地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

プログラム的思考の重要さ

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 仕事として開発を行っていても、時々プログラミング的な考え方をできない人に出会うことがあります。自分の中では処理の流れを考えることができるか、という目安があるのですがそういった考え方ができない人も、残念ながら同業種の中でも見かけることがあります。

 日本企業の特徴とも言えるのですが、入社するにあたりそのあたりの適性を見ることはかなり少ないです。多くの場合、入社してからの教育である程度のレベルまで引き上げることにしているからなのですが、実際には教育を受けても業務を行うにあたり難しいレベルのまま、という人も多いです。もちろん教育するにしても、その内容や手法が問題なのもあるのですが、考え方が身についていない人であるために結果を残せないタイプもいます。

 今の状況として、Web で検索して見つかったものをコピペするだけで、場合によっては目的を叶えることができてしまいます。その弊害として、考えてプログラムを組むのではなく適当に組み合わせるだけしかできない、Web に書いてあったことしかできない開発者が増えているのでしょう。

 このようなエンジニアの場合、何か問題があった場合に考えて対応を行うことがまずできません。このような資料を見たから、このような情報が書いてあったから、そればかりを気にしてしまい、なぜこのような結果になるのか、という点を考えることができません。メンバーにこのタイプのエンジニアが多い場合、業務遂行の難易度が非常に高まることになります。

 そして最近目にすることが増えている、No-Code や Low-Code な開発です。No-Code や Low-Code は、これまでのようにプログラムを多く作成しなくとも、目的とするアプリを作成するためのサービスやプラットフォームです。これらが台頭すると、ますますプログラム的な考え方が重要になってくると思います。

 プログラムコードを書かない開発といっても、プログラム的な考え方は必要です。それは例え出来合いの部品を組み合わせるだけだとしても同様で、しっかりと考えたうえで処理の組み合わせを作る必要があります。そうすることで、初めて No-Code や Low-Code なものが効果的に利用できるのです。

 その時にプログラミング的な考え方ができるとできないのとでは、非常に大きな差が生まれます。これまではプログラムでの開発という世界だけだったものが、プログラムを書かない、もしくは書くとしても極少量にとどめる世界へと広がっていきます。そうなると今時点でプログラムを書いている人以外にも、開発を行うことが増えるのが当然となります。そうなった状況を考えてみると、いかにプログラム的な考え方ができる事が重要かが分かるのではないでしょうか。
 
 この考え方は、訓練すれば身につくものだと思っています。もし今、あまり考えずに物を作り上げているのだとしたら、状況が変化した時に困ることのないよう今からでもプログラム的な考え方を身につけるよう意識するのが良いのではないでしょうか。

 今後の流れとして、より簡易に同じものを作る世界がやってくるのは間違いありません。そうなった時に後悔するか、または自分の引き出しを増やすことができるかは、これまでとこれからの行動によるのだと思います。また、プログラムを今書いていない人であっても、これからは考え方次第でよりスピーディに対応できることが増えることになります。こちらも同様に、このような考え方ができるようになると、より一層できる事に広がりを見せるのではないでしょうか。

 私たちを取り巻く環境は日々進化しています。一つの方法にこだわることは間違いではありませんが、多くの方法を知ることでさらに良い結果へとたどり着くことができます。私たちが物を作り続けるのであれば、より多くの方法を知る方向へ進むのが必要なのだと思います。

Comment(3)

コメント

山無駄

カミさんが商業系の学校を出ており、商業系の学校にはたいがい商業科と情報科
があり、情報科ではプログラミンを習うと教えてくれました。
「でもね、商業系の学校を出て就職する限り、プログラミングは何の役にも立た
 ないのよね~」
だから、僕はきちんと否定しておきました。
「そんなことはない。プログラミングをやると、何かおかしなことが起こった
 場合、その原因は自分にあると、嫌という程教えられるので謙虚な気持ちを持
 つことができるよ」
言ってはみたものの、自分の周りにいるプログラマが皆オラオラ系なのは、何故
だろうと思ってみたりもして。

通りすがりの人

プログラミング的な思考というバズワードより、
本質的な考える力を育てるような教育をしてほしいですね。

予備校時代に通ってた先生が、問題を解いて一喜一憂するのではなく、
なぜそうなるのか、なぜそう解くのか本質を考え続けなさい。
と言っていたことを思い出しました。

本質がわからないと、応用が全く効きません。

プログラミングの授業しても、生活に活用できるような人は、
そもそもプログラミング思考ができているという、、
出来ない人は、面白くない、よくわからないから、
結局身につかない。できないままなのかなと。

早くからプログラミングに触れればプログラムはできるようになるけど、
それなら国語で読解力でも身に付けてもらった方がよっぽどましですかね。
社会の人がみんなSEみたいだったらなんとも生きづらい世の中です。。

iso

プログラミング的思考っていうか、
論理的思考ってことですよね。
科学的思考でもいいけど。

レーザープリンタの液晶に部品寿命のエラーメッセージが
表示されてるとき、
論理的思考ができれば
いずれ壊れるかも→忙しい時に壊れると困る→情シスに電話しよう
って無私の精神以前に自然と行動を取ることができるけど、
論理的思考ができないアレとかは
なんか出た→今動いてるしまだ動くんじゃない?→誰か電話するだろ
って放置して、仕事がクリティカルな時にプリンタが壊れて
自分も困るし情シスもギャーギャー喚かれてお互い迷惑

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