言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

東京の空気はゲロくせぇ

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人が集まるところには邪気が集まる。東京にいるとそのように感じます。朝、新橋を降りるて会社に向かう道。清々しい日の光にスズメが飛んでいる。そのスズメが下りた先にあったのは、昨日に排出されたであろう「お吐きもの」。スズメたちがそれを必死に貪っていると、どこからともなく鳩がやってくる。そしてスズメたちを追い払い、それをつつきだす。そこで私は悟る。「あぁ、あれは誰かが掃除しているのでなく、こうやって自然消滅していくものなんだ」と。かすかに残る、それの芳香が漂っていた。

「邪気ってなんですか?」と聞かれたら、私は「においのようなもの」だと答えます。人間というのは、文明を持つに至るまで進化してなお、動物のような本能を捨てきれずに残し続けている。その一つに、においで危険を察知するというものがある。人間が集まる空間において、接触するほどに近くなくても、相手の圧を感じたりすることがある。どうも、不機嫌な人がいると不機嫌なにおいのようなものを発する。それが「邪気」の正体だ。東京という空間は人が多い。ゆえに、この「邪気」が充満する。

東京はなぜ人が密集するのだろうか。ただ集まるだけなら、スペースを広めにとって、みんなで快適に過ごせばいいと思う。それなのに、何故にこんなにお互いのスペースを縮めて密集するのだろうか。単純に東京の土地が高いので、狭いスペースに多くの人を詰め込んだ方が安く済むというのもある。ただ、多くのひとが人が無意識に出したり受け取ったりする、「においのようなもの」を見ないふりをしているからと、私は考えている。

そういう無配慮な空間にいると、人の出すいろいろなものを無意識に受け取ってしまう。綺麗なものもあれば、汚いものもある。だが、混ざり合って雑に咀嚼されれば、それは「お吐きもの」と大差が無い。人が無配慮に密集する東京では、そんな「お吐きもの」みたいなものが充満する。なので東京の空気はゲロくせぇ。しかも、新橋や新宿では、物理的に「お吐きもの」が散在しているので、物理的にもゲロくせぇことも多い。

データを整理する上で大事なのは、まず「詰め込まないこと」です。次に、「分別すること」です。カテゴライズというカッコいい言い方もあります。ITに携わる人であれば、この二点は必ず押さえておきたいところです。この二つをおろそかにすると、東洋の空気のように、無作為に色々なものが密集し、混ざり合い、ゲロくせぇシステムが生み出されます。難しい技術も大事ですが、この「詰め込まないこと」と「分別すること」を実行してみてはどうでしょうか。きっと、整理の行き届いたシステムを構築することができるでしょう。

Comment(4)

コメント

すぎエモン

どこぞやのセミナーに参加し
ど偉い大学教授とかの講演を
時々、拝聴します。
プレゼン資料を拝見すると
「詰め込まれまくった」分量と
「分別されていない」表データを見るたびに
大いなる「邪気」を感じていたものです。
今度、正直に「ゲロくせぇプレゼンですね!」
と感想を述べてみたいです。
本人の目の前で…

東京大好きな元大阪人

煽ってるんじゃなくて、老婆心からのコメントだけど、東京を侮辱するくらい不満なら大阪に帰ったらどうですかね。単価安いし量も質も劣るけど大阪にもITの仕事はあるでしょうし。その方が健康的なんじゃないですかね。

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