第14話:メンバーの力を引き出そう!~コーチングの“キホンのキ”の巻(下)
保守運用グループ・リーダーの真紀子と、ソリューション課のグループ・リーダー明日香が、和食屋で一緒に昼食を楽しんだ帰り道。二人は、明日香のグループの若手メンバーであるイサハヤにバッタリ会った。細面で、いくぶん気弱な印象を与えるイサハヤは、真紀子に丁寧に目礼してから、明日香に言った。
イサハヤ 「すみません、リーダー。ご相談したいことがあります。オフィスに戻ったらすぐに、30分ほどお時間いただけませんか?」
明日香 「13時から打ち合わせだから……夕方でもいい?」
イサハヤは困った表情を浮かべた。明日香は真紀子に、
明日香 「ちょっといいかしら、ごめんね」
と手を合わせた。
真紀子 「ううん、気にしないで」
明日香とイサハヤが肩を並べて歩き、真紀子は少し歩調を緩めた。
イサハヤ 「午前中に、カワムラ産業さんに行って来たんですが。例の、突然パフォーマンスが悪くなるトラブルが収束しなくて。ちょっとマズイ感じなんです」
明日香 「マズイ感じなのね」
イサハヤ 「それなのに、お客様の担当者が、自分たちで何とかしてみせるという思いが強すぎて。情報を開示してくださらないんです。でも業務に与える影響も限界にきている、と僕は感じていて……」
明日香はイサハヤを見つめ、深くうなずいて言った。
明日香 「限界がきている、と感じているのね。それで?」
イサハヤ 「……これまで得られた情報は限られてはいるのですが、どうも問題は1つのサブシステムだけでは済まない、と思います。大がかりになりますが、各専門分野の力を結集して、システム全体をチェックする必要があると……」
明日香 「なるほど、1つのサブシステムにとどまる問題ではないと思うのね」
イサハヤ 「ご存じのとおり、頼りのサイゴウさんは来週まで中国に出張中で。……さらに気になることがあります。実は、お客様の一部に、以前から他のベンダーを入れたいという意向をひそかにお持ちではないか、と思われる方がいて……。当社としては、総力を結集してこの問題を早急にクリアする必要があるんです」
明日香 「分かったわ。それで、私は何をしたらいいかしら」
イサハヤ 「……ネットワーク・グループと、マルチベンダ・グループのスペシャリストに、応援を依頼していただけないでしょうか?」
明日香 「ハカタさんグループと、コクラさんグループに、応援を依頼するのね」
イサハヤ 「そうです。これから、リーダーが打ち合わせをしていらっしゃる間に、僕が現状を1枚の図に至急まとめます。その図を使っていただければ」
明日香 「分かったわ。担当の営業部には相談しているの?」
イサハヤ 「いや、まだです。とにかくリーダーにお話ししてからと思って……」
明日香 「それで焦っていたのね。分かったわ」
もれ聞こえる明日香とイサハヤの会話に、真紀子の耳は次第に引き寄せられていった。会話といっても、明日香はほとんど話していない。イサハヤを決して急かさず、寄り添って、一緒にじっくりと考える姿勢が一貫していた。2人の会話が、肩を並べて歩調を合わせる姿と重なり、真紀子はハッとした。
(2人は、肩を並べて共に問題に向かっている!)。
同期の中でもリーダーへの昇格が遅かった明日香は、何となく頼りなげで、いつも真紀子が頼られる側だった。しかし、この瞬間、真紀子には明日香がまったく違って見えた。
(明日香は、彼の相談に対する答えを持っている。でも言葉に出さない。ペースを合わせて一緒に考えることで、彼の力を引き出しているんだわ!)
すると、自分とユザワとのやりとりが蘇った。否が応でも、その違いに気付かされた。
(ああ、違う……私は、結局いつも自分が判断して、リードしてしまっている。ユザワさんは、答えを先回りして言われて、しょうがなく「やります」って言っていたんだわ。
思い返せば、私は、メンバーを育てることより、問題を解決したがっている。励ましても助言しても通じない、と感じていたのは、実はこういうことだったのかもしれない)
真紀子は、現場で人を育てることの難しさに、改めて戸惑いを覚えた。明日香たちと別れて自席に戻ると、久しぶりに今屋部長にメールを送った。すると今屋部長から、今ちょうど手が空いているから久しぶりに話を聞きたい、という返信が来た。真紀子は今屋部長のフロアに向かった。
真紀子 「失礼します」
今屋部長 「やあ、久しぶりだね。活躍ぶりは聞いているよ」
真紀子 「それが最近、壁に突き当たっている気がして……」
真紀子は、率直に、ユザワの育成に難しさを感じていること、明日香の対応に目を開かれたことを話した。
真紀子 「どうすれば、現場の問題に直面しながら、メンバーを育成することができるのか。何だか、分からなくなっているのです。現場は、時間との勝負です。相手から答えを引き出すといっても……」
真紀子は、そこまで言うと言葉が続かなくなり、黙って今屋部長を見た。
今屋 「なるほど。現場のすべての問題は待ってはくれないね」
ゆっくりした、穏やかな口調。受け止められたような、続けて話すよう励まされたような気持ちになって、真紀子は再び口を開いた。
真紀子 「……まあ、すべてが緊急の問題ではないですが。でも判断の精度はいつも求められるから……」
今屋 「確かに、判断の精度が求められる。判断するための情報はどこから得るのかな?」
今屋部長は、ひと呼吸置いてから静かに尋ねた。
真紀子 「情報を持っているのはメンバー自身です。私はそれをもとに判断します。ただ、メンバーがその情報を整理できていないから、私が重要な情報を聞きだす必要があるんです」
今屋 「判断に重要な情報を、中田くんが聞きだすんだね。それは、相手が判断するためかな?」
真紀子 「いいえ、情報がなければ私が判断できません」
言ってから、真紀子はハッとした。そしてしばらく黙っていた。今屋部長も、黙っていた。
真紀子 「……でも、情報を聞き出すことは、相手にとっても有効だと思います。私がどんな情報で判断しているか分かるので」
今屋 「確かにそうだね」
真紀子 「……そのやりとりの中で、どうしても自分が判断をしてしまうんです」
今屋部長は、にっこりしてうなずいた。
今屋 「それはどうしてだろうね」
真紀子 「最善でなければならないと思うのです」
今屋 「自分の判断が最善だと思っているんだね」
真紀子は、ぎくりとした。
真紀子 「そういうわけでは……」
今屋 「……判断に必要な情報をすべて聞き出せているのかな」
真紀子 「すべて私が聞き出すことは不可能です」
今屋 「そうだね。担当者自身に判断させると、何が問題なんだろうか?」
真紀子 「経験がない分、リスクがあります。次の問題に発展する可能性もあるから……」
今屋 「中田くん、これは私の考えだと思って聞いてくれればいい。“人を育てる”ということは、“リスクを負う”ということでもある、と思うんだ」
真紀子 「人の育成はリスクを負うこと……」
また沈黙が続いた。ぐるぐると思いが駆け巡り、しばらくして真紀子が顔を上げると、今屋部長が温かいまなざしで真紀子を見守っていた。真紀子は、肩の力がフッと抜けるような感じを覚えた。その瞬間、自分が何から逃げていたか、分かった気がした。
真紀子 「部長、今は言葉にできませんけれど、分かったような気がします。ありがとうございます」
今屋 「そうか。それはよかった。また、話したいことがあったら、いつでも相手になるよ」
真紀子の頭の中には、すでに次の一手が浮かんでいた。
(ユザワさんというより、私自身の問題なのだわ。たとえユザワさんがミスをしても私がその結果を引き受ける、と伝えれば、彼女も思い切って力を出せるかもしれない。まずは、彼女の話を、明日香のように聞くことから始めよう)
相手の力を引き出すコーチングの“キホンのキ”(下)
□ポイントその4~自分で判断していませんか?
□ポイントその5~メンバーの中に問題を解決する力がある、と信じて接することができますか?
□ポイントその6~相手に任せることで、リスクを負うことへ覚悟ができていますか?
~原案:株式会社エムズ・ネット・スクエア 講師 池田典子~ (文:池田典子 & 吉川ともみ)