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■Googleは記憶に影響を及ぼすか?

 コロンビア大学助教授のベッツィー・スパロウ氏は、Science誌で「Googleが記憶に及ぼす影響(原題:Google Effects on Memory: Cognitive Consequences of Having Information at Our Fingertips)」という論文を発表した。その中で彼女は、「ヒトは自分で書いた情報であれば、書いた内容ではなくて保存場所の方を覚えるし、後で検索できると分かっている情報は、あまり覚えない」というような実験結果を紹介している。

 Science誌は、ワシントン大学の心理学者ロディー・ロジャー氏のコメントも載せている。「そりゃGoogle等の検索エンジンはある意味では外部メモリなんだろうけどさ、そんなのインターネット以前にも持ってたじゃん。自分の学生時代には、論文を書くときには書籍や百科事典のお世話になったもんだし。今の学生はそれをネットでできるようになった。それだけじゃん」(こんな口調ではないですが……)

 まったくその通り。「外部メモリ」という観点からすれば、要はツールが変わっただけで、本質は変わってないってことだ。

■ネットとスマホで情報は指先に宿る

 スパロウ氏の論文の副題は“Cognitive Consequences of Having Information at Our Fingertips”となっている。「指先に情報を持つ」ってところが、いかにもスマホ時代という雰囲気を醸し出している。

 もちろんネットの普及によって、より手軽な外部メモリを手に入れたことは確かだし、スマートフォンのようなモバイル機器がそれに拍車をかけていることも事実だ。

 しかし、ここで私が注目するのは、外部メモリで記憶がどうなるかという点ではなく、指先に宿る情報が多くの人の間で共有するものだという点だ。

■手帳は単なる外部メモリではない

 ところで、昔からある手軽な外部メモリとして、真っ先に思い浮かぶものの1つに手帳がある。手帳は完全にパーソナルなものと思われがちだが、ネットがなかった学生時代の私は、手帳を周囲のヒトに読まれることを前提としたある意味ソーシャルなモノとして使っていた。

 街で見付けた店や、面白いスポット、気になる建物や、道端ですれ違ったヒトのユニークなファッションなどを書きとめる。家やカフェで書籍を読んで思いついたことや、心に響いたコトバ、音楽を聴いて感じたことを書きとめる。

 そして友人と会ったときに、それらを見ながら話をしたり直接読ませたりして、フィードバックをもらってさらに考えを深めたりした。

■原始ブログのおもいで

 普通のヒトは、そんなことをワザワザ手帳に書かなくても記憶しておいて、友人との会話の中でも記憶の引き出しからポンポンと出すことができるのだろう。しかし私はどうも記憶の検索アルゴリズムに問題があるようで、適切なタイミングに適切な記憶を掘り起こす力がない。そのため、このようなツールに頼らざるを得なかったのだ。

 ところがこれは当時の友人たちに思いのほか好評で、時には読んだ友人がコメントや落書きを加え、それを別のタイミングで見た別の友人がさらにそれに反応したりすることもあった。

 今考えてみると、これって何のことはない、原始的なブログだよなぁ。オフラインの。

■ソーシャル指向の手帳

 現在のブログにしろさまざまなソーシャルネットワークサービスにしろ、原点はそこなんだと思う。私が学生時代に手書きしていたような、見せることを前提としたソーシャル指向の手帳、あるいは、公開ネタ帳。

 自分が見聞きしたことをみんなにも伝えたい、共有したい。そんな気持ちが指先に情報を宿らせる。ココロやカラダだけが自分なのではない。集めた情報、発した情報の1つ1つもまた自分の構成要素なのだ。

 だとすれば、ネット、スマホ、ソーシャルアプリはもうすでに、私たちの一部になり始めているのかもしれない。

Comment(2)

コメント

仲澤@失業者

スパロウ氏の指摘はつまらないものですね、「Googleの入出力を、脳の思考力
のみでドライブできた場合、それは記憶なのであろうか」ぐらいは踏み込んで
ほしいもんです(vv;)。あるいは「Googleはヘルメットを発売するか(OSは
もちろんAndroid)」とかでも良いですが(笑)。

ある時期自分は「調べればわかる程度のことは記憶しなくたっていいじゃん」
を実践しました。結果、何も考え出さず、意見も持たない体質になりました。
当たり前ですが、記憶した事物がないということは判断や思考の材料が無い事を
意味します。語彙の貧弱さが思考結果の単純さに直結するのと同じです。

さて、我々の先祖は、それを意図したものではありませんでしたが、
全果物食から一部をより高カロリーな動物性淡白に変更したことにより、
脳の機能が向上したという説があります。より思考力を強化することにより
「裸のサル」になったわけです。
もちろん指で考えようとヘルメットで創造しようと、サルは生き残ることに
ためらいはないようです(笑)。

onoT

Googleヘルメットが人間の記憶域を拡張するものだとすると、みんな同じ記憶を持っているという、気持ち悪い世界になりそうですねw

そしてとりあえず、試験会場にはGoogleヘルメットの持ち込みは禁止になりそうな予感・・・。

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