許さない事・許されない事
私たちが作成するシステムでは、色々な操作に対して検証を行うことが多々あります。機能を通して入力された値が許されるかどうか、機能を利用することが許可されているかどうか、などとその種類は非常に多くのものがあるかと思います。本来あってはいけない値が入力されることを防ぐために検証を行うのですが、場合によってはその検証の種類が膨大になりすぎ、スムーズな利用ができなくなってしまった状態に陥っているシステムを見かけることも多々あります。
元々ユーザーが求めるものは利用しやすいシステムであったはずが、ミスの防止を重要視しすぎたために、ガチガチに固められ非常にスピード感のないシステムが作り上げられてしまう事も、見かけられている方は非常に多いのではないでしょうか。本当はもっとスピーディに業務を遂行できるはずだったのに、蓋を開けると以前よりミスは減ったものの業務の進捗は逆に遅くなってしまったこともゼロではありません。
いったい何故このようなことになってしまうのでしょうか。
その大元には、ミスを極端に許さない気質があるのではないか、と私は感じています。元々日本人の気質というか風潮として、ミスは許さない、というのがあります。何かしらミスをした場合は、「何故そのようなミスをしたのか」、と問い詰めてもあまり意味のない事を詰問したり、場合によっては担当する業務から即座に外すといった、一つのミスをも許さない環境が非常に多いです。
そのような土壌が根強いこともあり、私たちが作るシステムにおいても極度にミスを許さない仕組みにすることが多いのではないでしょうか。
勿論、そうでなくてはならない領域は存在しています。医療がその最たるもので、ここでは一つのミスが人の生命に即座に関わるため、可能な限りミスを防ぐ仕組みであることが求められています。このような世界では、厳重でなくてはならない必要性があるので当然であると言えるでしょう。
反面そこまでの堅牢さを必要としない世界も存在します。むしろ、ほとんどの世界ではそこまで厳重にする必要がないにも関わらず、必要以上の厳しさを利用者に課していることが多いようにも思われます。
例えば販売系のシステムで言えば、最終的にミスが起きていなければよいのであり、そこに至るまではミスを防ぎきれていなくとも良い事があります。売上が確定される、請求が発生するといった要所要所でそのミスが防げるのであれば、または気づくことができるのであれば、途中の機能には同レベルの厳しさは必要ありません。リカバリを行える手段があればよい、そういうケースも実際には多いのではないでしょうか。
過剰なミスの防止策は、ユーザビリティにも影響を与えます。数多くの入力項目が用意された画面で、複雑に入り組んだ検証を行っているような場合は特に当てはまります。A という項目を入力後、B という項目を入力、その後はじめて C という項目が入力可能になる、このような入力順序の制御も同じようなもので、数多く存在するとそれだけで使いづらい画面が出来上がってしまいます。それは利用者のためになっていないのではないかと思わせます。
IT 化が進むことでミスを防止しやすくなるという一面は確かに存在します。人間が判断を行うよりも、機械が判断を行うことで簡単な間違いは防止することができます。しかも一度そのように組み上げれば人間と違い、以後は同じようにミスを防止してくれます。これは IT を用いるメリットの一つです。ですがさじ加減を間違えると、途端にメリットがデメリットと変化してしまいます。そうなってしまっては IT 化を進めたところで、本来意図していた目的を達成させることが難しくなるでしょう。ミスを防ぐことは必要ですが、それが主な目的ではないはずなのです。
特に個人的にも感じているのは、いかなる誤入力をも防ぎミスが発生しないようにするという考えのもとに作られたシステムの存在です。そこまでする必要があるのか、そう疑問に思わざるを得ません。元々システムを利用するのは人間です。その人間のミスを、完全に防ぎきることは非常に困難なのはご承知の通りです。全てを防ぐように想定したところで、想定していなかったケースが出てくることはほぼ確実にあり得ます。最初からすべてを見通した仕組みを構築することは、難易度が高いというかほぼ確実に不可能です。
それであるならば、ミスを防ぎきるのではなくミスに気付けるようにする、それが IT の進むべき方向性なのではないでしょうか。そのためにも「ミスを受け入れる」事が必要だと考えます。ミスは起こるもの、そう考えるだけでもシステムとしてどう対処すべきか、防ぐのではなく気づかせる、そしてリカバリする方法を用意する、そのようにするだけでも全体的には効率が向上するようにも思えます。
過剰なまでの防止柵は得てして良い結果を生み出すことはありません。なにがなんでも防止するのではなく、ミスが起こることを前提にした仕組みづくりがこれからもっと見直されてもいい、私はそのように考えます。絶対に防ぎきる事が難しい以上、それが建設的な考え方なのではないでしょうか。