傘を見習え
傘というものは、雨の日に外出する際のソリューションとしては、あまりにも中途半端だと言わざるを得ない。
■傘は役に立っているのか?
傘に要求されるのは、雨に濡れることを防ぐ機能だ。しかし、ちょっとした雨でさえも、その要求を100パーセント満たすことはまずない。靴は必ず濡れる。少し風が強ければ、膝下まで濡れる。カバンを持っていれば、カバンもほぼ確実に濡れる。ちょっと油断すると、手も肩も背中も濡れる。
さらに風が強くなると、風の来る方向に傾けて、両手で風圧に耐えなければならない。カバンを持っているときには、カバンも胸の高さくらいまで持ち上げなければならない。かなり苦しいフォームだ。なぜユーザーに、こんなに辛い思いを平気でさせるのだ。
そしてさらにひどいことに、あまりに風が強くて折れそうになると、ついつい傘を閉じてしまう。途中から、自分が濡れないことよりも傘が折れないことの方が大切なことになってしまっている。なんなんだ。傘よ、お前はいったい何様なんだ?
■イマイチ使いどころがわからない傘
そう考えると、傘が雨避けのソリューションとしての機能をまっとうできるのは、あまり雨風が強くない霧雨程度の状況のみだろう。
しかし、その程度の雨に、傘は必要だろうか。英国紳士は傘を持たないという。それは、英国紳士が雨に対する耐性が強いということではなく、英国で日常的に降る雨が霧雨程度で、その程度の雨なら英国紳士の正装である帽子とコートで十分ガードできるからだ、という説もある。
つまり、結局のところ雨の日に、傘が最適なソリューションであるとは到底考えられないという結論に達するのだ。
■傘が買われ続ける理由
にもかかわらず、傘は昔からずっと利用され続けている。台風で使い物にならなくなった傘を道ばたに打ち捨ててずぶ濡れで帰宅しながらも、我々は「新しい傘を買わなければ」と考えているのだ。(ダメですよ、折れた傘を道ばたに放置するのは。)
なぜ、ユーザーはこれほどまでに傘に寛容なのだろう。
答えは簡単だ。傘はユーザーに対して「自分は完璧だ」とはアピールしていないし、ユーザーも傘に完璧さを求めていない。ただそれだけのことだ。だからこそ、傘は売れ続けている。
そんなわけで、モノをつくるとき、売るとき、傘から見習うべきことがあるような気がする、台風の合間の秋晴れの日のわたしであった。
さて、また巨大な台風が近づいているようだ。今のうちに、新しい傘を探しに行こうかな。