あえて言おう、ソーシャルメディアに過度な期待をしちゃダメだ
今年に入ってから、革命や震災での活用が大きく報道されたことによって、日本でもにわかに注目されることとなったソーシャルメディア。
日本人というのは、周囲が騒ぎ出すと途端にほぼ無批判に何でも受け入れてしまうことが多い。
同様に、周囲が懐疑的なときには無批判に懐疑的な態度をとるし、周囲が興味を示さない物事も無批判に無視する。
まぁ、「出る杭は打たれる」のが常のこの国では、保身のためにそのような態度を身に付けざるを得ないのかも知れない。
だけど、とにかくそんな日本人がソーシャルメディアに注目をし始めたわけだ。
ところで、考えてみてほしい。
ソーシャルメディアは、雲の彼方にあるものではない。我々が生活しているココにある。
そして、それを利用するのもココにいる自分たち。自分たちが使う道具の1つに過ぎないのだ。
ということは、ソーシャルメディアは利用者の文化・慣習・常識・価値観等から自由ではあり得ない。
そのようなソーシャルメディアに何かを期待するということは、我々自身に何かを期待しているということに他ならない。
これは何もソーシャルメディアに限ったことではなく、IT業界でいえばすべてのシステムに関しても言えることだろう。
システムを導入すれば突然何もかもうまく行く、なんて話はありえない。必要であれば、利用者の文化・慣習・常識・価値観等に合わせたり、逆に利用者に変革を求めていかなければならない。
そういう意味で、IT技術者はIT技術者である前に、社会学者・文化人類学者でなければならないだろうし、もっと言えば、その道具を使って個人を・組織を・社会をどのようにして行きたいのかという明確なビジョンを持った政治家でなければならないのだろう。
我々は新しいものを手に入れた時、それを使いこなす自分自身の能力を試されるのだ。期待すべきは、新しく手に入れたものではなく、自分自身の能力だということを忘れてはいけない。
だからソーシャルメディアに期待するというよりも、自分たちのなかの、新しいものを生みだす 創造性と、変革を受け入れる柔軟性にこそ期待したいところだ。