疲れた身体と心に響く書籍をご紹介

書籍「僕はロボットごしの君に恋をする」を読んでみた。「心」が生み出す儚さの行く末は?【第32回】

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ありがとうございます。平岡麻奈です。少しずつ秋を感じられる天候になってきました。サンダルを履くことも、後数日かなと感じます。静かなカフェに立ち寄って、窓の外を見ながらボーっとする時間と読書する時間を交互に。たちまち眠気さえも襲ってきますが、それもまた良し。近頃は、隙間時間に少しずつ読み分けることも増えてきました。楽しみの先延ばしと言いますか、読み切ろうとすると、「読み切らなければ」という感情が現れたりする時があります。「読書をする」ことは、「読み切る」こととは違います。読書に苦手意識をお持ちの方の中には、このように「読み切る」ことがゴールのように感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、それとは正反対に、気が付けば全て読み切ってしまっていたという時もあります。いわゆる「夢中だった」状態。この「感覚」は、読書に限らず、日常生活でも同じです。嫌な仕事を任された時は、時間が全く進まないのに、休憩時間にダラダラしていたらすぐに時間が過ぎてしまいます。この「感覚」を深く捉えると、解明されていないことも多いのではと考えます。人間特有のことなのか、他の動物にもこのようなことがあるのか。説明出来ないようなニュアンス、絶妙な感覚。科学的に「丁度良い」ものが証明されたとしても、個人差の領域は計り知れません。

前回のコラムでは、これからの未来に対しての思考を巡らせました。こんなことが起きて欲しい、こんな未来を迎えたい。考えるだけでも、気持ちが前向きになります。私自身、少々想像が行き過ぎてしまうことがあります。これは少し変わっていると言われても仕方がないのかもしれませんが、常識を疑うようなものです。それは、「本当は私、人間でないのかもしれない」というところに至る事もあります。もしかすると、色々な感情をプログラミングされただけのロボットが人間のように生きているだけかもしれない、とか。ファンタジックな妄想となればそれまでですが、人間という確固たる自信はどこから来るのでしょうか。今回ご紹介する一冊は、「人間として生きる」ことへの問いかけを感じました。100%人間であっても、「ロボットのような暮らし」をしている場合があります。毎日同じことを繰り返し、そこに感情はなく、ただこなし続ける。そこに虚無感を感じるのならば、この「ロボットのような暮らし」には一体何が足りないのでしょうか。エンジニアライフコラム「平岡麻奈のちょっと一息」の第32回は、「未来」×「アニメ」×「AI」×「恋愛」の掛け合わせによる、冒頭で申し上げた「一気読み」、夢中で読み進めた一冊をご紹介します。

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僕はロボットごしの君に恋をする
【著】山田 悠介https://www.amazon.co.jp/dp/B086WBZG18/

本書は2060年、3度目のオリンピック開催が迫る東京が舞台となります。密かに「人型ロボットを使った国家的極秘プロジェクト」が進められる中、プロジェクトメンバーの一員である【健】に課せられた『目的』。【健】が秘かに恋心を抱く幼なじみの同僚【陽一郎】の妹である【咲】を守るべく、『目的』を遂行するまでの躍動的、かつ臨場感あふれる情景が、読み進めるごとに高まりを持つようになります。そこには、人間とロボットの狭間を行き交う感情の浮き沈みを感じます。

・『ゲームをしたり買い物をしたり、ひとつの目的を人間より正確に早くこなせるようにはなった。ところが何でも好きなことができる自由時間を与えられても、AIは〝目的″を作り出すことができずに静止してしまうのだ。』(プログラム1 P,17)

・『表面的な人間の物真似はできても、人間の心にあたるものを創り出すことはできなかった。』(プログラム1 P,17)

一見、全く人間と区別のつかない程にまでに技術が進歩したロボットボディー。しかし頭脳にあたるAIは、人間が『目的』を与えなければ動きを止めてしまいます。姿かたちは人間そのものに仕上げられていたとしても、様々な感情が蠢く「心」を創り出すことが近い将来可能なのでしょうか。人間同士でさえ完全に解り合えることの出来ない「心」を持ち合わせるロボットが完成するとしたら。人間とロボットが共存する社会も夢ではないのかもしれません。

・『そうか、そうだよな。勝手に感情移入してたけどしょせんこいつらはロボット。死んだわけでもなくただ壊れただけだ。修理すれば直るしまた造り直せば復活する。』(プログラム2 P,77)

担当していたロボット【三号】が「壊れた」後、新たに造り出された【四号】は、【三号】と全く同じ形をしていました。「生き返らせる」ことが出来るのならば、大切な人を失う悲しみを味わうことは無くなるかもしれません。けれど、「また造り直せる」となれば、失うことの辛さは理解出来るのでしょうか。いつかどのような形でさえ別れが来てしまうと思うからこそ、人を大切にするのではないかと感じました。

・『人間には良い面と悪い面がある。一線を越えるということは悪い面も出てくるということだとね。』(プログラム6 P,237)

・『人間そのままの完璧なAIを完成させる最後のピースは〝愛だ。異性を愛し、子孫を残して家族を増やしたい。その目的があるからこそ人は独自に物事を判断して自分がより有利になるように行動する。しかし愛情がすぎれば悪事をも働いてしまう。〝自分さえ良ければいいという行動に出やすくなるんだ。人間ならそんな性格になっても高が知れている。しかしあらゆる力を持つロボットにそんな感情を持たれたらどうなる。SF動画によく出てくるような、ロボット戦争になりかねない。』(プログラム6 P,238)

「愛情を入れても暴走しないギリギリの線を探り」ながらも、〝愛情″のプログラミングが強すぎて全てを優先するようになったロボットがいたとしたら。「心」を持ったロボットが生み出す愛情は、「この感情を出発地点にしてロボットが増殖してしまえばとんでもないことになる」という人間の判断で儚さを持つ。読み終わる時、「心」を持つ人間であろうがロボットであろうが、最後のピースである〝愛″は脆く、崩れやすいものでありながら、「壊れる(亡くなる)」その瞬間まで、生きる糧なのだと感じました。


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