いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

学校ではプログラミングではなくインフラエンジニアの知識を教えるべきだ

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学校教育にプログラミングは必要ない

 もし学校でプログラミングを教えるとしたらどうなるだろう。まず、何の言語を教えるかでもめそうだ。無難にCか?いや、それも時代からするとちょっと違うような気がする。それともRubyか?流れが速すぎて、教える先生が死ぬだろう。脳みそが干乾びた爺どもが協議したら、真面目にCOBOLなんて決定が下るかもしれない。

 学校でプログラミングを教えてほしくない理由は、開発の人に恨みがあるからではない。日本の教育と相性が悪いからだ。今の現場では通じないような古いコードの書き方を「正解」として教えられたら、現場で軋轢が増える。言語にしても、Javaを教えたら、Javaが「正解」になってしまわないだろうか。答えを一つに絞られて、融通が利かなくなる懸念が大きい。

 日本のITが弱いのは、プログラミングができないからじゃない。それ以前の問題で、コンピュータの触り方が分からないのだ。そもそも、今の教員がプログラムを教えるのは、能力的に無理だ。プログラムは、今の日本の授業で教えるには実践的過ぎる。知識ベースで覚えても全く意味が無い。

 そこでだ。インフラエンジニアに必要とされる知識を授業で教えたらどうだろう。インフラエンジニアの知識なら、特定のソフトに依存しないし、テストを作ったとして正解を絞りやすい。システムの動く仕組みであれば教えやすいし、何より、知識ベースだけでも役に立つ。

学生にRFCを読ませよう

 まず、学生にはRFCを読ませよう。学校でやる国語なんて、古典芸術の鑑賞会みたいなものだ。これはこれで大事だが、本当の読解力なんてつかない。本当に実生活で使える読解力とは、マニュアルを読み解く力だ。また、素晴らしい文学に触れても説明力なんて付かない。難しい内容をどうすれば人に伝えられるか、RFCを読んで勉強しよう。特に、RFC1855のネチケットはまず最初に読ませるべきだ。

 率直なところ、国語の時間を削ってこれを読ませてもいいと思う。高校三年生くらいの英語に、技術文書としてRFCを読ませても良いかもしれない。とにかく、日本人はもっと技術書やマニュアルを読めるようになるべきだ。そうすれば、文系だろうと技術系の仕事で活躍できる。

 RFCの原文日本語訳が読めれば凄いが、これは流石に難易度が高い。だが、一つ一つの項目を簡単に砕いていけば、学生でも理解できる内容にはできるはずだ。RFCで網羅されている基本的な部分だけでも身に付けておけば、ITリテラシーは大幅に上がるだろう。

 プログラミングは新しいものを作り出す手法だ。万人に必要な訳ではない。好きな人がやって能力を伸ばせば十分だ。万人に必要なのは、仕組みを理解することと、目の前のIT機器を使いこなすことだ。これが日本のITリテラシーの底上げになる。底上げされれば、その分、上も突出した才能が出やすくなるはずだ。

Hello World より Connect to World だ

 授業でコンソールをパチパチ叩かせて「Hello World」と表示させても何の役にも立たない。こういうのが面白いと思うのは興味のある人だけだ。そんなことより、インターネットの回線に自力で接続できたり、自分でメールの設定やデータのバックアップをできるようになった方が役に立つ。

 今、日本人に必要なのは、実践的な使い方だ。皆さんの身の回りにも、プリンタを接続できない人や、自分の使うパソコンを選んでくれという人がたくさんいることだろう。こういう人たちが、自力で自分のやりたい事の最低限をこなせるようになる必要がある。あわよくば、トラブルシューティングできるようになったら、きっと日本という国が変わる。

 まず、IT機器を使いこなそう。話はそれからだ。ろくにIT機器も使いこなせない人がITを語っても意味が無い。だから日本のイノベーションは、メーカーパソコンに大量にインストールされるゴミソフトで終わる。使いこなせない人への無駄な気遣いにしか発想が行かないのだ。そんなことで、世界に太刀打ちできる道理が無い。

 インフラエンジニアはソフトを使いこなすのが特性だと考えている。目の前のソフトの特性をよく知り、最大限に能力が発揮できるように組み立てる。今、日本人に必要なのはそういう能力ではないだろうか。新しいシステムを作るより、目の前のソフトを使いこなすことがまず先だ。

日本人は本当に劣っているのか

 日本人は、能力では決して劣ってはいない。だが、育てない。だからトータルで劣ってしまう。よく、外国で活躍する日本人がテレビで特集され「やっぱり日本すげー!」と持ち上げられる。だが、ああいう人たちは、日本というしがらみを捨てたから外国で活躍できている。つまり、人は優れているが、国は劣っているのだ。

 その根源が学校教育だ思う。何十年前のカリキュラムを今だに繰り返しているとは狂気の沙汰だ。未だに高度成長期のノリで教育の現場は回っている。これでは、日本という国が劣っても文句は言えまい。教育というものの意味をまるで分かってはいない。

 学校でプログラミングを教えるのを反対する理由の一つに、教育の質の悪さがある。英語を中高6年教えても、大半の人が英語を喋れない。むしろ、悪い癖をつけて喋れなくしているのではないかとも思う。同じノリでプログラミングを教えたら、同様の現象が起きるのは目に見えている。

 プログラミングより、インフラエンジニアの知識の方がカリキュラムにまとめやすい。既存の授業に組み込み易い。プログラミングをやるより、実現しやすいと思う。それでいて、今の日本人の欠点を多くおぎなえるのではないだろうか。プログラムだけがITじゃない。日本のITリテラシーが向上することで、今回のプロジェクトの予算が多く割り当てられることを望む。

Comment(6)

コメント

小林多紀夫

読ませて頂きました。

こういう記事を、教育者にも技術者にも偉い人にも読んでもらいたいです。

一点だけ、フォローします。

プログラミング教育は言語を教えるんじゃないんです。
日本語の組み合わせで実際に、キャラクターが動くんです。
ということは、ロボットも動かせる。音を鳴らせる。その他もろもろ。

日本語で組み立てるプログラムはどうでしょう。

プログラミンーー見るのが面倒くさいけど、画面キャプチャだけでも。
http://www.mext.go.jp/programin/

仲澤@失業者

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/attach/1372525.htm

上記文科省の6月発表の資料を読むとプログラムを教えるとは書いてありますが、
特定のプログラミング言語を教えるとは書いてありませんね。
冒頭付近を引用すると(引用開始~)

コーディング(プログラミング言語を用いた記述方法)を覚えることがプログラミング教育の目的であるとの誤解が広がりつつあるのではないかとの指摘もある。

(~引用終わり)
とあり、全面否定の様ですね。
内容を思いっきり要約すると、論理的な発想や意見を述べる能力の育成と
データの読み解き能力の開発を目指すと読めます。
今からの子供たちは、まぁコンピュータと無縁の生活は不可能なので、
基礎力を付けるということのようで、本コラムの最後にある趣旨にも近ようですよ(笑)。

abekkan

パソコンのネットワークとメール設定くらいは教えておいてほしいですね。あと16進数とシフト演算も!

へろへろ

確かに、教育を受けた子供たちがプログラマーではなくシステムの発注側に回ったときに、エンジニアにとってありがたい人材であってほしいと願うなら、心得ていてほしいのは「代入と判定とループ」じゃないですね。
システムというものを作るにあたってどれだけの決め事と手続きがあって、それにいくらのヒトモノカネがかかるものかという知識や感覚を身に着けてくれる教育を望みたいものです。

匿名

つい先日のことです。中学1年の子供が、塾で、あるプリントをもらってきた。(自分のとは違う)隣の中学校で出したテスト問題でした。問題文曰く、
1. (粗い写真を出して)この装置の名前は何ですか
   答:マウスとか、ディスプレイとか
2. 小さなものから順に並べなさい
   答:bit , Byte , KB, MB , GB , TB
3. 基本ソフトと応用ソフトに関する説明文の穴埋め(選択式)
4. Microsoft Word 2007(!) のツールバーを示して、これは何の機能?(選択式)

いやもう、頭が痛くなりました。誰か先生を指導してやれよ。
現状でコレなのに、それに加えてプログラミングですか。

小林多紀夫

僕は、文部科学省の人間でもないし、なんでもないバイトくん(このコラムではないですよ^^)なんですが、なんで、こういった議論が行われずに「プログラミング教育反対!」or「プログラミング教育推める!」になるんでしょうか。

単純に、これをやるには、こういった事が目的で、そのためにはこういった人材が(教育者?専門職のヘルプ教師?)必要ですって、やってけばいいだけなんじゃないかな?って思います。

何が大事かって、それをこれから学んでいく子どもたちなんだと思います。

大人がまごまごしてたら、子どもたちの貴重な時間を(成長を)妨げるだけな気がします。

掲示にしてもそうです。訳の分からない言い回しでごまかさずに、こうしたい!ってかけばいいと思います。そこで建設的な議論になればいいんですが、非難になると何も前に進みません。

いや、みなさんわかってることで、そううまくいかない現実があるのはわかりますが、一番大事なのは、大人の事情ではなく、

 『子供』

ですから。

と、偉そうにすみません……

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