あの「正論」祭りが、じつはトリックアートだった話
ぼくはトリックアートが大好きです。いままでずっと見てきたものが、少し視点を変えただけで全く違うものに見えるアレです。例えば、下記の絵を見て下さい。
引用元:オリコンフォトギャラリー https://www.oricon.co.jp/photo/4790/218445/
かっこよくレタリングされていますが、「挑戦」と読めます。
これをひっくり返すと、
あら不思議。「勝利」と読めてしまいます。
(気になる方は、ディスプレイを逆さまにして見たり、ペイント編集で180度旋回させて確認してみて下さい。)
この一枚の絵を紙に印刷して、二人向かい合って座ったとします。一方は、「どっからどう見てもこれは挑戦だ」と言い張り、もう一方は「いやいや勝利にしか見えない」と言い張ります。
自分が見えているものが正しくて、相手が見えているものが誤っているとかではありません。この絵は、見る角度によって「挑戦」と読めますし、「勝利」とも読めてしまいます。そういう意味ではどちらも正解です。ただ、「自分の見えているものが全てだ」という考え方は、確実に誤っています。
別の視点で見ることの大切さ
勘の鋭い方は、ぼくの言いたいことが分かってきたと思いますが、ぼくが4/8に公開した「正論を武器にする人間が、仕事が出来ない本当の理由」というコラムをネタに、二人のコラムニストの方に、まったく(ほぼ)同じタイトルで執筆して頂けました。
正論を武器にする人間が、仕事が出来ない本当の理由(Horusさん)
070.正論を語れない人間が、仕事が出来ない本当の理由(ちゃとらんさん)
どちらも秀逸で、よく出来たコラムです。まったく(ほぼ)同じタイトルのコラムが3つ出揃ったわけですが、どのコラムも理路整然とされていて、それぞれに辻褄があっています。しかし部分部分では、他のコラムと相反する内容になっているものも見受けられます。タイトルは同じなのに結論が違う。まるでトリックアートのようです。冒頭でも申し上げたとおり、ぼくはトリックアートが大好きなので、お二人のコラムを何度も読み返しました。
じつは、ぼくが書いたあのコラムには、レイヤーという視点が抜けています。というか削ってます。コラムの特性上どうやってもすべての視点では書けないし、すべてを網羅した丸いコラムなんて人の心には刺さらないので、読んでも面白くありません。ぼくのコラムでは描かれなかった視点を、上記の2つのコラムは描ききってます。見事なトリックアートです。
「挑戦」なくして「勝利」はない
さて、ガラッと話は変わりますが、前回分でようやく「エンジニアライフ」で10本目のコラムを書きました。まだたったの10本です。10年以上書き続けているコラムニストさんもいらっしゃいますのでまだまだ足元にも及びませんが、毎回自分なりには「挑戦」し続けているつもりです。例えば一番最初のコラム【決定】史上最高の職業は「ITエンジニア」は、デビュー作ということもあって、数字という根拠を提示することで、コラムの正当性を担保しましたが、正論を武器にする人間が、仕事が出来ない本当の理由では、数字は一切使わずに、言葉だけで勝負してみました。小さいレベルですが、これはぼくなりの「挑戦」です。
今後は、他のコラムニストさんのネタに乗っかったり、ITとは全く関係ないコラムで弾けてみたりと、アイティメディアさんに怒られないギリギリのところで色々やってやろうかなと思っています。「挑戦」し続けないことには、「勝利」を手にすることは出来ません。
今回はコラムというよりも、ただの感想文になってしまいましたが、来週以降はきちんとしたコラムを書くので引き続きよろしくお願いします。
コメント
おたみ
結局、何が「正論」なのかは立場や状況によって変わってくるのでしょうね。
相手の背景を把握することでうまく御せるようになるのかもしれません。。。
勝ち逃げ先生
おたみさん
>結局、何が「正論」なのかは立場や状況によって変わってくるのでしょうね。
はい。どうやらこの話はそういうことで着陸しました。
>相手の背景を把握することでうまく御せるようになるのかもしれません。。。
歳を重ねると、色々なものが見えてきます。
反対方向からみたら「勝利」と見える絵も、
反対方向から見たらどうなるだろう?と思わない限り、
絶対に見えることのない景色なのだと思います。