テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

小説 冬の終わり:「おしゃべりはやめて、お静かに」

»

T_winter_3

 「自分はプログラマに向いていない」――。そう思った瞬間から、自分が何をすればいいのか、どうしたいのかが見えなくなった。暗く冷たい冬の底にいるように、心は冷えていくばかり。心の調子を崩したプログラマが、テストエンジニアとして再生するまでの物語。

◇◇◇

■第1話:おしゃべりはやめて、お静かに

 「リリースチェック終了しました。特に問題はありませんでした」

 「ああ、ありがとう。チェックリストはサーバにアップしてくれた?」

 「はい、先ほどアップしておきました」

 「じゃ、後で確認しておくから。予定通り明日リリースできそうだね。小川さんのおかげで助かったよ」

 「いえ、とんでもない」

 そう言って、わたしは内線を切った。ふう、やれやれ。ようやく最後のリリースチェックが終わって一段落ってところね。

◇◇◇

 わたしは北国のとある会社でテストエンジニアをやっている。

 あ、今そこで「テストエンジニア? 地味な仕事だな」って言った人いるでしょ? そりゃ、開発の現場でばりばりコーディングっていうのに比べたら、多少は地味かもしれない。でも、わたしはこの仕事が好きだし、誇りを持ってやっている。そう胸を張って言える仕事に携わることができて感謝しているし、開発者からも感謝されるテストエンジニアを目指して日々精進しているつもり。

 えっ、なんでそんなに「感謝」にこだわるかって?

 それについては、わたしの過去について話さなくちゃいけないわね。少し長くなるけど、ちょうど休み時間に入ったところだし、話そうかしら。しばらくおしゃべりはやめて、わたしの話を聞いてくれる?

 どんな過去か最初に言ってしまうけど、実はわたし、心の調子を崩したことがあるのよ。ああ、でも別にそんなに重い話にはしないつもりだから、そんなにかしこまらなくていいのよ。コーヒーでも飲みながら気楽に聞いてちょうだい。

◇◇◇

 今はテストエンジニアをやっているって言ったけど、今の会社に新卒で入社したときのわたしはプログラマだった。情報系の大学院を出たわたしは、とにかくものづくりがしたかったし、せっかく大学院まで行ったのだから自分の専攻を絶対生かしたいと思ったの。

 その両方を実現できる職業といえば、当時はプログラマしか思いつかなかった。本当のことをいうと大学のプログラミング演習はあまり好きではなかったし、成績も良くなかった。だけど、自分が作ったプログラムが動く楽しさは知っていたから、なんとかなると思ったのよ。だから念願叶ってプログラマとして働きはじめたころは、そりゃもう「この道で生きていく!」と必死だったわ。もちろん、失敗もあったけど、まだ新人だったから多少のことは大目に見てもらえた。

 だけど、3年目くらいになると、そうもいかなくなった。もう「新人」じゃないから当然よね。新しい仕事をどんどん任されるようになったものの、設計をコードに落とし込むのがどうしようもなく下手でだんだん行き詰まりを感じてきた。

 もちろん、このままじゃいけないと思ったわ。本を買って自宅のPCに環境を構築して勉強しようとしたけど、昼間さんざんコーディングして帰ってきたところで、さらに自宅でPCを触る気にはなれなかった。本当にコーディングが好きなら疲れていても喜んでPCに向かうはずなのに、それができないってことはたぶんわたしには向いていないんだ、とそのときは思ったわ。

 考えてみれば、学生のころからそんなにコーディングが好きでも得意でもなかったのに、どうしてこの道に進んでしまったんだろうと後悔しはじめたの。

 こういうときに誰かに相談したらよかったんだろうけど、3年目にもなって「できない」なんて言うのはカッコ悪いし、勉強が必要なのがわかっているのにやる気が起きないなんて言っても理解されるはずないから黙っていた。せめて愚痴を聞いてくれる相手でもいればと思ったけど、元々わたしはこの土地の出身でもないし、大学も県外だったでしょ。だから、そういう人が身近にいなかったの。

 そんなとき、所属していたプロジェクトのプロマネに言われたの。

 「小川さんは将来どうなりたいの? 自分のキャリアパスとか、ちゃんと考えてるの?」

 たぶんプロマネはわたしの仕事に対するモチベーションが下がってきたのを心配しただけだと思うんだけど、その一言はわたしを余計に焦らせたわ。

 キャリアパスなんて3年目くらいになれば自然に見えてくるものだと思っていたけど、そのときのわたしには何も見えなかった。ただ、少なくとも「このままプログラマを続けていって、ある時期がきたらプロマネになって……」という、よくあるパターンはちょっと違うような気がしたのよ。そりゃ、周りを見ていたら、たぶんわたしもそうなるんだろうなとは思ったけど、本当に心の底からそうなりたいかと言われたら、答えは「NO」だった。

 じゃあ、何になりたいの? どうなりたいの? と聞かれても、わたしには何も思いつかなかった。焦ったわたしは書店に行って、「○歳までにやっておくべきこと」みたいなことが書かれている本をつぎつぎ手に取ってみたけど、どの本にも納得がいく答えは見つけられなかったわ。本棚をにらみながら、こんなにたくさんの本があるのに、わたしに応えてくれる本はない……と悲しい気持ちになった。

Comment(3)

コメント

どうもー、稲造でございます。

マニュアルには何も書いてないですよね。僕も「電子設計から機械設計へ移るための完全攻略」という本があったなら欲しかったですね。

僕は、自分の生活を守るために、働いていたもので、郷土のために、とか、考えたことがなかったですねえ。ビートたけしの母が言うように「貧乏は悪だ」と。

高校を3年の2学期で中退して(病気)、兵庫に来てから4年次まで通い、放送大学をちょびっとかじった人間なので、4年制大学卒、というだけでも、立派ですし、それを支えた親御さんも立派だな、と思いました。

「何々をせねばならぬ」という気負いがなくなって、はじめて、道を究めたと言っていいのではないでしょうか。たまには肩の力を抜いて、未来を切り開いて行ってくださいね。

第3バイオリン

田所さん

コメントありがとうございます。

>マニュアルには何も書いてないですよね。

キャリアパスというのは、まさに十人十色ですからね。
たとえゴールが同じでも、そこに行くための道の数は無限大です。
他の人が成功した道を歩いても、自分も同じようになれるとは限らないというのがまた悩ましいところです。

>4年制大学卒、というだけでも、立派ですし、それを支えた親御さんも立派だな、と思いました。

ありがとうございます。
東京の大学への進学を許してもらえただけでなく、大学院まで行かせてもらって
両親には感謝しています。

>「何々をせねばならぬ」という気負いがなくなって、はじめて、道を究めたと言っていいのではないでしょうか。たまには肩の力を抜いて、未来を切り開いて行ってくださいね。

プログラマをやっていた頃は、本当に「早く一人前にならなくてはいけない」「スキルアップしなくてはならない」ばかりでした。
そりゃ、行き詰るのも当然です(苦笑)。

今でもそういう感情にとらわれて、イライラするときもありますが、
テストエンジニアとしてはまだ半人前なので、無理をせず一歩ずつステップアップしていきたいです。

第3バイオリン

【第1話の解説】
最初に言ってしまいますが、この小説の主人公である小川さんは私自身がモデルになっています。
小川さんに起こったことは、すべて私自身に起こったことです。

小川さんは、私と同じくらいの年齢ですが、私よりは穏やかで、物静かな女性をイメージしています。
念のために言っておきますが、小川というのは私の本名ではありません。
主人公の名前の由来は、第5話の解説で明らかにします。


仕事にしろキャリアのことにしろ、今の私であれば迷ったり、悩んだりしたときは
素直に誰かに相談することができるのですが、このときはそれもできず、ひとりで抱え込んでしまっていました。
知らない土地にひとりでやって来て、強く生きなくてはならない、
弱いところは見せられない、見せたくないという気持ちがあったのだと思います。

今であれば、たとえ開発に戻ることになっても、もう少しうまく立ち回ることができると思っているのですが。

キャリアパスについては、今も明確な答えが出ているわけではありませんが
このときのプロマネの一言には本当に焦りましたね。

今はそんなにカッチリ決めなくてもいいと思えるようになりましたが
当時は何も決まっていない、決められない自分が本当にダメな人間のような気がして、辛かったものです。

ただ、後から振り返ると、このときが自分のキャリアについて考えるべき時期だったのかなと思っています。

第1話のタイトルはバッハのカンタータ第211番から拝借しました。
「コーヒー・カンタータ」という通称のほうが馴染み深いかもしれません。
小川さんが「コーヒーを飲みながら聞いて」と言っているのは、そのためです。

曲の内容はコーヒー大好きな娘さんと、コーヒーを何とか止めさせたいお父さんとの
ドタバタコメディで、小説のストーリーとはまったくミスマッチなのですが、
お話の最初にふさわしいタイトルだと思ったので、使わせてもらいました。

コメントを投稿する