正論を武器にする人間が、仕事が出来ない本当の理由
勝ち逃げ先生さんのコラムを読んで、面白いテーマだったので、タイトルをマルパクリで別の視点から私なりに書いてみようと思います。
正論を武器にしている人というのは、言葉を武器にしている人です。エンジニアであれば、技術を武器に問題を解決するのが仕事です。技術を武器にしなければいけない立場で言葉を武器にするから仕事ができないのです。問題を解決するのに、しかるべき手段をとれなければ、当然、成果は出ません。技術で解決すべき問題に対して言葉で対応するような人に成果が出る道理はありません。技術がないから言葉を武器に使うような人であればなおさらです。
正論とは何でしょうか。私は多数決で決まるものだと思っています。その場にいる人が、「お金が正義」と考えればそれが正論になります。実際のところ、お金の本質についていくら論じても、正義の定義を追及しても、結局はそこにいる人が正論と考えるものが正論になります。正論を通すのは、多数決を勝ち取るのと同じです。事実はともあれ、相手を正しいと思わせればそれが正論になります。多分、一般的に正論という言葉の持つイメージと実質に乖離があるかと思います。
正論を武器にする人は多数決で勝負をしかけてきます。正しさをぶつけても対応できないのはそのためです。数の勝負に正しさを持ち出しても勝てません。そもそも、正論を自分の意見を通すための武器にした時点で負けは確実です。相互理解を進めて問題を解決する場面で、理解すべき相手に対して正論という武器を向けているのでは、自軍で仲間割れをしているようなものです。問題を明確に把握している人ほど憤りを感じることでしょう。
技術で解決すべき問題に対して、社内政治で正論ぶつけられると不愉快かと思います。エンジニアを活用して結果を出すべき立場の人が、正論をぶつけて相手の機嫌を損ねたら、出せる結果もでなくなります。正論を武器にすると必ず相手にダメージを与えます。これは正論の間違えた使い方です。例えば、チームを取り仕切っている人が正論振りかざしていると、チームの雰囲気が殺伐とします。これは、チームのメンバーにダメージが積み重なった結果かと思われます。
では、正論はどう使えばいいのでしょうか。正論というのは強い力を持ちます。強い力で否定されれば不安になります。逆に、強い力で肯定されれば自信になります。正論は良い要素を伸ばすためにも利用できます。人を褒めるにしても、漠然と「頑張った」より、正論で筋を通して褒めた方が相手の自信に繋がります。正論を武器として使うのであれば、不安を除去するための武器として使えます。正論を武器にするにしても、そういう使い方をすれば、仕事ができる人になれるのではないでしょうか。