テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

小説 冬の終わり 「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」

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 「自分はプログラマに向いていない」――。そう思った瞬間から、自分が何をすればいいのか、どうしたいのかが見えなくなった。暗く冷たい冬の底にいるように、心は冷えていくばかり。心の調子を崩したプログラマが、テストエンジニアとして再生するまでの物語。

 ⇒第1回 第2回 第3回

◇◇◇

■第4話:目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ

 抗うつ剤のおかげで、ひどい憂鬱からは解放された。けれど、根本的な解決法はまだ見えなかったし、気持ちが完全に晴れたわけではなかった。

 だから、実家に戻ったときに思い切って両親に「会社を辞めて実家に帰りたい」と伝えたの。あと、「実家でお父さんとお母さんが2人だけになっているのも心配だし」とも付け加えた。両親は「お前がそうしたいなら好きにすればいい」と言ってくれた。だけど、2人の妹たちはそれを許さなかった。

 「お姉ちゃんが帰りたいのって、現実から逃げたいだけだよね」

 「親を心配するふりして逃げるなんて卑怯だよ。本当に親を安心させたいなら帰ってこないで!」

 言葉だけ聞くとなかなかキツイ。でも、妹たちは口は悪いけど根はいい子だから、妹たちはわたしの言葉の裏にある甘えを見抜いていたわけね。

 でもその言葉で目が覚めたというか、少なくとも妹たちから「親をまかせて大丈夫」と認められるまでは帰るわけにはいかないと思ったのよ。

 もう少しだけ今の会社で頑張ってみようかと思いながら、実家を後にしたわ。どちらにしても、抗うつ剤を飲まなくていい状態にならないと決断できることでもなかったしね。

 それからしばらく経った頃、わたしが所属する市民オーケストラで次回の定期演奏会のプログラムが発表された。

 プログラムを見た瞬間、わたしは固まってしまった。

モーツァルト「ドン・ジョバンニ序曲」(※ 1)

コルンゴルト「バイオリン協奏曲」(※ 2)

R.シュトラウス「交響詩“死と変容”」(※ 3)

 どの曲も、すべて「死」や「終末」を連想させるような曲ばかりだったから。直観的に、「この演奏会を乗り越えたら、何か見えるかも」と思ったの。それからは、必死だったわ。今まで経験したどの演奏会よりも。「ドン・ジョバンニ序曲」を弾いては地獄落ちに思いを馳せ、コルンゴルトのバイオリン協奏曲を弾いては砂混じりの熱い風が吹き付けるような感覚を味わった。

 中でも一番わたしの心をつかんで離さなかったのは「死と変容」だったわ。死とは何か、死の向こうにあるものは何か、死は本当に終わりなのか……この曲を聴いて、楽譜を読んで、実際に弾いて、そのたびにそんなことばかり考えていた。

 改めて振り返ってみると、何だかものすごい境地だわね。ある意味、究極の音楽療法ってところかしら。

 その演奏会のあとで、ベートーヴェンの「第九」もやったの。「第九」は今までに何度もやったことあったけど、このときほど真剣に取り組んだことはなかったわ。だって、この曲のテーマ「苦悩を突き抜けて歓喜へ」って、そのまんまじゃない。

 このときの経験から、音楽に対する解釈が深くなったような気がするの。不謹慎を承知で言わせてもらうと、このことに関しては「怪我の功名」だったわ。

◇◇◇

◇クラシック初心者のための豆知識

(※ 1)モーツァルト「ドン・ジョバンニ序曲」

オペラ「ドン・ジョバンニ」の序曲(そのままですが)。オペラのあらすじは以下の通り。「主人公の色男ドン・ジョバンニは行く先々で悪事を働き、最期には自分が殺した騎士長の石像によって地獄に落とされる。悪事を働く者の末路はすべてこの通り」

(※ 2)コルンゴルト「バイオリン協奏曲」

コルンゴルトは19世紀末のウィーンで活躍したユダヤ系の作曲家。幼い頃から才能を発揮し、「モーツァルトの再来」と賞賛されたが、第二次世界大戦時に祖国を追われた。その後はアメリカに渡って映画音楽を作りながら暮らし、祖国に戻ることなく生涯を閉じた。この「バイオリン協奏曲」はアメリカに渡って作られた曲で、映画音楽的なノリの中に、どこか世紀末ウィーン風の香りが漂っている。

(※ 3)R.シュトラウス「交響詩“死と変容”」

「交響詩」とは、オーケストラで演奏される単一楽章からなる標題音楽のこと。この曲は一編の詩をモチーフにしている。詩の概要は次の通り。「1人の病人が死の床についている。病気の苦しみ、死の恐怖、つかの間の安らぎ、若かりし頃の思い出。そして死の瞬間が訪れる。一瞬の静寂。やがて魂は浄化され、永遠の世界へと旅立つ」

Comment(5)

コメント

こんばんは。クラシック音楽のことはよく分からないのですが、もっと重い鬱状態でしたら「死と変容」と聞いただけで、断崖へ向かう旅に出るでしょう。そこで、永遠の世界を知った、死を超越した存在を知った、それが、ここでの大きな収穫だと思います。

鬱病も、治療を間違うと(医院を転々とするなど)、高度自閉症とか、高度な鬱病になりかねませんので、クラシック音楽との出会いは非常に重要ですね。

この方にとって、今後、クラシック音楽趣味が、自分の重圧、プレッシャーにならないように気をつけてもらいたいとお伝え下さい。

RERI

バッハのカンタータ140番でしょうか。
大好きな曲です。

147番の有名な旋律も好きですが、
140番のモヤモヤ感が好きですね(笑

第3バイオリン

田所さん

>そこで、永遠の世界を知った、死を超越した存在を知った、それが、ここでの大きな収穫だと思います。

それは私も思いましたね。
死んでおしまい、ではなくて、もう一歩踏み込んだところまで考えることができたのが良かったのかもしれません。

>この方にとって、今後、クラシック音楽趣味が、自分の重圧、プレッシャーにならないように気をつけてもらいたいとお伝え下さい。

それなんですよね。
楽器の演奏が趣味の場合、練習してもうまく弾けないときに
かえってストレスを感じてしまうことがあるんですよね。

趣味がストレス発散どころか、かえって別の種類のストレスを呼び込んでしまうというわけです。
どうにかならんものか、といつも考えています(苦笑)。

第3バイオリン

RERIさん

はじめまして、コメントありがとうございます。

>バッハのカンタータ140番でしょうか。
>大好きな曲です。

正解です!

>147番の有名な旋律も好きですが、
>140番のモヤモヤ感が好きですね(笑

冒頭の弦楽器の部分ですね。
私はテノールのアリアも好きです。
高校生くらいのときに、あのアリアのオルガン編曲版をラジオで聴いてから好きになりました。

第3バイオリン

【第4話の解説】
妹たちのこの言葉があったからこそ、私は立ち直れたと思っています。
姉が頼りないと、妹がしっかりしていいですね(苦笑)。

この言葉を言われたとき、妹たちは
「他にも言いたいことあるなら全部言ってよ。私たちが聞くからさ」と言ってくれました。
そこで心の中に溜まっていることをすべて吐き出し、他にも厳しい言葉をもらったりして気持ちが楽になりました。
彼女らが妹で、本当に良かったと思っています。

また、市民オーケストラのプログラムもあまりにタイムリーでした。
冗談ではなく、「私のためにあるプログラム」だと思いました。
バイオリンを弾くことである意味、うまく気が紛れたのかもしれませんが、
このときは音楽があって、本当に良かったと思いました。

第4話のタイトルは、すでにRERIさんがコメントされていますがバッハのカンタータ第140番から拝借しました。
冒頭部分が某携帯電話会社のCMで使われていました。
新しい門出を祝うような、晴れやかな曲です。「この話のタイトルはこれしかない!」と直感的に思いました。

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