小説 冬の終わり 「わたしのため息、わたしの涙」
「自分はプログラマに向いていない」――。そう思った瞬間から、自分が何をすればいいのか、どうしたいのかが見えなくなった。暗く冷たい冬の底にいるように、心は冷えていくばかり。心の調子を崩したプログラマが、テストエンジニアとして再生するまでの物語。
◇◇◇
■第3話:わたしのため息、わたしの涙
心療内科へ行って、まっ先に先生に尋ねてみたの。「わたしはうつ病なんですか?」って。そしたら先生は、「うつかどうかはまだ分からない」って答えたの。びっくりしたわ。どういうことかというと、先生がおっしゃるには、うつ病っていうのは次の2つの症状のいずれかにあてはまる場合をいうんですって。
- これという原因がないのに気分が沈む
- 気分が沈む原因は分かっているが、それが解決してもまだ改善しない
この定義でいくと、少なくともわたしの場合、前者ではないのは確かだった。もしうつ病だとしたら後者の可能性だけど、気分が沈む原因を解決しないことには何も分からないということで、とりあえず抗うつ剤を飲みながら様子を見ることになったの。
薬を飲み始めてからは、憂鬱な気持ちは落ち着いたわ。ちょうどその頃、テレビで「現代型うつ」というのを知って、もしかしたら自分はこれではないかと思ったの。
Googleで「現代型うつ」というキーワードで検索すると、だいたい10万件ぐらいのヒットがあったの。けっこう関心を持たれている症例ってわけね。
サイトによって書き方はそれぞれだけど、まとめるとだいたい次のような特徴があるみたい。
- 20代~30代の若年層に多い
- 自分ではなく他人を責める(普通のうつでは自分を責めることが多いよね)
- 自分の趣味、好きなことはできるが、嫌いなことや苦手なことはやる気にならない(これがうつだと好きなことすらできなくなる)
- 自覚症状がある。自分から病院に行きたがる(うつの人はなかなか自分から病院にいかない)
- ストレス耐性が低い。自傷行為に走ることもある(でも本気で自殺する気はそれほどないらしい)
じゃ、これにわたしが当てはまるかどうか、ちょっと試してみるわね。
1……○
当時のわたしは27歳だったから、これは当てはまるわね。
2……×
わたしの場合、特定の誰かが悪いとは思わなかった。ただ、周りの人、とくにプロマネに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だって、自分のプロジェクトのメンバーが心を病んでしまったなんて、わたしがプロマネだったら辛いと思うもの。
3……○
趣味でやっている市民オーケストラの練習には普通に通っていたから、これは当てはまるわね。現代型うつと呼ばれる人の中には、気分転換と称して休職中に海外旅行に行ってしまう人もいるみたいだけど、わたしはそんなに気合の入った気分転換をするだけの元気はなかったわ。どちらにしても休職まではしなかったし。
4……○
産業カウンセラーの先生に勧められたのがきっかけとはいえ、心療内科に通院することを決めたのはわたし自身だったから。まあ、妹からは「自分から病院に行く人はうつ病じゃない」って言われたことあるけどね。
5……△
ストレス耐性が低いっていうのは、簡単にいうと「打たれ弱い」ってことかしら。だとしたら、わたしのストレス耐性は低かったような気がする。だけど、さすがに自傷行為に走るなんてことはなかったわ。痛いの嫌だし。
結局のところ、自分が「現代型うつ」なのかどうかはよくわからなかった。当てはまる部分もあったし、そうでない部分もあったから。ただ、「現代型うつ」っていうのは、まだ新しい症例で専門家の間でも解釈が分かれているらしいから、素人のわたしがテレビやネット検索で聞きかじった程度の知識をもとにあれこれ分析しても、わからないのは当然だったのかもね。
ただ、とにかく自分にいったい何が起こっているのか、自分のこの症状は何なのか知りたかったの。こんな状況になっても分析好きなあたり、やっぱりわたしは血の一滴までエンジニアだと思ったわね。たとえていうと、わたしが「もうひとりのわたし」になって自分の意識の深淵に降りて行くような、そんな感覚だった。
そのとき仕事はどうしてたかって? 仕事の方は、さすがにすぐ異動というわけにもいかないから、今までと同じ開発プロジェクトに留まることになったの。ただ開発業務からは離れて、そのプロジェクトのドキュメントの整備とか、補佐的な作業をすることになったわけ。でも、開発部署に所属しているのに開発業務に携わらない、こんな中途半端なポジションは辛かったわ。「開発部署にいるのに開発してない。わたしって何なの?」って、いつも悩んでいた。かといってプログラミングの業務に戻るつもりも自信もなかったから、なおさら悩みは深くなっていった。
「現代型うつ」であろうとなかろうと、わたしのため息も涙も減ることはなかったわ。
コメント
第3バイオリン
田所さん
>涙が笑顔に変わる時、その時が来るまで、待つしかなさそうですね。
いつ「その時」が来るのかわからないというのは当人にとって辛いことですが、
焦ってもすぐに良くなるわけではありません。
このとき初めて、自分の意思や努力ではどうにもならないものもあるということを
実感したような気がします。
第3バイオリン
【第3話の解説】
心療内科に通院し、抗うつ剤を服用しましたが、結局うつだったのかどうかはわからずじまいでした。
少なくとも、健康な状態ではなかったと思います。
そのため、このときの状態を人に説明するときは
「うつじゃないけど、それに近い状態」と言うようにしています。
現代型うつについてもいろいろ調べてみました。
サイトに紹介されている事例の中には、当時の私が見ても
「本当に病気なの?」と疑ってしまうものもありました。
(それこそ、小説に書いたように休職して海外旅行、など)
自分で現代型うつかも?と考えてはみたものの、正直いってこういう人と一緒にはされたくないです。
ただ、擁護するわけじゃないですが、たとえ現代型うつでも当の本人はそれなりに辛いと思います。
もし本人が「このままじゃいけない」と思っているようであれば、まだ救いようはあると思います。
第3話のタイトルはバッハのカンタータ第13番から拝借しました。
タイトルの通り、深い悲しみに満ちた曲です(終曲は安らぎに満ちた曲です)。