朝比奈イズミは静かなクリスマスを過ごしたい (終)
日曜日の午前9 時過ぎ、イズミは浦賀方面に向かう京急線に揺られていた。クリスマス前の最後の休日であり、快晴に恵まれたこともあって、車内は賑わっていた。乗客にカップルか親子連れが目立つ。おそらく金沢八景駅でシーサイドラインに乗り換えて、八景島シーパラダイスに向かうのだろう。イズミの降車駅も金沢八景駅だったが、目的地は違っていた。
金沢八景駅で降りると、一緒に降車した乗客の大半は、シーサイドラインへの乗り換え通路に向かったが、イズミはそのまま駅の外のバス乗り場へ足を向けた。イズミの姿を見て、バス停の椅子に座っていた男女が立ち上がり、女性の方が小さく手を振った。
「朝比奈さん」
「おつかれさまです」
イズミを待っていたのは、吉村夫妻だった。すぐにバスが到着する。3 人は空いた車内の後部に座った。
バスは海の公園とは反対方向にゆっくりと走っていき、やがて商業施設よりも住宅が目立つ区域に入っていった。何度か停車したバス停でも乗降車する客は数えるほどだ。
15 分ほど乗った後、3 人はとあるバス停で降りた。
「ここから歩いて10 分ぐらいです」モエが告げた。
風は冷たいが、日差しが心地よく、運動不足になりがちなイズミにとっても歩くのは苦にならなかった。3 人は仕事や会社のことを話題にしながら閑静な住宅街の中を歩いていった。
「ここです」
モエが足を止めたのは、「まつおか乳児院・保育園」と表札が出た大きな白い建物だった。モエがインターホンに名乗ると、すぐにガラス戸のロックが解除されるモーター音が聞こえた。
エントランスで靴をスリッパに履き替えていると、隣接する事務室から、職員らしき女性が出て来た。
「どうも、吉村さん」
「おはようございます」モエが丁寧に一礼した。「今日はよろしくお願いします。こちら、今日、お手伝いしてくれる朝比奈さんです」
「よろしくお願いします」職員の女性はイズミに一礼すると、モエに向き直った。「じゃ、こちらでお願いします」
3 人は職員について階段を昇った。吉村もモエも戸惑うことなく歩いていく。イズミは物珍しさからキョロキョロしながら後を追った。
「宇都さんは?」
途中でモエが訊くと、職員は微笑んで答えた。
「もういらっしゃってます。お着替え終わったころかな」
モエはイズミを振り返ると顔を寄せて囁いた。
「実は、朝比奈さんが来ることは言ってないんですよ」
「言ってないんですか? どうして」
「その方が面白いじゃないですか」モエはクスクス笑った。「あの宇都さんが狼狽する姿、見たくないですか?」
「人が悪い」
3 人は<交流室2>と書かれた部屋に案内された。ドアの二箇所にロックがあることに、イズミは気付いた。一つは通常の腰の高さだが、もう一つは天井近くに。
「ここでお着替えお願いします。荷物はそちらのロッカーにどうぞ。携帯とかスマホは持ち込みできませんので。時計とか指輪も外してくださいね」
職員が急ぎ足で去って行くと、3 人はそれぞれロッカーを選んでバッグやコートをしまいこんだ。着替えといっても、用意されていたエプロンを着けるだけなのですぐにすんだ。部屋の隅に洗面化粧台が設置されている。イズミは吉村夫妻に続いて、手洗いとうがいをすませ、最後にマスクをつけた。
部屋を出て、元の事務室に戻ると、モエが先ほどの職員と短く会話した後、別の階段を指した。
「こっちです」
2 フロア分の階段を昇ると、モエは<大プレイルーム>と書かれた矢印の方向に進んだ。<大プレイルーム>は廊下の突き当たりにあった。二箇所にドアがある。モエが片方のドアを開けた。とたんに喧噪がイズミの耳を打った。
<大プレイルーム>は150㎡ぐらいのフローリング空間で、すべり台やままごとキッチンセット、大型ブロックなどが置かれていた。ドアの反対側はテラスになっているようで、柔らかな陽光が差し込んでいる。窓のない隅に、一般家庭では置くのが難しい大きさのクリスマスツリーが鎮座し、LED ライトがゆっくりと点滅を繰り返していた。ツリーの足元には、アンパンマンやバイキンマン、ミニオン、スティッチなどのぬいぐるみがいくつも並んでいる。
室内では、20 人前後の幼児が奇声を上げながら、所狭しと走り回っている。イズミたちの姿を見つけると、たちまち数人が駈け寄ってきた。
「もえちゃーん!」
「おー、ジュンちゃん、コウスケ」モエが膝をついて両腕を広げると、子供たちが歓声をあげて飛びついた。「わあ、元気だね」
吉村も同じように一人の男の子を受け止めていた。会社では見たことがないような笑顔が浮かんでいる。別の男の子と女の子が合流し、吉村の両手を引っ張って連れていってしまった。
立ち尽くしていたイズミの袖を誰かが引っ張った。視線を下に向けると、イズミの腰ぐらいの背の女の子が、イズミをじっと見つめている。
「おばちゃん、誰?」
その呼称にややショックを受けながらも、イズミは視線を合わせるために座った。
「ユカちゃん、このおばちゃんはね」モエが、おばちゃん、を強調して代返した。「アサヒナさん、っていう人だよ」
「ふーん」
女の子はしばらくイズミを観察していたが、不意に踵を返すと、どこかに去って行った。茫然としているイズミに、モエが笑いかけた。
「ここでは、ボランティアの人は、みんな、おばちゃん、おじちゃんなんです」
「モエさんは、もえちゃーんって呼ばれてたようですけど」
「まあ、私は人気者なので。朝比奈さんも週一ぐらいで通って、顔をおぼえてもらったら、いずみちゃーん、に昇格するかもしれませんよ」
「......」
吉村の方は、と探すと、いつの間にか部屋の中央で、新聞紙を丸めた剣を握った数人の男の子たちと戦っていた。中には二刀流の子もいて、吉村は半ば本気で防戦しているようだ。
「ねえ、おばちゃん」
振り向くと、さっきの女の子が、いつのまにかイズミの元に戻ってきて、絵本を差し出していた。
「読んで」
当惑して顔を上げると、モエが頷いていた。
「わかった」イズミは周囲を見回し、比較的喧噪の少ない場所を探した。「じゃ、あっちで」
歩き出すと、女の子は当然のようにイズミと手をつないできた。もみじの手から伝わってくる温もりは、柔らかく純粋で、世間体や忖度とは無縁の、イノセントそのものだ。幼い頃は誰でも持っていたはずの天から与えられたチケットを、いつのまにか知識や経験と引き換えに失ってしまったんだな、と、言いようのない悲しみを感じずにはいられなかった。
ツリーの近くの壁際に腰を下ろすと、ユカという少女は、ぴったり身体を密着させて隣に座った。イズミは絵本を開いた。
「ぐりとぐらのおきゃくさま」自分の緊張を出さないように注意しながら読んだ。「もりでゆきがっせんをしていた、のねずみのぐりとぐらは、ゆきのうえに、おかしなあなをみつけました......」
読みながら視線を落とすと、ユカはくつろいだ様子で絵本に集中していた。イズミは20 年ぶりぐらいに読む絵本の、ひらがなとカタカナばかりの文字列を、噛まないようにゆっくり拾っていった。
数ページ読み進めると、近くで床を這っていた一歳ぐらいの男の子が、興味を惹かれたのか、イズミの膝によじのぼってきた。うっかり落としてしまっては大変、とヒヤヒヤしたが、一緒にいた職員がすぐ近くで見守ってくれていることに気付いた。イズミは安心してページをめくった。
絵本を読み終わったとき、オルガンの演奏で「ジングル・ベル」が聞こえてきた。どこかにオルガンがあるのかと思って探したが、職員がタブレットとBluetooth スピーカーを椅子の上に置いていた。子供たちは一斉に動きを止めて、音楽の方に顔を向けた。
「はい、みんな集まってー」女性職員が音楽に負けない大声で呼びかけながら手を叩いた。「みんな集合だよー。大きい子は小さい子を連れてきてあげてね」
子供たちは、おもちゃを放り出して走り出した。中には足が悪いのか歩くより遅いスピードしか出せない子もいたが、職員がさりげなくサポートしている。モエと吉村も、遊んでいた子と一緒に集合していた。膝に乗っていた子を、職員が抱き上げてくれたので、イズミはユカと手をつないで合流した。
「みんなー」MC 役の職員が大げさな身振り手振りを交えながら告げた。「よく聞いてね。みんながいい子にしてたから、まつおかに昨日お手紙が届きました。誰から来たのかというとね、それはなんと......」
「サンタさん!」一人の女の子がフライングして叫んだ。
「......そう、サンタさんからだったんです。ヒナちゃん、よくわかったねえ。そのお手紙にはこう書いてありました。まつおかのみんな、サンタです。みんながいい子だって聞いたから、今年もまつおかにプレゼントをお届けに行こうと思っています。シャンシャンシャンって音が聞こえたら、窓を開けてね。サンタより」
MC が合図すると、音楽が止まり、照明が消された。いつのまにかテラスのガラス戸にはカーテンが引かれている。
「あ、何か聞こえてきたよ」MC は耳に手を当てた。「みんな、シー、だよ。聞こえるかな」
複数の鈴の音が窓の外から聞こえてきた。はじめ小さかった音は次第に大きくなっていく。
「じゃあ、窓をあけるから、みんな、大きな声で、サンタさーん、って呼んでね。いい、いくよ? せーの」
職員がカーテンを開け、窓をガラッと開けると、子供たちは一斉に「さんたさーん!」と声を揃えた。
テラスに、赤と白の衣装を身につけた大きな男性が姿を現した。頭にはサンタ帽子、縁の太い丸眼鏡と顔の下半分を覆う白い髭。腰の周りには黒いベルト。足元は黒のブーツ。背中には大きな白い袋をしょっている。
「みんなー!」サンタクロースは太い声で叫び、手を振った。「元気かーい!」
急に見知らぬ不審人物が出現したことに驚いたのか、職員に抱かれているぐらいの乳幼児の何人かは泣き出してしまった。しかし、ほとんどの子供は、推しのアイドルを間近に見たファンのような熱狂さで手を振っていた。
サンタクロースは少し身体を斜めにして室内に足を踏み入れると、手を振りながら、ぐるりと室内を見回した。その視線が座っているイズミの上を通り過ぎ......すぐに戻ってくると、数秒の間、凍り付いたようにイズミに留まっていた。
顔の大部分は隠されていたが、定期的に会社で顔を合わせているイズミには見間違えようがない。システム課の宇都課長だ。
イズミが唖然と見つめていると、宇都サンタは気を取り直したように、目を逸らし、子供たちに向かって手を振り出した。サンタクロースの後からは、全身を茶色の衣装に包んだ男性職員がカートを引っ張って続いた。どうやらトナカイらしい。
「さて、みんな」MC が叫んだ。「サンタさんがみんなにプレゼントを持ってきてくれたよー。名前を呼ばれたら、前に出て来てもらってね。わかった人!」
「はーい」と大小様々な声が唱和した。
「じゃあ、いくよ。最初はリエちゃん!」
トナカイ役の職員がカートの中からプレゼントを探して、宇都サンタに渡す。サンタクロースは苦労してしゃがみこむと、駈け寄ってきた女の子に包みを差し出した。
「はい、どうぞ」
女の子が包みを受け取ると、コンパクトデジカメを持った職員が素早くシャッターを切った。女の子は小さな声で「ありがとう」と言うと戻ろうとしたが、職員さんに促されて、サンタクロースの白い手袋に包まれた大きな手を握る。またシャッターが切られた。
「じゃあ、次はタクミくん!」
さっき吉村と戦っていた男の子が飛び出していった。イズミはモエに目を向けた。モエはニヤニヤしながら宇都サンタを眺めていたが、イズミの視線に気付くと、小さく親指を上げて見せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月曜日の午後、イズミに詰問された吉村は、諦めて事情を話そうとしたが、すぐに思い直して言った。
「よかったら妻と一緒でもいいですか。というか、たぶん、妻から話してもらった方がいいような気がするので」
イズミは了承し、終業後に会社の外で待ち合わせすることにして、時間と場所を決めてから、吉村を解放した。
仕事を終え、待ち合わせのファミリーレストランでコーヒーを飲みながら待っていると、すぐに吉村夫妻が現れた。オーダーを済ませ、それぞれのドリンクがテーブルに並ぶと、モエが身を乗り出した。
ブライダルチェックって知ってる? とモエは話し始めた。吉村との結婚が決まると、すぐにモエはブライダルチェックを予約した。子供が絶対欲しかったため、不安要素を取り除くための受診だったのだが、結果を聞いて打ちひしがれることなった。本人がそれまで気付くこともなかった機能的な問題があり、妊娠はほぼ不可能、という診断を告げられたのだ。
セカンドオピニオンとして別の医療機関を受診したものの、結果は同じであり、モエは自分自身で子を産むことを断念せざるを得なかった。
一度は結婚そのものを諦めようとも考えたが、結果を共有した吉村が、何の障壁にもならない、と力強く宣言してくれたため、予定通り入籍した。しかし、妊娠と出産は諦めても、子供を持つこと自体は諦めきれなかったため、モエは吉村と相談して、横浜市南部児童相談所で里親登録手続きを行った。
登録した後は、数回の座学研修と、乳児院での実地研修が必要になる。無事に里親認定されても、すぐに子供を迎えることができるわけではない。仕事の状況や収入、家庭環境、親族との関係などの調査を経たあと、児童相談所でマッチングを行うことになる。児童相談所は自治体の管轄で、職員は公務員なので、どうしても書類仕事が多くなり、マッチングには年単位の時間がかかる。
「で、その間を埋めるってわけじゃないんだけど、ボランティアを薦められてね」モエは語った。「月に2 回ぐらい、土曜日か日曜日に乳児院でボランティアをすることにしたの。二人でね。去年の冬ぐらいから」
乳児院には様々なイベントがある。毎月の誕生会、正月、節分、お盆、ハロウィーン、クリスマス。ボランティアを始めた二人が最初に参加したイベントはクリスマスパーティだった。12 月の休日の午前中に設定され、児童の担当職員が選んだプレゼントを、サンタクロースが運んできて一人一人に手渡す、という趣向だ。
「そこでサンタとして登場したのが」吉村が思い出し笑いをしながら言った。「なんとなんと、宇都さんだった、というわけです」
お互いに驚愕した3 人は、クリスマスイベントが終わった後、改めて顔を合わせた。聞けば、宇都は以前から児童相談所の支援を続けていて、クリスマスイベントではサンタクロースの役を頼まれているのだそうだ。
「じゃあ、子供の好きそうなものを訊いてたのは......」
「うん」モエは頷いた。「職員さんが子供のプレゼントを選ぶときの参考情報を集めてたってわけ。ああいうのは、流行りってものがあるでしょう。乳児院の職員さんって忙しいのよ。夜勤もあるし、会議や研修もある。トイザらスに足を運ぶとか、ネットで情報収集するとか、そんな時間がなかなか取れない人も多いの」
「去年まではネットで情報収集してたみたいなんですけど」吉村が補足した。「どうしても、メーカーのおすすめばっかり検索に上がってきちゃうから、今年は生の口コミを集めることにしたそうです」
「そういう理由だったんですか」
謎が解明されたイズミは満足したが、モエの話はまだ終わっていなかった。
「さてと。ここまで話したんだから、朝比奈さんにもいっちょ噛みしてもらわないとね」
「は?」
「今年のクリスマスパーティは、22 日の日曜日にやるのよ。私たちもボランティアで参加するし、もちろん宇都さんもサンタになって登場する。朝比奈さんも来てもらえない? というか来て。人手が足りなくてね。職員さんは担当の子と一緒に参加したいし、夜勤の人の担当も見なきゃいけないから」
「......」
「大丈夫だって」モエはイズミの躊躇など歯牙にもかけなかった。「子供と遊んでればいいし、タダでお昼ご飯食べられる。おまけに、宇都さんのサンタクロースを見物できるんだよ。システム課とRM ユニットは、今後も協力関係が必要でしょう? 宇都さんの意外な一面を知れば、それがより強化されるかもしれないじゃない」
「ルイ、これが友情の始まりだな、ですね」
イズミは了承し、22 日の予定が決まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「......これでみんな、プレゼントをもらったかな。もらってない子はいないよね? オッケー、じゃあ、みんなで歌を歌うよ。トナカイさんの歌だよ。いいかな。みんなで、せーの」
「おんがくすたーと!」
大人と子供が声を合わせて合図し、スピーカーから定番の音楽が流れ始めた。真っ赤なお鼻の~と歌いながら、イズミは宇都に目を向けた。子供たちの歌うというより喚いている声に混じって、宇都のだみ声が聞こえてくる。プレゼントが配られる前は職員のそばにいた子供たちも、今は制御を失って散らばりつつあり、何人かが宇都サンタの近くに群がっていた。宇都は両手で子供たちの肩を抱いている。確かに意外な一面だった。
だが、イズミはさらに驚きの光景を目にすることになった。
「はい、みんな上手だったねえ」MC が拍手しながら言った。「次はみんなで踊るよ。みんな立って。ぶりんばんばん行くよ。せーの」
「おんがくすたーと!」
耳にしたことのあるラップ調の音楽が流れると、子供たちは立ち上がって小さな身体を左右に揺すり始めた。今年流行したJ-POP だ。ちゃんと聴いたことはなかったが、確か何かのアニメの主題歌だった。
ぎこちなく身体を動かしながら周囲を見ると、モエが弾けた笑顔で踊っている。練習したのか、音楽に合った滑らかな動きだ。吉村もワンテンポ遅れているが、それなりに踊れているようだ。
サビのBling-Bang-Bang Bling-Bang-Bang Bling-Bang-BangBorn のリフレインになると、宇都が顔の前で合わせた両手と腰を左右に激しく振り始めた。サンタ帽子はずり落ち、丸眼鏡もずれかけているが、気にする様子もなく踊っていた。ダンサーのように美しい動きではなく、むしろ滑稽ともいえる踊りだったが、子供たちが満面の笑みを浮かべて真似している。誰もが心からの笑い声をあげていた。この瞬間に限っては、重要なのはその一点だけだった。いつしかイズミも、リズムに合わせて声を出し体を動かしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サンタクロースとトナカイが手を振りながらテラスから出ていくと、<大プレイルーム>内は再び子供たちが縦横無尽に走り回る混沌の場と化した。もらったプレゼントは開封され、様々な電子音が鳴り響いている。遊び始めて早々に破損させてしまった子の泣き声も入り混じっていた。
久しぶりに大声を出し、のどの渇きを感じたイズミは、モエに断って、そっと<大プレイルーム>を抜け出した。モエによれば1 フロア下に職員用の休憩スペースがあり、そこに自動販売機が設置されているはずだった。
下の階に降りて、休憩スペースのドアの前に立ったとき、イズミは自分の間抜けさに気付いて呻いた。財布もスマートフォンもロッカーの中だ。ロッカーまで戻るしかないか、と思ったものの、着替えをしたのがどの部屋だったのか記憶があやふやだった。自分一人で戻ることなど想定していなかったので、そもそも記憶しようとすらしていない。かといって、それらしい部屋を片っ端から開けていくのも論外だろう。
もしかしたら休憩スペースというぐらいだから、ティーサーバーかウォータークーラーあたりが設置されているかもしれない。一応、確認してみるべきだ。イズミはドアを開き、サンタクロースに再会することになった。
「宇都さん」
サンタクロースの服装のまま、宇都がベンチに座って息を切らしていた。サンタ帽子を脱いだ頭からは湯気が立っている。やはり、相当な重労働だったようだ。
「あ、ああ」宇都はぜいぜいと喘ぎながら答えた。「朝比奈さんか」
「どうも、おつかれさまでした。あの、大丈夫ですか?」
「まあ、なんとか。どうかしたんですか?」
「いえ、自販機か何かないかと探していたんですが......」
それを聞いた宇都は、テーブルの上に並んでいた7、8 本のペットボトルを手で示した。数本はまだ未開栓だった。
「よかったらどうぞ」
ありがたくいただくことにして、イズミは礼を言い、ぬるくなったほうじ茶のペットボトルを取った。宇都も、改めて自分の渇きに気付いたのか、同じペットボトルを掴み、キャップをねじり切りそうな勢いで回すと、喉を鳴らしてお茶を流し込んだ。イズミが数口飲む間に、宇都は280ml を一気に飲み干し、何度か咳をした後、ようやくまともな呼吸を再開した。
「失礼、見苦しいところを見せてしまって」
「いえ」
イズミは別のベンチに腰を下ろした。宇都はポケットからしわくちゃのハンカチを出すと、額に浮かんだ汗を拭きながら訊いた。
「ところで朝比奈さん、どうしてここに?」
吉村夫妻から頼まれた、と簡単に説明した後、イズミは付け加えた。
「宇都さんも来ている、とは聞いていましたが、まさかサンタをやってるとは思いませんでした」
「俺はほら、この体形だから」宇都は丸々とした腹部をポンと叩いた。「子供たちと遊ぶのは大変だし、中には怖がる子もいるんです。でかいってのは、それだけで脅威だったりしますから。でも、サンタなら、いかにもって感じでしょう。だからサンタをやってるんです」
「俺は歌も踊りもダメだから。by ロッキー・バルボア」
「そういうことです」
「でも、さっきは歌って踊ってましたね」イズミは笑った。「結構、上手でしたよ」
「ブリンバンバンは死ぬかと思いました」その言葉には実感がこもっていた。「まあ、ウケたんでよしですが。来年はもっとスローペースな歌が流行っててほしいものです」
歓声とともに廊下をパタパタを走っていく音が聞こえた。誰かが脱走したらしい。呼び止める職員の声が重なり、次第に遠ざかっていく。喉を潤しながら、イズミが話の接ぎ穂を探していると、宇都が話を続けた。
「ここは」宇都は穏やかな声で言った。「祖父が理事の一人だったんですよ。若いころから、たまに手伝いをさせられていました」
「そうだったんですか」
「最初はね、かわいそうな子供たちだから、って思ってたんです。ここには親がいない子もいますが、育児放棄や暴力が原因で来ている子もいる。俺はこんな体形で、正直、コンプレックスもある。だからここの子たちを見て、俺よりも不幸な奴もいる、ってアホっぽい優越感に浸ってたのかもしれません」
「......」
「でも、違ったんです」真剣な顔で宇都は窓の外を見た。「俺が子供たちに与えたものより、俺が子供たちからもらったものの方が多い。ずっと多いんです。金や物って意味じゃなくてね。子供ってね、そういうすごい力を持ってるんですよ」
「それは私も感じました」
宇都は頷くと、ベンチに手をついて、えっこらせ、と掛け声とともに巨体を立ち上がらせた。空になったペットボトル群を、部屋の隅の分別用ボックスに放り込む。
「吉村たちが定期的に来てくれてるけど、ここはいつでもボランティアを歓迎してるんです。よかったらたまにでいいんで来てもらえると助かります」
「ええ、考えてみます」
「さて、着替えてこなければ。」宇都はサンタ帽子を拾い上げた。「あ、お茶は貸しにしときます」
「自動販売機ごと返してやる。by 室井慎次」イズミは引用で応じた。
笑いながら宇都は休憩室のドアを開けて廊下を覗いた。誰もいないことを確認すると、イズミに一礼して出ていく。イズミは、ペットボトルを空にして、回収ボックスに入れると、自分も外に出た。
<大プレイルーム>に戻ると、ユカが走って飛びついてきた。
「何をもらったの?」
「これ。サンタさんにもらった」
ユカが得意そうに見せてくれたのは、あいうえおとアルファベットのボタンが並んだ学習用タブレットだった。
「へえ、いいね」
一緒にやろ、と誘われたので、イズミは床に座り、操作方法を読み始めた。
「はい、みんなー」職員が鐘を鳴らして叫んだ。「そろそろごはんの時間だからね。お片付けはじめてね。今日はクリスマスの特別ごはんだよ。おいしいものや、みんなの好きなものいっぱいだよ。お片付けしない人は食べられないからね。お片付け終わった人は、下に降りていってね」
えー、とか、もっと遊ぶ、とか文句を言う声が聞こえたが、職員たちに巧みに誘導され、プレゼントは効率よく片付けられていった。
「どうですか、朝比奈さん」近寄ってきたモエが囁いた。「謎がとけてすっきりですか?」
片付けを終えたユカが、イズミと手をつないだ。イズミは一緒に<大プレイルーム>を出ながら答えた。
「ええ。クリスマスは悩むことなく過ごせそうです」
って言っても仕事ですけどね、と付け加え、イズミはモエと声をそろえて笑った。手をつないだユカが不思議そうな顔で見つめていた。
(了)
アーカム系の話を期待していた方、ごめんなさい。今年のクリスマスは「レインメーカー」の主人公、イズミさんのお話となりました。常連のイノウー、マリちゃん、木名瀬さんも登場しています。
もう少し落ち着いたら、長編に取りかかろうかと思っていますが、どうなることやら。気長にお待ちください。
それでは、みなさん。メリークリスマス。そして、よいお年を。
コメント
BanG
素敵なお話をありがとうございました。
さかなでこ
なべて世はこともなし、ですな。
どうかよいクリスマスを!
h1r0
メリークリスマス♪
素敵な話をありがとうございます
リーベルG先生が子供との触れ合いが増えたからこそのこのようなあたたかい話ができたのかな
匿名
素敵なお話でした!ありがとうございます。
長編も楽しみにしお待ちしております
匿名
素敵な贈り物でした
ありがとうございました!
匿名
仕事している私にはこの掌編がクリスマスプレゼントでした。
素敵なお話をありがとうございます!
匿名
最高のクリスマスプレゼントでした。
ありがとうございました。
では良いクリスマスと新年を。
匿名
素敵な一遍をありがとうございました
メリークリスマス!素敵な1日を過ごされることをお祈りしています