外資系IT企業の過酷なIT現場を経た同期4人組(現在は研修講師)が執筆します!

第10話:“他部門との調整ができるメンバーを育てよう!”の巻(上)

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 保守運用チームの若手メンバーであるウオヌマは、以前、仕事に疲れ切ってしまった時期があった。しかし、運用という仕事の重要性を実感し、ユーザー部門の役に立つ喜びを味わったことがきっかけで、モチベーションを回復できたのだった。

 それ以来、ウオヌマは心なしか頼もしさを増したようにも見える。チーム・リーダーの中田真紀子は、日々の激務に追われるうち、ウオヌマがそんな時期を乗り越えてきたことも忘れかけていた。

 ある朝。真紀子は、チーム全員あてに出したメールに対して、返信期限を過ぎてもウオヌマだけ返信がないことに気付いた。

(あれ? いつもウオヌマくんが一番に返信して来るのに……そういえば、前に一度同じようなことがあったっけ)

 机4つを隔てたウオヌマの席にそっと目をやると、机の上は乱雑をきわめている。PCに向かう横顔には輝きがなく、髪もぼさぼさだ。

(あ~あ……一見して重症。こんなになるまで、私もどうして気がつかなかったのかしら。そういえば、前に元気をなくしていたとき、会社をちょっと離れて一緒に食事に行ったら、意外にうちとけて本音を話してくれたわ)

 その日、真紀子は、残業しているウオヌマの様子に、それとなく注意していた。そして、集中力が尽き果てたタイミングを見計らって、声をかけた。

真紀子「ウオヌマくん。だいぶお疲れじゃない?」

ウオヌマ「は? ……まあ……」

真紀子「私も最近バタバタしていて、ちゃんとした夕ご飯食べていないの。せっかくだから、これから一緒にいかが?」

 ウオヌマは、一瞬茫然とした表情をしたが、断る気力もない様子で、力なくうなずいた。

ウオヌマ「たしかに相当疲れがたまっていて……今これ以上やっても、たかが知れているし……。はい、ご一緒します」

 真紀子は、会社の最寄駅から3分ほど線路沿いに歩いたところにある、こぢんまりした居酒屋にウオヌマを連れて行った。2人が座ったカウンターの向かい側では、店の主人が炭火で椎茸を焼いていた。ウオヌマは、赤く光る炭火を、長い間黙って見つめていた。真紀子は辛抱強く待った。だいぶたってから、ウオヌマはポツリポツリと話し始めた。

ウオヌマ「問題が起こったのは、経理部の新システムの運用が始まってからなんです」

 経理部のシステムを、自社開発した以前のシステムから市販のパッケージに置き換えたのがきっかけだという。経理部から直接ウオヌマに、「以前と操作が違いすぎる」「かえって業務に時間がかかる」「なんとかしてほしい」等、苦情が山のように寄せられて、困り果てているらしい。

ウオヌマ「それだけじゃないんです。経理部のエンドユーザーから直接に僕に、操作手順についての質問まで飛んで来るんです。それもしょっちゅう。いちいち画面を追って説明しないとだめで、他の仕事にとても手が回らない状況で……」

真紀子「それは大変……」

ウオヌマ「これではたまらない、と思って、パッケージ導入を推進した経理リーダーのヤマガタさんと、話をしたんです。パッケージへの置き換えを決めたのは経理部なんだし、とにかく個々の苦情や質問は部内でまとめて、ヤマガタさんから僕に伝えてほしいと。だけど実際には、ヤマガタさんは自分のところに来た苦情メールを、そのまま僕に転送するだけなんです。結局、僕が1件1件対応しなきゃならなくて……ほとんど変わらない」

 真紀子は、(そんなことなら早めに相談してくれればよかったのに……)という言葉が出かかったのを、ぐっと飲み込んで考えた。

(1人でヤマガタさんに交渉して解決しようとした、ということは、前より成長しているのね。ここは、ウオヌマくんが成長のステップをもう1段上がるチャンスかも)
 
 真紀子は、ウオヌマのプライドを傷つけないように配慮しながら、慎重に助言をしてみることにした。

真紀子「ヤマガタさんと話をしても事態が改善しなくて、ゆきづまっているのね。
この問題、ウオヌマくんとヤマガタさんの交渉次第では、まだ解決できると考えられる?」

ウオヌマ「……どうでしょうか……」

真紀子こういう交渉ごとでは、まず、相手との信頼関係が構築できているかが大事よね。ヤマガタさんとは、どうかしら?」

ウオヌマ信頼関係はできている思います。ヤマガタさんとは、経理部旧システムの運用で親しくなって以来の付き合いで、本音で話してくれます。メールだけで分からないときは、わざわざ電話をくれたりするし。でも、最近は忙しそうで、時間があまりないみたいですけど」

真紀子「本音で話してくれる間柄なら、信頼という要素は大丈夫ね。今回の交渉の目的は、経理システムに関するウオヌマ君の負担を減らす、ということね。この交渉についての双方の“関心事”を考えてみましょうか

ウオヌマ「“関心事”って……? どういうことでしょうか」

真紀子「交渉における“関心事”っていうのは、それぞれが関心をもっている事柄よ。こうしたい、あるいはこうしたくない、ということを考えてみるといいわね。まずウオヌマくん自身は、経理システムの仕事に時間を取られないためにどうしたいのか、ちょっと挙げてみて」

ウオヌマ「うーん……経理部の要望や苦情はまとめてほしい。操作についての質問は勘弁してほしい。他には……」

真紀子「そうそう! それがウオヌマくん側の、今回の交渉における関心事ね。そうしたら次は、ヤマガタさんの関心事を考えてみて。それから、経理部のエンドユーザーの関心事も。そして、出てきた関心事に優先順位を付けて、1つ1つ解決策を考えていけば、きっと事態は良くなるわ。
 例えば、経理部の人たちがまだ新システムに慣れていないのなら、研修会を企画する、というのも1つの解決策ね。そうすれば、基本的な質問は必ず減るはずだし。
 こんな感じで、解決策を考えてみたらどうかしら」

ウオヌマ「……たしかに、こちらから手を打たないと、どうにもなりませんね」

真紀子「ウオヌマくんに、これだけ直接に苦情や質問が来るのは、それだけ経理部から頼りにされている証拠よ。働きかければ、きっとうまくいくわ。
 それと、ヤマガタさんに解決策を提案する前に、ヤマガタさんとの交渉がうまくいかないときはどうするか、ということも、ぜひ考えておくといいわ。“不調時対策”っていうのだけど、思い通りにいかないときにどうするか、という計画をあらかじめ立てておく。そうすれば、余裕をもって交渉にあたれるでしょう?」

ウオヌマ「なるほど……そこまで考え抜いたことはありませんでした。でも、いまさら何ができるかな……?」

真紀子「今回の不調時対策としては、例えば、エスカレーションがあるかな。つまり、ウオヌマくんとヤマガタさんの間でどうしても状況が改善しなければ、私と経理課長が直接話し合う、という方法もあり、なのよ。
 こんな感じで、関係者の関心事を洗い出して考えてみて。この件は明日、オフィスでまた話しましょう。それまでに自分でいろいろなアイデアを出して、書き出しておいてね」

ウオヌマ「はい」

 生真面目なウオヌマは、すぐメモ帳を取り出して、要点を書きとめていた。

効率的に交渉を進めるためには、どのような準備をするかがカギになります
□何も準備をせずに交渉に臨んでいませんか?
□交渉相手との人間関係に気を配っていますか?
□交渉相手の関心事、自分の関心事、その交渉に関係する第三者の関心事が何かを理解していますか?
□相手も(もちろん自分も)満足するような解決策を提案していますか?

原案:株式会社エムズ・ネット・スクエア 講師 津山元子 (文:津山元子&吉川ともみ)

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