その検索システムは、利用者を検索から解放しているか?
我々はネットを利用するとき、何が目的であるにしても大抵の場合、まずは「探す」ところから始めている。ネットが膨大な情報の無秩序な堆積物である以上、それは当然のことだ。
だからこそ、Yahoo! やGoogleは巨大企業に成長したわけだし、検索機能は多くのサイトやアプリで今も中心的な役割を担っている。
このように重要な検索機能だが、私の個人的な感想としては、まだまだ使いやすいインターフェースに仕上がっているものばかりではないように思う。
そしてこれも個人的な感想なのだが、利用者にシステマティックな思考を強制しているのが使いにくいインターフェースの特徴だ。
ヒトは普段、あまりシステマティックにモノゴトを考えたりしていない。しかし、精度の低いキーワード検索では思い通りに候補を絞り込むのは難しいし、検索条件を指定しての絞り込みは、まるで穴埋め式の試験問題でも解いているような気分にさせられる。カテゴリが多すぎて、自分の探しているものがどこに属するのか判断に迷うこともよくある。
だから利用者は、設計者の意図を推測しながら入力フィールドを埋めて何度か検索を繰り返し、その結果をフィードバックしながら設計者の意図と自分の推測との誤差を埋める努力をしなければならない。
システムが自分に歩み寄ってくれることはあり得ないので、譲歩するのは常に自分だ。
そして何度か検索を試みて、自分の欲しい情報にたどり着けそうもないと感じたら、不毛な時間の浪費はやめて、去ってしまう。
どんなシステムにも、それを利用するコンテキストというものがあるはずだ。そのコンテキストがぼやけていると、サイトにしろアプリにしろ使いにくいものになってしまう。
例えば、私が好きなiPhoneアプリのひとつに『駅.Locky』というのがある。アプリを立ち上げると最寄り駅から次の電車が出発するまでの時間をカウントダウン形式で表示してくれる時刻表アプリだ。
もちろん検索機能もあるが、普通に使う分には検索は必要ない。
私の行動パターンなどは限られているので、このアプリの使い始めに、よく利用する駅の時刻表をいくつかダウンロードして「マイリスト」に登録した後は、検索などした覚えがない。
このアプリの利用コンテキストは単純明快だ。帰る時間の調整。「あと30分で地元駅まで直通の快速電車が東京駅を出発するから、そろそろ会計を済ませてこの店を出るかな。」という感じで日常的に使っている。
このアプリを使い始めるまでは、駅でもらうカードサイズの時刻表を何駅分も持ち歩いたり、乗換案内系のアプリで、毎回検索して出発駅の時刻表を表示して確認していた。
でも『駅.Locky』なら起動後数回のタップだけで目的を達することができる。私を面倒な検索から解放してくれた、素晴らしいアプリだ。
もちろん、検索というアクションを100%なくすことはできないだろう。でもコンテキストによっては、『駅.Locky』のようにその多くの部分をシステムに任せることが可能となる。
システムが利用されるコンテキストを理解し、そのコンテキスト内で、利用者の負荷を低減できれば、そのシステムはきっと、使いやすいものになるだろう。
これから検索システムを設計する際には、以下のような問いかけを忘れないようにしよう。
「その検索システムは、利用者を検索から解放しているか?」と。