【書評】「レッドビーシュリンプの憂鬱」たぶんどこにもない正解を問い続ける
こんにちは、第3バイオリンです。
エンジニアライフのコラムニスト、リーベルGさんの小説「罪と罰」がタイトルを改め、書き下ろしの特別編を加えて書籍になりました。わたしはこの小説をエンジニアライフ連載時には毎週読んでいろいろ考えていましたが、今回ひと足先にドラフト版を読ませていただいて、あらためて考えてみたことを書いてみたいと思います。
■命の価値は誰が決める?
エンジニアライフの連載を読んでいた読者にはあらすじを説明する必要はないかもしれませんが、物語は主人公の箕輪レイコが所属するWebシステム開発部に、ソフトウェア・エンジニア労働環境向上推進委員会(通称:イニシアティブ)の代表を名乗る五十嵐というコンサルタントがやって来るところから始まります。
物語の中盤で、五十嵐は趣味で飼育しているレッドビーシュリンプというエビにたとえて、「エンジニアの地位を向上させ、純粋に技術力で評価されるようにするために、優秀なエンジニアをすくい上げ、向上心のない者は排除する」という持論を語ります。聞く人によっては過激な主張ととれなくもないですが、彼がこのような考えに至ったのには理由があります。書き下ろしの特別編では、五十嵐の過去――ある若手エンジニアを不幸にしてしまった苦い経験――が描かれています。
この小説の元題は「罪と罰」言わずとしれたドストエフスキーの名作です。こちらのあらすじを簡単に説明すると、主人公ラスコーリニコフが「非凡人は新しい世界を作るためなら法を踏み越え、障害となる凡人を亡き者にする権利を持つ」という考えのもと、強欲な金貸しの老婆の殺害を計画、実行します。ところが、たまたまその場に居合わせた老婆の義理の妹で善良な女性リザヴェータをも殺してしまったことで苦悩と葛藤に見舞われる、というストーリーです。
「目的は手段を正当化するか」「何千もの命を救えるなら、ひとつの命を犠牲にすることは許されるのか」19世紀にドストエフスキーが提示した問いが現代日本のIT業界で再度問われることになります。レイコは五十嵐の考えに賛同しつつも、ベテラン社員たちが追い詰められていく姿を目の当たりにして葛藤します。物語のラスト、クリスマス一色に染まる街でレイコは「ある光景」を見かけ、思わず涙します(ラストシーンはエンジニアライフ掲載時とほんの少し、変わっています)。この涙の意味は何なのか。ラスコーリニコフが自首する前に娼婦ソーニャから十字架を受け取ったように、レイコもまた十字架を背負うことになったのかもしれません。
■歩み去った者より
普段から、「技術力ではたいしたことないのに年齢が上というだけで高い給料をもらって偉そうにしている上司がウザい」「休日も勉強会に行ったりして最新技術を学んでいる自分と、言われた仕事をやってるだけの同僚が同じ待遇だなんて納得いかない」そんな不満を抱えている人は躍進する若手エンジニアと対照的に徐々に追い詰められていくベテラン社員たちを見て「ざまあみろ!」と思うかもしれません。
しかし、自らのエンジニアとしての能力に限界を感じて悩み続け、ついに退職したわたしにとっては、そんなベテラン社員がどこか他人事とは思えないという感覚もありました。もちろん、わたしも退職までに何もしなかったわけではありません。少しでも最新技術についていこうと土日に技術書を読み、勉強会に参加していました。しかしそれでも、学んだことを仕事にうまく落とし込むことができず、自分より優秀なエンジニアと比べて落ち込み、苛立ちを抱えるようになっていきました。結果だけ見れば、わたしは物語の中で逃げるように会社を去った久保やイニシアティブの改革についていけず居場所を失ったエヌ氏とそれほど変わらないのかもしれません。
わたしはエンジニアを辞めたところで何をするかまるっきり当てがなく、どうすればいいかかなり迷いましたが夫の理解もあり退職という選択肢を取りました。しかし、もしシングルマザーの進藤カスミのように、自分が稼がないと家族が路頭に迷うという境遇だったら一体どのような人生が待ち受けていたのか、と今でも思うことはあります。
■答えのない問い
わたしはエンジニアとしての道を究めることはできませんでしたが、技術力と向上心のあるエンジニアが正当な評価と報酬を得られるようになり、自分の仕事を誇りに思える世の中になってほしいと思います。しかし、「技術者が技術力で評価される」ことと「もし最新技術についていけなくなったらIT業界から去る(生活の保障はない)」ということはイコールなのでしょうか。
純粋に技術や能力だけで評価される職業としてわたしがまっさきに思い浮かべるのはプロ野球選手です。よい成績を残し、チームの勝利に貢献できれば年俸は上がりますし、それができなければ年俸ダウン、あるいは戦力外通告となります。また、試合のある日だけでなくシーズンオフのときでも練習をするのは当たり前です。プロ野球選手なら誰でも毎日練習して、一日でも長く現役で活躍したいと考えていると思いますが、それでもイチローや山本昌のようになれる人はそういません。
プロ野球選手とエンジニアは報酬も社会的な役割もまったく違うので、エンジニアもプロ野球選手と同じようになればいいとは思えません。ではどうなるのがいいのか、わたしはまだ答えを見つけていません。おそらく正解のない問いなのかもしれませんが、たとえそうであっても考える、考え続けるということが重要なのかもしれません。