ネイティブスピーカーからはbrokenと評されるGlobish ー しかし...
前回のコラム「グロービッシュはブロークンでよい」と誰が言ったのだろうか? では、「グロービッシュは『ブロークン』ではない」と書きました。
しかし、今回はそれに反するかのようなタイトルです。気の早い方は、タイトルをご覧になった時点で「おまえ、いい加減にしろ(怒)」と思われたかもしれません。
以下でご説明しますので、少しお付き合いください。
■考案者の意図に反するネイティブスピーカーの評価
考案者のネリエール氏のビデオがあります。トランスクリプトはこちら。
YouTube: Globish The World Over
ネリエール氏は、誰しもがbroken Englishと呼ばれるのは嫌だと言っています。グロービッシュは正しい英語である、とも。
しかし、時制を制限した時点で、もはや正しい英語ではないと思います。会話での多少の誤りには目をつぶるにしても、原理原則を覚えてしまえばさほど難しくないので、書き言葉で時制を制限する意義が筆者にはよく分かりません。
筆者の理解では、会話での多少の誤りには目をつぶるspoken Englishであっても、公式なスピーチでは正確さが求められます。日常交わされる会話では気にしないにしても、きちんと準備したはずのスピーチで単純な誤りがあれば、内容も疑われてしまいます。スピーチライターがいても不思議でないようなケースではなおさらで、単純な誤りが少なくなければ、きちんと校閲していないと思われても仕方ないでしょう。
もともと誤りを認めるルールで使われるGlobishは、やはりどこまで行ってもbroken Englishだと思われます。ネイティブスピーカーのGlobish評も、brokenであるという見方で一致しているようです。
ただし、ここで言うbrokenは英語を母語としない人の英語全般を指す概念で、カタカナの発音で単語を並べただけのようなものも含む「ブロークン」ではありません。
■グロービッシュ1500語ではなくVOA Word Bookを見てみる
グロービッシュが掲げている語彙(ごい)はVOA Word Bookに基づいているということですが、変更した理由や箇所は明らかにされていません(筆者には見つけられなかったので、情報のある方はコメントをいただければ幸いです)。
VOA(Voice of America)のサイトに、Word Bookがあります。グロービッシュ本では、単語をただ並べただけのリストか、もっと悪いことに(!)ひとつだけの日本語訳、それも単語(!!)を記載した対訳表を掲載しているようです。VOA Word Bookは英英辞典のように語彙を説明しているので、訳語として提示された日本語に引っ張られることなく、概念として理解できると考えています。
■「1対1対応思考」の弊害
筆者がしばしば言及する、明治大学のマーク・ピーターセン教授は、「受験勉強の弊害か、英単語を1対1対応で覚えたがるように思われる」という意味のことをおっしゃっています。筆者もまったく同感です。この弊害で、英語をカタカナ表記した用語が増加しているような気がしてなりません。
筆者自身の経験として、第一義がなるべく一致するよう慎重に選択した訳語に対し、「ピンと来ない。カタカナ表記にしただけの方が分かりやすい」と言われたことがあります。これが意味することは、新たな(=未知の)英単語を新たなカタカナ語として取り込んだだけ、ということです。どういう概念かを突き詰めることなく、新しい概念として受け入れるということなので、人によって認識に相当の差が出てしまいます。
■モバイル機器でもPCでもAdobe Readerを使う
さて、このコラムは「ガジェット活用による英語学習法」ですから、ガジェットの活用法に関連した情報を提供しておきたいと思います。
VOA Word Bookに限りませんが、モバイル機器(iOS、Android)でもPC(Windows、Mac)でもAdobe Readerを使うことをお勧めします。
Acrobat.comというクラウドサービスが提供されており、Adobe ReaderのローカルファイルをAcrobat.comにアップロードすることによって、プラットフォームに関わらず同一の文書を簡単に参照することができます。VOA Word Bookをアップロードしておけば、機器によらずに読めるという訳です。
■結局、Globishとは何か
時制と語彙に関しては賛成しかねますが、筆者はGlobishがESL(English as a Second Language)のひとつの学習方法であると思います。また、これはよく言われることですが、ネイティブスピーカーがノンネイティブを相手にするときに留意すべきことのノウハウでもあると思います。
前述のように、ノンネイティブがbrokenから脱することは比率としてはほとんどないと思いますので、brokenかどうかに拘泥することはあまり意味がなく、spoken English、written Englishとも、一定の水準に達することを目指すのがよいのではないかと考えます。
マーク・ピーターセン教授は、「痛快!コミュニケーション英語学」の付録CD「Pronouncing To Be Understood」の中で、「かすかに母語のアクセントが残る英語にあこがれる」と語っています。それを裏付けるように、broken Englishに対するネイティブスピーカーの反応は概ね好意的で、「brokenであるということは、話者が別の言語を操れる証拠」という意見が多いようです。
前記CDのピーターセン教授の日本語は若干ぎこちないのですが、決して聞きづらくはありません。文章はというと、並の日本人は到底及ばない、素晴らしい文章力だと思います。筆者も、自分の日本語と同等の英語を自由に書けるようになりたいのですが、いつになることやら。