エピローグ:そしてマネージャへ至る道
営業部リーダーの草野草一郎が、マネージャに昇格した。同期の朝田明日香、中田真紀子、そして今屋部長というごく内輪のメンバーが焼肉店に集まり、祝っている。
メニューを見ながら、明日香と真紀子は、張り切って注文していく。
真紀子「牛タン。カルビ。ロース。ミノ。とりあえず2人前ずつね」
明日香「いつも思うのだけど、“上”と“並”って、どのくらい違うのかしら。今日くらい、奮発してみない?」
真紀子は笑いながら、注文を訂正した。
真紀子「では、ロースとカルビは、それぞれ“上”を1人前と“並”を1人前ずつにしてください」
飲み物が運ばれてきて、今屋部長の音頭で乾杯となった。
明日香「おめでとう! 良かったね!」
真紀子「青山商会のビジネスは大きかったものね! おめでとう」
今屋「同期で初めてのマネージャだね!」
お祝いの言葉が飛びかうと、早速、次々に焼き肉が網に載せられた。皆が箸を伸ばし、一段落したところをみはからって、今屋部長が切り出した。
今屋「同期で初めてのマネージャになるわけだし、せっかくだから抱負を聞かせてもらおうか。どんなことに注意していくつもり?」
草一郎「部下やお客様、それから社内の関連組織とのコミュニケーションを、これまで以上に大切にしたいですね。特にお客様との間では、コミュニケーションの問題が、わが社への不信感につながることもあるし。
相手に指示が正確に伝わらなかったり、誤解されたり、ということを今までかなり経験しました。それで、相手の人となりを早めに把握して、わかりやすいコミュニケーションを取るよう心がけているんです」
真紀子「そうね。特にマネージャになると、指示がうまく伝わらなかったら部下は本当に混乱するものね」
会話を聞きながら、明日香は食べごろのカルビを自分の皿に取った。
真紀子「ちょっと明日香! それ、草一郎がさっきからひっくり返して焼いていたカルビでしょ! 駄目じゃない、取っちゃ!」
明日香「ごめーん! 気づかなかった」
一同、なごやかな笑いに包まれた。
今屋「よく焼かないと食べられない人もいれば、レア気味のほうが好きな人もいるからね」
草一郎「そうですよ!焼き肉の好みだけじゃなく、人はそれぞれ違う、という当たり前のことを、改めて実感しますね。同じことを伝えるにしても、人によって伝え方を変えることが重要ですよね。それには、その人の弱みや強みを早めに分析することが必要だと思います。この人は発想力と実践力は優れているけど、決断力が弱いから、そこを後押しする必要がある、とか。
これに気づかせてくださったのも、今屋部長ですよ。入社して半年くらい経った頃、『自分の強みと弱みを認識して、ビジネスに臨め』と言われたんです。何年かして、僕も自分の強みや弱みがわかってきて、次第に周囲の人の強み弱みにも目が向くようになったんです」
今屋「そんなこと言ったっけ。覚えていてくれて嬉しいよ。それで、相手のことを分析するようになってから、なにか変化があったの?」
草一郎「いろいろあります。一番の収穫は、相手との信頼関係を割と早い段階で構築できるようになったことですね。これは今回の青山商会の件でも大きかったです」
明日香は口にこそ出さなかったが、(私も普段から何となく相手に合わせて言い方を変えるけれど、こういう風に分析したことはなかったな。何となくじゃなく、意識して実践してみよう)と思った。
今屋「マネージャになっても、今までの心がけを大切にしたい、ということだね?!」
草一郎「はい。もう1つ、マネージャはプレーヤーではないということも肝に銘じています。時には、現場での自分の姿を部下に見せることも重要かもしれません。でもプレーヤーになりきってしまうと、部下も育たないし、自分の成長も止まってしまうので。部下をしっかり育てていくことを、大事にしたいです」
今屋「なるほど。例えば、部下に伝えたいことが、言いにくいことも含めて10あったとしたら、どう伝える?」
そう言って、今屋部長は、まず真紀子を見た。
真紀子「メールや文書も駆使して、10なら10をもれなく伝えます。さらに、相手が理解したか、復唱してもらって確認します」
明日香「わたしは……10全部は、なかなか伝えきれないかな。特に言いにくいことの場合は、意を決して、せめて2~3のポイントだけは確実に伝える、という感じですね」
今屋「草野くんは?」
草一郎「グループ・リーダーだった時は、基本的に10なら10全部を伝えていましたね。多少未消化になっても、伝えた方が相手の成長につながると考えていたので。ただ、場合によっては口うるさい母親みたいになってしまうし、逆効果だった面もある、と今は思います。
このごろ、伝える前に、相手の時間軸を見きわめることを心がけています。今ここで伝えた方がよいこともあれば、もう少し部下が成長した1年後に伝えた方がよいこともあるので。
だから、日ごろから、部下の成長度合いをよく見るようにしています。実力よりちょっとだけ高い目標を与えられたときに、人は最も成長すると感じます。そうやって1人ひとりが成長することで、組織としても成長できるはずです」
明日香と真紀子の箸が止まった。草一郎がマネージャとして、確実な第一歩を踏み出していることを感じ、思わず目を見張る2人だった。
真紀子「……草一郎くん、よくしゃべるようになったわよね」
草一郎「そうかな?」
真紀子「新人研修の時は、本当に無口で。グループワークの発表とか、いつもしりごみしていたのが懐かしいくらい」
明日香「そうだった! でも、やたらに自分が語っちゃうタイプのマネージャではないから、大丈夫よ。今の話も、ゆっくり、間を置きながら話してくれて、聞いていて腑に落ちる感じがした」
今屋「その通りだね。君たちの代は、個性豊かな3人が配属されて、私たちも特に育てがいがあったよ。男性とか女性とかこだわらず、本音でぶつかりながら自然に支えあっている様子を見て、私が学ぶこともあった。
今、私は、リーダーの世代が育つ支援をすることが私の使命だと感じている。これからも、壁にぶつかった時は、遠慮しないで相談しにきてほしいね」
明日香「もちろんです! 真紀子は間違いなくもうすぐマネージャになるし、私にもそういう日がくるはずだから。でも私がマネージャなんて、想像しただけでも心配でしょう?!」
真紀子「そんなことないわ。明日香の個性を活かしたメンバーへの接し方を見て、私の目からウロコが落ちたこともあるし」
明日香「え~?」
………
学生気分から社会人へと脱皮するかけがえのない時期を、ともに乗り越えた間柄だ。話はいつまでも尽きないのだった。
翌朝。
明日香が出社してメールを開くと、もう草一郎からのお礼のメールが2通、届いていた。1通は昨夜同席した皆に宛てたもので、もう1通は明日香宛ての私信だった。
朝田明日香様
草野です。きのうはどうもありがとうございました。
ひとつ、お伝えしようと思って忘れてしまったことがあります。
明日香さんのグループからこちらの課に異動してきて、技術メンバーの柱になってくれているサイゴウさんから聞いた話です。
先日2人でお客様を訪問した帰りに、明日香さんと私が親しい同期と知って、教えてくれました。
サイゴウさんは、自分が先輩で5歳年上なのに明日香さんが先にグループ・リーダーになり、かなり面白くない気持ちもあったそうです。
でも今は、明日香さんがグループ・リーダーになった理由がよく分かっているというのです。
明日香さんに対して最初は「リーダーなどできるわけがない」と思っていたし、頼りなさや勇み足はもちろんあったそうです。
でも、半年くらいして、明らかにグループ全体の力が向上していることに気付いて、はっとしたのだそうです。
明日香さんは、こうしようと決めたら、メンバーへの接し方やグループの運営があまりぶれない、とサイゴウさんが言っていました。
その核となっているのは、メンバーの個性や力量をきめこまかく観察する力と、相手の持っている力への心からの信頼だと思う、とも。
そのうち、明日香さんのグループにいることで、自分に欠けている点を教えてもらっていると考えるようになったそうです。
以前の私の上司で、サイゴウさんとも付き合いの長いカンダ課長が、私の課に配属された後のサイゴウさんを見て
「ずいぶん変わったもんだねぇ」
としきりに感心しています。カンダ課長によれば、
「前は、彼は自分だけで成果を出そうとしていた。今は、若手や他部門の力をうまく引き出せるようになって、ゆとりが出てきた」
ということでした。
実際のところ、私にとってもサイゴウさんは本当に頼りにしている存在です。
たぶん彼のこの変化は、少なからず明日香さんの影響によるのだと思います。
明日香さんがマネージャになる日も、近いかもしれませんね。
そのときもまた、同じメンバーで集まって祝うことにしましょう!
草野草一郎
明日香はとても驚いた。サイゴウの存在は、たしかに悩みのタネだった部分もあるだけに、やがて嬉しさと活力がじんわりと湧いてきた。そこへ、
「おはようございます!」
「おはようございます」
グループのメンバーが次々と出社してきた。
(1人ではできないことも、グループや組織では実現できる。でもその基本にあるのは、やはり1人ひとりの成長なのよね!)
「おはようございます!」
明日香はいつもどおり、1人ひとりに、笑顔で大きな声で挨拶を返した。(完)
~原案:株式会社エムズ・ネット・スクエア 講師 津山元子~ (文:津山元子/吉川ともみ)
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