dis るスタイル dis らないスタイル
よく Blog などで書かれることの多い話題に、開発言語間での比較を行い、○○はここがダメだが□□はここが良いといった形で特定の言語を批判しているものがあります。私が好んで利用している Visual Basic は否定される側の言語に属しており、何かにつけて VB はダメだ的な話題には事欠きません。また言語のみならず OS やミドルウェアにあっても、色々と比較をしてダメな点を列挙するものが良く見受けられます。
特に顕著なのは C# に対する VB、Mac や Linux に対する Windows というパターンが多く、酷いものでは自分が利用しているものが最も優れている、というようにしか見えない形で否定的な意見を述べているものも見受けられます。
勿論感情的な面を抜きにして、しっかりと比較をした上で意見を述べられている方も数多くいるのですが、SNS をはじめ世の中の媒体にあがり目についたり話に流れてきたりするのはやはり、タイトルだけでもインパクトが大きくなる「感情的に意見を述べているもの」が多いと感じます。
根本的にはこのような比較は、比較対象となるものをある程度利用した上でなければ判断しにくいものです。表面的に触っただけで悪い点を列挙できるほど簡単なことではありません。誤った思い込みだけで書き上げられている意見が多く存在するのは、この点がおろそかにされているからではないでしょうか。
最近別な媒体で掲載されていたある言語と環境の良い点を書き上げられた記事に対して、「そのようなものは○○だと 10 年前からできている」的な意見が目につきました。その記事で説明されていた環境も否定的な意見を出された方の環境も、どちらも私は利用したことがあるので尚更不思議に感じたのですが、10 年前にできていたかもしれないその機能は、今の時点では全くの別物と言ってよいほどに洗練されています。冷静に考えればこれは当然で、私たち IT 業界の人間が利用するツールにおいて、10 年近くも形を変えずに進化せず残っているものというのはほぼ見受けられません。同じ機能名であっても、遥かに成長した形で私たちの前に提供されているものと言えます。
先の否定的な意見も、もし現在の環境を利用したことがあれば、もっと違う点を比較することができたのではないか、と思わざるを得ません。
このようなケースに見られるように、否定的な意見を出してくる場合はかなりの割合で脊髄反射的に浅いところから返していることが多いです。反面、よく調べられている方であれば非常に冷静に事実を指摘してこられるので、言われた側も素直に受け取ることができます。感情的に意見を言われた場合、それを素直に受け取ることがどれだけ難しい事かは、この文章を読まれている殆ど全ての方が理解できるのではないでしょうか。
最初に記載した開発言語やプラットフォームでは、もう一つ難しい問題が潜んでいます。それは「自分が好きなものは数倍よく見える」という点です。私自身が、.NET や VB をはじめとした Microsoft 系の製品技術を好んでいたり、ごく一部に限られますが表に出て活動されている社員の方々の事を拝見していますので、どうしてもそこに贔屓目はあります。私個人の感情だけで、今回の話題で扱ったような比較を行えば、ほぼ間違いなく .NET や Microsoft 系の製品に軍配を上げることが多くなるだろう、そう自分でも感じています。自分の中でこのような感情があるのを理解しているので、よほどのことがなければ比較して優劣を書くことはしないようにしています。
ここも個人的な考え方によるのですが、公の目に触れさせたいものであるならばできるだけ中立な視点で意見を述べるべきである、と私は考えています。無償でコラムを書いている個人、としてであればそこにこだわりをもつ必要もないのかも知れません。ですがここは、少なくとも個人 Blog 等ではない公の場で何かしらの文章を書き上げる人間として、こうありたいと思う私の中の理想なのです。
個の意見や感情は大切です。どのような形の記事やコラムであっても、個を取り除き切ることはできません。そうである以上、意見の衝突は避けられないものなのだとも思います。ですが、それでも意見を交わすのであれば冷静に、事実に基づいた内容でやりとりをしたいと思ってしまいます。
勿論これはあくまでも私個人のスタイルなので、他の人に対して望むものではありません。私の上記のような姿勢が必ずしも良いと言えるものではありませんし、場面場面でもっとうまく使い分けられるのが一番なのでしょう。
恐らく私だけに限らずたくさんの方も同様に、何かしらの贔屓目がある上で物事を比較していることと思います。使える時間も限られていますし、その中で深く理解した上で比較するというのは大変に難しい事です。ですから贔屓目があると理解した上で、他からの意見と向き合えれば、それは自身にとって良い方向へと向かうことができるのではないでしょうか。
人の数だけ意見の数も出てきます。自分の意見を持ち伝えることも大事ですが、相手もまた自分と同じように何かしらの贔屓目があると知っていれば、受け取り方も出し方も、どちらも良い方向へ進むことができるようになるのだと思います。相手が間違っているかもしれない、自分が間違っているかもしれない、でも実はどちらも間違っていたという事も多いです。反対にどちらも正しい事もあります。どちらかが正しくどちらかが誤っているだけではない、そのような難しさが人の意見には付きまとうものなのではないでしょうか。
これからも私は自分の考え方に従ってアウトプットすることを続けると思います。その時は、ここで書いたことを忘れずにまとめあげられるようありたいと、日々努力していきたいところです。