疲れた身体と心に響く書籍をご紹介

書籍「なぜ人は走るのか―ランニングの人類史」を読んでみた。急いでいないけど走りたい【第52回】

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平岡麻奈です。仕事が終わりに近づくと、『今日はどこを走ろうか?』とそんな思考が働き、持ち歩いているランニングシューズを見つめます。天気予報への関心が高まり、雨雲レーダーを行ったり来たりさせる始末。【時々晴れ間が、、】というコメントが目に入れば、走れるやん!と気持ちが高ぶり、ランニングの準備を始めます。

至るところで、ランニングの話をするようになりました。仕事で疲れているのに(←おそらく)、今から走るの?はお決まりのフレーズ。そうだよ、じゃあね!という顔つきを見れば、【お疲れ様】ではなく寧ろ【いってらっしゃい】。仕事終わりに予定があるというのは、仕事の時間も効率的になるのかな?と感じます。(呑みにも行きますからね、平日!)

走ることが億劫、、というよりも、寧ろ【走る必要がない】状況が日常となりました。時代の流れも相まって、時差通勤に然り、余裕を持った行動が望まれます。その流れは【走る】行為から遠ざけることになり、何かしらのイレギュラーが発生した時に【走る】ことが必要になるのでは?!と、考えるとキリがないのですが、結局のところ、【走ろうとしなければ走らない】時代になりました。

初めてマラソン大会に参加した2018年から、ゆるく色々な大会に参加をしてきましたが(フルやハーフはこれからね)、ここ数年は大会開催自体が中止、延期を余儀なくされてもいたり。そして33歳を機に、真面目に取り組もうと決めた【ランニング】。『ランニングが趣味なんです!!』と言い切ってしまい、逃げられない状況を作ったわけです。公言はしたものの、実力はこれからというところですが、なんで走ってるの?と聞かれる度に、『確かに私、なんで走ってるんだろう、、、?』と自問自答を繰り返すことが多くありました。そうだ、ハマっている理由を知るには、歴史を辿れば答えが見つかるかもしれない!エンジニアライフコラム「平岡麻奈のちょっと一息」の第52回は、『人類の歴史上、日々の暮らしの中でこれほど動く必要のない時代を生きる』人間が、走る意味を見出す為の書籍をご紹介します。

なぜ人は走るのか.jpg

なぜ人は走るのか―ランニングの人類史

トル ゴタス (著), Thor Gotaas (原著), 楡井 浩一 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/dp/4480857982

『もっとも、走るという行為自体は、常にストレートでわかりやすいものであった。』(第1章 伝令と先触れ P,32)

【走ることで人類は人間になった】のであれば、走れば人間であることを実感できるんじゃないの?あらゆる理由づけは出来ますが(ダイエットとか健康の為とか)、これが私の『走る意味』です。そして、【走る】ことは非常にわかりやすい。自分で走るか、立ち止まるかを決められる、コースがまさに無限大。大阪環状線一周してみたいなあ!とか(出来るかどうかはこれからの話)。

『エンドロフィンは痛みを和らげ、食べたり飲んだり眠ったりする意志に作用する生化学物質だ。ランニングやトレーニングの最中、恋に落ちたとき、あるいは怪我を負ったとき、体内に放出される。』(第18章 ジョギング革命 P,270)

走る話をすれば、大抵聞かれることは【ランナーズハイ】の話。辛い状況が寧ろ快適!!な感情ですが、私も日々実感しています。最初の1キロから2キロはいつも【なんで今日走ったんだろ、家に帰ればよかった】と弱音を吐くわけですが、徐々にリズムが保たれてくると安定します。そして長く続けていけば、【走っているあいだにエンドロフィンが生成され、苦痛を和らげる】状態に到達。エンドロフィン効果に限らず、新鮮な空気を吸い、筋肉を使う組み合わせが【ランナーズハイ】を強力に作用させます。太古の人間が狩猟のため、走り回る為にうまれた生存メカニズムであるとすれば、人類の進化に驚きを隠せません。

『人間とは常に、前の時代より自分たちのほうが優れていると考える生き物であり、技術も未熟で科学も未発達だった時代の先祖たちが、多くの点で、後世の人間と同じような身体能力を示していたとは想像しにくいのだ。』(第7章 賭けレースと時計の発明 P,95)

走る距離で報酬が決まり、休憩時間は無給。『伝令たちは1日60マイル(約96キロ)以上走った』とサラリと歴史上の出来事を知ると、そんなこと出来るの?!という気持ちに嘘はつけません。正確な計測への道のりは長かったものの、秒単位での計測が可能となった1721年以降には【時間との戦い】が意味を持つようになりました。計測記録として残っていない素晴らしい過去への探究は計り知れないものです。

生きる為に走る時代を経て、伝令走者として大切な情報を届ける為に走ることが求められていました。伝達や警告手段の原点として、走ることは様々な移動・郵便手段で骨董品と化した最中、走者たちは賞金のためにと走り継ぐ。『健康のために走る』という歴史はまだまだ浅いことを知った時、【走る】という行為が辿った軌跡の重さを感じました。はるか昔の人々と、走る共通点で結ばれている。今日も走りたいなー!とウキウキしていたら、ランナーの先輩でもある父親から一蹴。休まないと故障するぞ、と。ハマり癖には御用心!

『自発的な運動で、簡単に取り組むことができ、精神力もさほど必要でない。ひとりでできるし、個人個人にとって価値がある。有益な依存症とは、人に達成感を与えて、続ける意欲を生み出すものだ。』(第18章 ジョギング革命 P,277)

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