テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

小説 冬の終わり「わたしの心は血の海に漂う」

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 「自分はプログラマに向いていない」――。そう思った瞬間から、自分が何をすればいいのか、どうしたいのかが見えなくなった。暗く冷たい冬の底にいるように、心は冷えていくばかり。心の調子を崩したプログラマが、テストエンジニアとして再生するまでの物語。

 ⇒第1回

◇◇◇

■第2話:わたしの心は血の海に漂う

 仕事に行き詰っているわたしに、さらに追い打ちをかけるようなことが立て続けに起こったの。

 そのころ、わたしには好きな人がいた。事情があって彼が遠くの街に引っ越すことを知ったとき、わたしは彼に告白することを決めた。彼の言動から、わたしに気がなさそうなことは感づいていたけど、それでも何も伝えないよりはマシだと思った。ちょっとベタだけど、バレンタインデーにチョコレートを渡して「好きです」と伝えた。彼の返事は「他に好きな人がいるから……ゴメン」やっぱりね。

 ある程度予想どおりの結果だったけど、やっぱり失恋は辛かった。

 次の日、「こうなったら、痩せてキレイになってわたしを振ったこと後悔させてやる」なんて考えながら通い始めたばかりのスポーツジムに行った。

 するとジムの受付には今まで見たことのない人がいて、その横の壁に「今月末をもって当ジムは閉鎖します」という張り紙が貼ってあった。すぐに受付にいた人にどういうことかと詰め寄ったわ。

 「ああ、このジム経営難でして、オーナー会社の方針で閉鎖することになったんですよ」オーナー会社の社員だというその人は事務的な口調でそう言った。中に入ると、今までお世話になっていたマネージャやインストラクターがみんないなくなっていた。すぐに受付に戻り、「マネージャさん達はどうしたんですか」と聞いたけど、「彼らは昨日付けで退職扱いになりました。もうここには来ません」と返された。

 閉鎖は仕方ないかもしれないけど、せめてお世話になったマネージャやインストラクターにはちゃんと挨拶したかった。

 仕事のこと、失恋、スポーツジムの閉鎖……1つひとつは大したことじゃないかもしれないけど、それがほんの数日間にまとめて起こると、怒りや悲しみもなくなって、ただ力が抜けていくだけだった。なんかもう、目標とか心の支えみたいなものを一度に失って、今まで頑張ってきたことはなんだったのかもわからなくなったの。

 ちょうど季節は冬の真っただ中。

 わたしが住む街は毎日のように灰色の雲が重く垂れこめて、雪が降っていた。北国の冬っていうと雪で苦労するイメージがあるかもしれないけれど、本当に辛いのは灰色の空を毎日ながめなくちゃいけないことなのよ。だって、太陽が見えない日が11月から4月まで、毎日続くのよ。この辛さは実際に暮らしてみないと分からないと思う。

 わたしはもともと瀬戸内の生まれで、一年中日の光を浴びながら育ったの。だからこの灰色の空はとにかく堪えたわ。そんなとき通りかかったお店の前にオリーブの鉢植えが置いてあるのを見つけたの。オリーブといえばわたしの出身地の県木で、街路樹としてもよく見かけていたから、その鉢植えを見ながら、わたしは地元の穏やかな町並みを思い出していた。そのうち寒空の下で頼りなく枝を揺らすオリーブの木がわたし自身と重なって見えて、わたしはその場で泣いたわ。

 「かわいそうに。こんな暗くて寒いところでお前も1人ぼっちなのね」

 それから数日後くらいかな。職場でいつものようにPCに向かっていても、何も考えることができなくなっていたの。そんな状態で座っていることに耐えられなくなって、わたしは思わず居室を飛び出した。それで、気がついたら会社のビルの外に突っ立っていたわけよ。

 ここまでくると、さすがに自分でもちょっとおかしいってことに気がついて、プロマネや上長と相談して、うちの会社の産業カウンセラーの先生のところに行くことにしたのよ。カウンセラーの先生に話を聞いてもらって、それで、心療内科への通院を相談して決めたの。とりあえず、会社から最寄りの心療内科に行くことにしたわ。

 心の病気が流行っているのは知っていたけど、まさか自分がそうなってしまうとは思わなかった。ファッションの流行には乗れないくせに、なんでこういうことばかり流行に乗ってしまうのかって思ったわ。

 この頃のことは正直言ってあまり思い出したくないけど、なんていうか、体はここにあっても、心だけは行き場を失ったまま血の海を漂っているような、そんな気分だったかな。

Comment(3)

コメント

いきなり心療内科はつらいですね。でも、その初期の段階で気がついて良かったかも知れませんね。そこからエスカレートして、心療内科→神経科→精神科といく前に対処できたから、我に返ったから良かったのかも知れませんね。でなければ、手遅れになっていたはずです。

第3バイオリン

田所さん

>いきなり心療内科はつらいですね。でも、その初期の段階で気がついて良かったかも知れませんね。

第3話でも書きましたが、このときの私の状態はたぶん、「うつ病の一歩手前」くらいだったのだと思います。
この段階で何とか手を打てて良かったのかもしれません。

第3バイオリン

【第2話の解説】
小川さんは、ファッションの流行には疎いようです。
しかも皮肉たっぷりの笑えないジョークを飛ばしています。
このあたりは私によく似ています。

この第2話は書いてて一番辛かったですね。
話としてまとめるのも一番大変でしたし、プライベートなことを書きすぎたかもしれません。
しかし、もう何もかも話してしまいたい気持ちのほうが強かったので、
起こったことをありのままに書きました。

小川さんがオリーブの木を見て涙するシーンは、私も書いてて泣きました。
もう昔のことだからと割り切っていたつもりなんですけれどね・・・。

第2話のタイトルはバッハのカンタータ第199番から拝借しました。
苦悩と絶望に満ちた、なんとも悲痛な曲です(最後のほうは明るくなりますが)。
実は、最初にタイトルを思いついたのはこの第2話でした。
なんとなくおどろおどろしい感じが気に入っています。

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