クリスマスキャロル (2)
ぼくは大きな誤解をしていたことに気付いた。このプロジェクトには、日本全国から多数のシステム屋が参加している。e.k さんがコーディングしている場所が横浜である確率は低い。もしかすると北海道や沖縄という可能性だってある。いずれにせよ、物理的には離れた場所にいる、と勝手に想像していた。だが、ぼくとe.k さんを隔てているのが時間だったとは。
「時空を超えて......か」
平成24 年、西暦2012 年。そして2023 年。Java のソースファイルという電子的な媒体を介してつながっている通信。あまりに非現実的なできごとだ。どちらかといえば、その手の話に興味がある方ではないのだが。
誰かに相談してみるか? いや、自作自演だと思われるのがオチだ。うちの会社の人間は例外なく忙しい。1 日1 回しか発生しない現象の検証に付き合ってくれる人はいないだろう。東海林さんなら頭ごなしに否定することはないだろうし、もしかしたら最後まで話は聞いてくれるかもしれない。たとえ、それがぼくの正気を判定する目的だったとしても。ただ、今週から東海林さんは何か「断れない案件」とやらで、ずっと社外の予定だ。メールやLINE でする相談でもない。
少し考えた末、この手の現象に興味を持ってくれそうな人物の顔が思い浮かんだ。今は別の会社で働いているが、連絡は定期的に取っている男だ。
ぼくはソースを見つめた。いつもは朝一番で「返事」を入力しているが、今日は夜まで待つことにした方がよさそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「つまり」イノウーこと井上ヨシオは、ランチボックスに箸を伸ばしながら頷いた。「時間SF ってわけですね」
「俺はそっちの方はちょっと専門外なんでな」
「ああ、細川さんはアニヲタですもんね」
全てが誰かの手の込んだイタズラ、という可能性を完全に否定したわけではないが、ひとまずぼくはe.k さんが平成24 年でコーディングしている、と仮定することにした。その途端、うかつにコメントを返すことができなくなってしまった。
SF にはうといぼくでも「祖父殺しのパラドックス」と「バタフライ・エフェクト」ぐらいは知っている。ぼくがソースファイルに書いたコメントは、11 年前への通信となるのだ。それがどんな影響を及ぼすことになるのか見当もつかない。
たとえばぼくが競馬マニアで、24 日に行われる有馬記念の結果を、何も考えずに翌日のコメントで言及したとする。e.k さんがそれを記憶していて、大もうけすることだってないとは言えない。それぐらいなら、e.k さんの個人的な利益、という範囲に収まるだろうという気がするが、何かがどこかに波及して、連鎖的に影響が広がり、とてつもない結果に結実しない、という保証はない。
一番賢明なのは、このことをきれいに忘れてしまう、という方法なのだろう。だが、そんなことをしたら、いつか必ず思い出して悔やむことになる、とわかっていた。少なくとも別れのコメントを書くぐらいはしなければ。でも、何を書けばいい? 別の言い方をするなら何を書いてはいけない?
ぼくはイノウーに、ちょっと急ぎで相談がある、と連絡し、ランチの約束を取り付けた。そのままの事実を打ち明けるわけにもいかず、「アニメ業界にいる友人が新作SF の脚本を書いているが、設定で相談を受けた」という話を作り上げてある。設定に悩んでいる、という状況だ。
「正直」イノウーは首を傾げた。「時間SF って、結構ありふれてるんで、なかなか新機軸ってないような気がしますけどね。本当にその企画で通ったんですか?」
「企画を通そうとしているらしいな」
「まあ、定番とはいえ」ランチボックスのハンバーグに箸を伸ばしながら、イノウーは考えてくれた。「多用されるのは、設定次第じゃ面白くなるからかもしれませんね。ジョジョだって、ラスボスは時間絡みのスタンド能力が多いですし」
イノウーが口に運んだハンバーグは真っ黒だった。イカスミソースか何かかと思ったが、どうやら炭化しているらしい。健康にも味覚にも良さそうには見えなかったが、論評は差し控えた。他人の愛妻弁当にケチをつけてもいいことはない。とくにイノウーは新婚だ。
「今は特にSNS なんかで設定の矛盾が突っ込まれるだろう? そういうのをなくしたいんだそうだが」
「パラドックスですね。とにかく未来の情報について、過去キャラに教えないことが重要ですかね」
「たとえば?」
「大きな事件や災害はもちろんですが、自分の住所や仕事や元号なんかも」
「元号はわかるが、住所や仕事はなんでだ?」
「たとえば神奈川県だとくぬぎ市みたいに、市町村合併でできた新しい市だと、過去の人は知らない情報ですから」
「ああ、なるほど。イノウーのところみたいに、会社名が変わったり、最近できた会社、という場合もあるわけか。他には?」
スマホの機種名、スナック菓子の名前、テレビ番組、芸能人の婚姻や死去、SNS の名前、とイノウーが思いつくままに挙げていく項目を、ぼくは頭の中で精査した。幸い、これまでぼくが書いたコメントの中で合致するものはなさそうだ。例外は、最初にぼくが書いたJ-POP の歌詞だが、こういう歌が連ドラの主題歌になる、と書いたわけではないから問題はないだろう。
「でも、まあ」一通り項目を挙げ終わった後、イノウーは面白そうに笑った。「そもそもタイムトラベルは不可能、という説もありますけどね。時間順序保護仮説が有名ですが。そうでなくても、過去から未来には行けるけど戻るのは不可能説とか、タイムトラベル自体はできるけど、過去を変えようとする試みは必ず失敗することになる、とか、いろんな説があります」
「人が行き来しなくても」ぼくはメモを取りながら訊いた。「情報だけでもか?」
「過去、または未来に影響を及ぼす、という点では同じだと思いますけど」
「......」
その説が正しいのかどうか検証する格好の材料がある、ということは、もちろん口にしなかった。するとイノウーは、ぼくの沈黙を誤解したのか、取りなすように言った。
「あ、でも別の考え方もありますよ」
「どんな」
「未来から過去に行って、何か決定的なことやって過去を変えちゃったとしますよね。たとえば、自分の母親と出会う前に、父親をうっかり殺しちゃうとか」
「祖父殺しのパラドックスだろう」
「はい。でも、父親を殺した瞬間に、世界線が枝分かれする、という考えもあります。パラレルワールドが一つ生まれるわけです。その世界線では、自分は存在しない。だから矛盾は生じない、というわけです」
「パラレルワールドねえ」
「他にも」今やイノウーの方がこの問題に真剣に向き合っているようで、口調が熱を帯びている。「シミュレーション仮説、というのもあります。この社会は、実はコンピュータシミュレーションであって、タイムスリップとかはプログラムのバグなんだ、という考えで......」
「わかったわかった」ぼくは止めた。「そこまで膨らませるとややこしくなるから、そのぐらいでいい」
「すいません」イノウーは苦笑した。「考え出すときりがないですね」
「いや、こっちから訊いておいてすまん」
「未来の人と、現代の人がメールでやり取りする、という設定なんでしたっけ?」
「そう......そうしたいと言っていたが」
「未来の人はそのことに気付いているけど、現代の方は気付いてない」
「そうだ」
「気付かないもんですかね」
その言葉に、ぼくはサンドイッチを掴んだ手を止めて、後輩の顔を見直した。
「どういう意味だ?」
「何というか、使ってる言葉ってあるじゃないですか。その時流に即した言い回し、というか。KP とか、○○しか勝たんとか、映える、とか。そういう言葉って、無意識のうちに出ちゃいますよね。たとえば現代じゃ絶対に言わないようなことを、未来の人がポロッと話して、現代の人があれ、って思うとか」
「......」
ぼくは改めて自分が書いたコメント思い出していった。今風の言葉を書いたことはなかったはずだが......
「あれ、イノウーくん」
不意に近くから声が聞こえ、ぼくとイノウーは揃ってそちらに顔を向けた。見覚えのある女性が立っていた。ビジネススーツ姿だ。
「あ、木名瀬さん」イノウーは立ち上がった。「あれ、もうそんな時間でしたっけ」
その名前で思い出した。どこかの人材派遣サービスの人だ。確か、以前はイノウーと同じ会社で働いていたと聞いたことがある。何度か顔を合わせたことがあったはずだ。その記憶を裏付けるように、木名瀬さんがぼくを見て一礼した。
「サードアイの細川さんでしたね。以前、お名刺を頂戴したことがあります」木名瀬さんはそう言うと、イノウーを見た。「心配しないでください。私が早く来ただけですから。ゆっくりランチを楽しむ時間はまだ残っていますよ」
イノウーが安心したように腰を下ろすと、木名瀬さんはランチボックスを覗き込んで微笑んだ。
「マリちゃん作ですね」
「はあ」
「ナナミちゃんは元気ですか?」
ナナミ、というのは、今年の秋に産まれたイノウーの娘の名前だ。
「夜泣きがすごいですが」
「赤ちゃんというのは泣くのが仕事です。うちの娘も大変でした。いずれ、それも楽しい思い出になります」
「だといいんですが。また顔を見に来てやってください」
「ええ、ぜひ」木名瀬さんは、再びぼくに会釈した。「お食事の邪魔をしてすみません。失礼します」
「えーと、何の話でしたっけ......」木名瀬さんが去っていくと、イノウーが頭を掻きながら訊いた。「言い回しの話でしたね」
「いや、参考になった。ありがとう」イノウーの昼休みの時間も終わりに近付いていたし、これ以上得られるものはないだろう。「今日はわざわざすまなかったな」
「いえ、どっちみち出勤日でしたから」
「子育ては大変か?」
「大変ですけど、楽しいですよ。細川さんの方はまだですか?」
「お互い仕事が大変なときだからな。そのときが来たら、ちゃんと知らせて、お祝いをたっぷりもらうから安心してくれ」
ぼくたちは互いの結婚生活について、情報と愚痴を交換し合った後、再会を約束して別れた。
会社に戻ったぼくは、例のソースファイルを開いて入力した。
/*
ごめんごめん。違うカレンダー見てたみたい。もう土日の区別なく出勤してるから、曜日の感覚がおかしくなっている。
そういえば、住んでるところを訊いてなかったけど、例の震災って何か影響あった? ぼくの会社は、エレベータが止まって大変だったよ。
m.h
*/
保存する前に、ぼくは書いた文章を何度か読み直した。問題はないはずだ。カレンダーに対するe.k さんの不審を払拭し、なおかつ平成24 年仮説を確実なものにするように書いたつもりだ。
「細川」藏見が呼びかけた。「3 番、佐分利情報システムさんから電話」
佐分利情報システムは、このプロジェクトのインフラ面を管理している会社の一つだ。ここのところ、ネットワークアクセス権や、パスフレーズなどが、ひっきりなしに変わっている。その連絡だろう。通知はメールで来るが、重要な変更の場合、確認の電話もかかってくる。
「すまん。折り返すと言ってくれ」
藏見が親指を上げて応えるのを確認し、ぼくはもう一度コメントを読み返してからプッシュボタンをクリックした。そしてリポジトリから結果ログが返ってくるのをじっと待った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、ソースを開いたとき、ぼくはイノウーの予想が的中していたことを知った。
/*
あのさ、少しばかり真剣な話をしてもいい?
私、今、ある疑問で頭がいっぱいなのよ。
ばーかばーかって笑われるかもしれない......いえ、ほぼ確実に笑われるとは思うんだけど、とりあえずは黙って聞いて。
もしかしてm.h さん、24 年にはいない?
あー、これじゃよくわからないか。
言い直すね。
もしかしてm.h さん、あなたが生きているのは、西暦2023 年だったりする?
いやいやいや、大笑いするのはちょっと待って。真剣な話だって言ったよね。何かジョークとかそういうのじゃないから。
どうしてそう思ったのかは、次に話すから、とりあえず答えてほしいんだ。
待ってる。
e.k
p.s. m.h さんが大笑いしてるのを、心から祈ってる。
p.p.s. どうかお願い。無視したり、聞かなかったことにしよう、ってのはやめて。ちょっとタイムリミットがあるのよ。
*/
ぼくの頭の中には、無数のクエスチョンマークがブラウン運動のようにせわしく飛び交った。なぜ? どうしてそう思った? 何かe.k さんにヒントになるような言葉を書いた?
いや、そんなことよりも......何と回答すればいいんだ? どう書くのが正解なんだ?
悩んだ末に、ぼくは一番シンプルな選択肢を選んだ。
/*
これは2023 年12 月20 日に書いているよ。
m.h
*/
翌日、期待と不安でソースファイルを開いたぼくは、大きく失望することになった。e.k さんからの返事が追記されていなかったのだ。
最初、腹が立った。e.k さんに対してだ。無視するな、と言っておいて、自分の方は返事をしないとは。次いで不安が押し寄せてきた。e.k さんの身に何かトラブルがあったのではないか、と考えたためだ。最後のコメントにあったタイムリミット、という言葉も不安を煽る要素の一つだった。
夕方近く、電話が鳴った。反射的に受話器を取ったぼくは、相手の声を耳にした途端、忘れていたことを思い出した。
『お世話になっております。佐分利情報システムの遠藤です』
「す、すいません」焦って何度か噛みながら、ぼくは答えた。「細川です。すいません。折り返すと言っておきながら......」
『いえ、よくあることですので』嫌みを言っているようではなかった。『お電話したのは、先週の水曜日にメールでご連絡した件についてです』
「お待ちください」
ぼくはメールクライアントを開くと、「佐分利」のフォルダから受信メールを辿った。
「えーと......」ぼくはスクロールしながら言った。「これですね。リポジトリ移行のお知らせ」
『はい、それです。そこに書いてあるようにですね、来週の月曜日でリポジトリをAWS に完全移行することになります。スケジュールと移行先のアドレス等については10 月に通知済みですが、お読み頂けましたか』
「はい」全く記憶になかったが、ぼくはウソをついた。
『そろそろ日が迫っておりますので、まだ移行が完了していないユーザ様、つまり旧環境をご利用のユーザ様に、確認のお電話をかけさせていただいております』
「すみません。急いで切り替えることにします」ぼくはメールを検索しながら答えた。「ちなみに25 日以降は旧環境にアクセスできなくなる、という理解で合ってますか?」
『はい。ご認識の通りです』
その瞬間、ぼくはe.k さんが書いたタイムリミットが何なのかを知った。
(続)
コメント
匿名
「マリちゃん作ですね」「はあ」
…こんな形で胃袋を握られて、さぞや筆舌に尽くせぬ葛藤をお抱えのことと拝察。
user-key.
「最近で来た会社」→「最近できた会社」ですね。
遠藤さんですか。。。
しかし、(阪神淡路の震災は置いといて)震災後だから未来としても、2017年も月曜25日ですが、どうやって2023年と区別したんだろう。。。
匿名
まさか木名瀬ターミネーターw
匿名
普通は時間遡行できないけど、この世界のクリスマス進行はなぁ
それにしても、着々と人員が集まってるね
kaz
ek : 木名瀬エミリ !?
匿名
これ「24年」が2024年の可能性あるな…?
育野
なんで過去との交信のパラドックスの話をしてるんだろうと思ったが、そうか、平成24年か。
ふだんから西暦でしか年を考えないから、24年は2024年(未来)だとしか思わなかった……。もう一度前回読み直しとこう。
# 日本人男性の平均余命的に考えると「令和24年」は、半々よりはありそうな感じ?
匿名
過去と未来が逆転するならば、
2035年発になりますな。
昭和平成が10年ぐらい遅くなった世界線ならあり得るのか?
リーベルG
user-key.さん、ありがとうございます。
「できた」でした。
匿名
父親をを→父親を
ですね
匿名
殆どの読んでいる方(書き込みしていない方々)は気づいていると思うけど、三連休=平成の天皇誕生日がある、から過去であることはほぼ確実じゃない?
匿名
クリスマス当日に完結するって素敵ですね。
来週月曜日の朝が待ち遠しいです。
※お話が終わっちゃうのは寂しいですけども
匿名
来週はアーカ…案件かな。
匿名
このシリーズを読むと、あーもうすぐクリスマスだなぁと実感します。
来週も楽しみにしています。
良いクリスマスをお過ごしください。
匿名
今年も不穏なクリスマス!
去年、妊娠3ヶ月だったイノウー&マリの子も生まれて。ナナミ… 別人?
細川はどこの世界に巻き込まれているのだろうか(´-`).。oO
user-key.
平成の天皇誕生日は現上皇様が崩御された時に「(昭和)天皇誕生日」→「みどりの日」の様に何らかの形で休日となる可能性が有りえるから、e.kさんは絶対未来じゃないとは言えないしなぁ。。。