵐さんは武田さんと久保さんを名指しで非難した。「それぐらいのことを自分でこなす能力もないのか?そういうのを給料泥棒と言うんじゃないのか?」
武田さんたちは苦い顔で沈黙していた。
「今後、引き継いだ業務に関して質問がある場合は、内容を質問票に書き起こして、中村課長の承認を得た上で、私に持ってこい」五十嵐さんはさらに続けた。「直接、Aチームに持っていったら、業務の正常な遂行の妨げとみなして、処罰を検討するからな。いいか。これを脅しだと思う奴は、ぜひ自分で試してみろ。それから、このことで、Aチームに先輩風を吹かせて圧力をかけたりしたら、私は本気で怒るからな」
「まあ、五十嵐さん、それぐらいで」中村課長がとりなすように言った。「武田くんたちも悪気はなかったと思いますから」
五十嵐さんは中村課長をじろりと見たが、とりあえずメッセージは伝わったと考えたらしく、うなずいて口を閉じた。
「じゃあ、他になければ、これで終わりますか。ああ、管理職の評価が始まるから、いつもの通り自己評価の提出を忘れないように」
一般社員の評価が一段落すると、続けて管理職の評価が始まる。おそらく実体は、一般社員と変わらず、なれ合いと妥協で最終的な評価が決められてきたのだろう。
「ああ、そのことだが」再び五十嵐さんが口を開いた。「今回は私が評価を行うので、そのつもりで。中村課長にも同席はしてもらうがね」
「ちょっと待ってください!」武田さんが狼狽した口調で叫んだ。「そんなことをいきなり言われても困ります」
「何が困るんだ?」五十嵐さんは対称的に冷静だった。「君は評価の担当者が誰かで、自分の自己評価を変えるとでも言うのか?」
武田さんは目を白黒させて言葉に詰まった。それを見た隣の久保さんが、同じように少し狼狽した様子で助け船を出した。
「失礼ですが、五十嵐副部長は2月にこちらに来たばかりです。昨年の10月からの、私たちの成果について、正確な評価が下せるとは思えませんが」
「それに」村瀬さんも追随した。「一次評価は、直属の上長が行うことになっているはずです」
「評価規程によると、正当な理由がある場合は、二次評価者、または同じ部門で上位職位にある者であれば、一次評価を変わって行うことができる、とある。ちゃんと規程には目を通しておけよ」
「いや、そういう規程があるのは知っていますが」と久保さん。「それは長期入院とかそういう事態を想定してのことでしょう。この場合、正当な理由ってなんですか?」
「中村課長には、君たちのエンジニアとしてのスキルと成果を、正確に評価する能力がない」五十嵐さんは、中村課長を目の前にして、全く躊躇することなく言い放った。「まあ、当たり前だがな。これまで、Webアプリケーションを作ったこともない人なんだから。だが、今年の君たちは幸運だ。私がいるからな。正確な評価を受ける絶好のチャンスだ」
武田さんたちが自分たちを幸運だと思っていないのは、その顔を見れば明らかだった。
「なに、心配することはないさね」五十嵐さんは意地悪な魔女みたいに、クスクス笑った。「私は、誰かと違って、あくまでもビジネスライクに、エンジニアとしてのスキルのみを測定する。自分がスキルに相応の仕事をしていると自負しているなら、何ら恥じることはないだろう」
五十嵐さんが、Aチームに対する武田さんの評価について皮肉っているのは明らかだったが、誰もその点に触れようとしなかった。武田さん自身、不快そうな表情で横を向いている。
「まあ、そういうことだから」中村課長は内心の思いはどうであれ、表面上は平静さを崩さずに淡々と告げた。「評価シートは五十嵐副部長宛に提出するように。他にはないか?じゃあ、これで」
管理職として五十嵐さんの評価を受けることになるのは、中村課長、武田さん、久保さん、村瀬さん、そしてカスミさんだ。5人はそれぞれ、憤懣から諦観までの様々な表情で立ち上がった。
ミーティングルームからオフィスエリアへ戻りながら、私はカスミさんに話しかけた。
「なんかそっちも大変ですね」
「そうねえ」カスミさんは肩をすくめた。「まあ、私は書くこと決まってるし、評価する人が誰だろうと、あまり関係ないから」
「確かにそうですね」
カスミさんは、ほぼ東雲工業の仕事しかしていないので、目標を決めるのに悩むことがあまりないらしい。やっていることは、VB6+OracleのC/S型システムの保守なので、技術的な面で言えば、質も量もAチームの誰よりも低い。だが、毎月大なり小なり何らかの仕事があるので、きっちり利益も出しているし、「全部のソースの全部の変数名は頭に入ってる」と言うだけあって、急な修正依頼でも迅速に対応しているため、顧客からの絶大な信頼を得ている。具体的な額は知らないが、管理職待遇の年俸制なので、給与の手取額は私よりもずっと高いはずだ。
「武田さんなんかは、ちょっとパニクってるかもね」カスミさんは、仏頂面で歩く武田さんを横目で見ながらつぶやいた。
その翌週から、管理職の評価面談が行われた。トップバッターは武田さんで、五十嵐さん、中村課長と一緒にミーティングルームに消えていき、2時間が経過しても戻ってこなかった。
「いくらなんでも遅いわね」さすがに心配になったらしいカスミさんが囁いた。「中で何か起こってなきゃいいけど」
「何かって?」
「さあ......たとえば、五十嵐さんの胸にナイフが刺さって、武田さんが血まみれになってるとか」
「2時間ドラマ開始後30分あたりの状況みたいですね」
そう言ったものの、私も少し心配になってきた。何か、口実を作って様子を見にいくべきか、などと考えていると、ようやくオフィスのドアが開き、五十嵐さんと中村課長が戻ってきた。五十嵐さんは普段と変わりなかったが、中村課長はぐったりと疲れた顔をしていて、課長席に崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「課長」久保さんがおそるおそる声をかけた。「武田さんは?」
「彼なら喫煙室に直行したよ」答えたのは五十嵐さんだった。「何か用事なら、呼びに行けよ」
「いえ、別に......」
10分後、戻ってきた武田さんは押し黙ったまま、自席に着くと、そのまま何も言わずにキーボードを叩き始めた。久保さんが何か声をかけたが、顔すら上げなかった。
しばらくして五十嵐さんが立ち上がって、私たちの方へ歩いてきた。
「ちょっと、Aチームメンバー、聞いてくれ」
「あ、ミーティングなら、場所、取りましょうか?」私は訊いたが、五十嵐さんは首を横に振った。
「いや、すぐすむから。明日からしばらく、ミーティングは君たちだけでやってくれ。もう実装に入ってることだし、リーダーの箕輪さんに任せる。俺がいなくても大丈夫だろ?」
私たちは顔を見合わせた。確かに、要件のゴールはかなり明確になってきているし、細かな仕様は実装しながら決めていけばいい。ミーティングでも、進捗確認ぐらいしかやることはないから、支障はないだろう。だが、いきなり言われて、メンバーたちは不安そうな顔になった。
「私は少しの間、他の部員のサポートに回ることにした」五十嵐さんは、親指を肩越しに武田さんたちの方に向けた。「どうにもあっちは問題だらけのようだからな」
私たちに向かって話していても、もちろん声は全員に聞こえているから、五十嵐さんの言葉を聞いた久保さんや村瀬さんは、ムッとしたような顔をこちらに向けた。
「進捗はメールしておいてくれればいい。質問や、トラブルなんかは状況に応じて、自分たちで解決するか、俺に訊きにくるか判断してくれよ。じゃあ、箕輪さん、任せたから」
「はあ」
五十嵐さんはそれ以上、何も説明をせずに、戻っていった。残された私たちは、その後ろ姿を見送るしかなかった。
「なんなの?」カスミさんが小声で訊いた。
「さあ」私は首を横に振った。「わかりません」
あえて普通の声量で答えたのは、Aチームのメンバーたちも同じ疑問を抱いたらしく、質問したそうな視線を一斉に向けてきていたからだ。
これまで、この会社での五十嵐さんの役割というか目指すゴールは、Aチームをきちんと利益の出るチームにすることで、Webシステム開発部の存続を勝ち取ることだと思っていた。そのために年長組の干渉を排除し、過去の因習にとらわれない独自のやり方ができるような環境を整備する。それがうちの会社の将来を担う財産になれば、イニシアティブの実績となる。だから五十嵐さんの関心はAチームに集中し、過去のやり方にこだわる年長組については、ほとんど無視しているように見えた。
それなのに、五十嵐さんが年長組のサポートに回ると宣言したことには、少しばかり驚かされた。それはAチームの他のメンバーも同じ思いらしい。
五十嵐さんの意図が明らかになるのは、もう少し後になってからのことだった。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
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予想外の展開ですね。今回も楽しんで読ませていただきました。
今更ながら、sfの造詣も深いですね。ブリンに続いてサイバーパンクですね。
ab
五十嵐さん、別に味方を増やす必要はない。
だから頼むから敵を増やさないでくれ。
user
週初の楽しみで毎回拝読させて頂いております。
五十嵐さんがAチームだけでなく、年長組側でも成果を出す方針に変わるということでしょうか。
若しくは、武田さんが五十嵐さんの弱みを握って脅迫してきた…とか2時間ドラマ風な展開に…?!
来週が待ち遠しいです!
elseorand
今回のシリーズはいつも通り楽しいのですが、
希望が持てる方向性のため、ページを開くのが精神的に重くありませんね。
組織的に新しいことを学ぶ動きが作られるととてもいいですね。
そういう意味で技術的嗅覚はともかくとして、中村課長の行動は一貫していて、
好感が持てますね。
匿名
今回の中村課長、ほとんど空気だったいつぞやの磯貝課長よりは活躍してますね。
五十嵐さんと他メンバーとの緩衝材として・・・。
個人投資家
社内の人事考課を社外の人間に委ねるというのは、会社の組織としての序列を乱すものなので、ことの是非は「中村課長にプログラミングのスキルがあるかないか」ではなくなります。
中村課長は五十嵐氏が人事考課を行う事に対して上司(部長あるいは事業部長)の決済をもらっているんですかね?
中村課長の服務規程違反になるので、コンプライアンスの問題になりますよ。
sudo
五十嵐さんが(外部の人間とはいえ)上位の職位であること、
五十嵐さんに人事権以外のほぼ全ての権限があること、
瀬川部長が五十嵐さんに入れ込んでいることからどうとでもなるのでしょうね。
wwJww
「ハーモニー」ですか。
JOBRASS と同じようなコンセプトの命名ですね。
れっく
就活くんってそんなにセンスないかなぁ。
何のシステムか分からんやつよりいいと思うけど…。