なんでそのPDCAは上手くいかないか
■最初に釘を刺しておく
このタイトルを見て、エンジニアライフ担当の編集者さんは「YMCA」を思い浮かべるんじゃないだろうか。西城秀樹さんがカバーしたあの有名な曲だ。これを知っているか知っていないかで年齢がバレる。
PDCAとは、Plan(計画)、Do(実施・実行)、Check(点検・評価)、Act(処置・改善)の頭文字をとったものだ。事業活動における生産管理や品質管理を円滑に進める手法としてPDCAサイクルで有名だ。IT系の業務に携わっている人なら一度は聞いたことがあると思う。
PDCAサイクルを上手く回せば、より良い結果が得られると信じている人は多い。だが、PDCAなんて手法の一つに過ぎない。物事の先手を取るには、PDCAなんてやってたら出遅れる。
もし、編集者さんのTwitterでの紹介文でYMCAを書かせたくないと思ったら、初っ端に牽制する。そして牽制の中に伏線を盛り込み、書いたら年がバレるぞと釘を刺しておく。PDCA以外に、このような先手必勝という手法もあるのだ。
■PDCAで上手く回らない理由
日本の企業の大半が勘違いしてるように思うのだが、PDCAは失敗しないための担保ではない。そもそも、そんなに失敗したくないなら何もせずに寝てろ。行動を起こす以上、必ず一定の割合で失敗する。
PDCAを回す際、どこのプロジェクトでもP(計画)に力を入れる傾向が強い。そして失敗する場合、P(計画)で燃え尽きることが多い。失敗しないことを前提に考えると、計画段階でどんどんD(実行)を省いていく。後から振り返ると、結局それしかしないならサッサとやった方が早かった。というケースをよく見る。
P(計画)で力を入れすぎてD(実行)した時点で燃え尽きる。Cが点検・調査ではなく、実行結果に対してのCheck(バグ潰し)になる。とてもじゃないが、処置・改善なんてやれる材料が揃ってないので、AはAngry(怒る)かAttack(責任者への攻撃)になる。
PDCAで何かを実現するのでなく、PDCAに沿うことが目的になっている。だから上手く回らないのだ。失敗した時に、「ちゃんと計画立てました!」というのをよく聞くと思う。だが、実際は最初から言い訳のために動いているのだ。それは上手くいくはずがない。
■PDCAが回らないなら他のやり方をやればいい
計画立てるのが苦手な人がPDCAを実践すると、最初から詰んでしまう。これがPDCAサイクルの致命的な欠点だ。そもそも、計画を立てるというのは難しい。多くの経験や高いスキルが必要だ。
だったらどうするか。最初にC(点検・調査)を持ってくればいいのだ。情報も得ずに計画が立てられるだろうか。絶対無理だと思う。調査もしないで計画を立てるから失敗するのだ。確固たる情報に基づいて計画を立てれば、それだけ精度は上がる。
あともう一つ重要なポイントがある。計画立てて無理だと思ったら止めよう。そもそもの前提が間違えていたら、やって失敗するのは明白だ。だったら間違いに気付いた時点で引き返そう。ダメだと分かった時点で行動に移さない。
C(点検・調査)で確固たる情報を得ていないと、まともなA(処置・改善)なんてできるはずがない。とにかくやってみなければ何も進まないことだってある。PDCAサイクルはあくまで一つの理想形でしかない。他のやり方だっていいのだ。
■PDCAサイクルの本質
PDCAサイクルの本質は、行動と思索のワンセットだ。P(計画)を立てるには思索する。そしてDoという行動に移す。C(点検・調査)にしても、要は情報収集だ。次のA(処置・改善)に対して必ず思索が入る。
PDCAサイクルの見方を変えるとPAPAになる。考えて実行、考えて実行という単純な形に分解できる。PDCAが上手くいかないなら、こういう単純な形にして実践するのもいいと思う。ここまで簡単にすれば、小さな子供にも説明できるし、実践させることもできる。
PDCAと言いつつ、実際はP(計画)偏重になっているケースも多い。行動と思索のバランスをとらないと、低い方に合わせた結果しか得られない。いつも思索するのが良い。いつも行動した方が良い。という単純なものでもない。
そういう意味で言えば、直感や情熱というのも活用できる余地がある。私たちの取れる手段は私たちが想像するより多い。PDCAという観念でそれを狭めるなら、これは非常に残念なことだ。手法に縛られても利益は無い。活用してなんぼだ。
コメント
nanashi
> PDCAサイクルの見方を変えるとPAPAになる。考えて実行、考えて実行という単純な形に分解できる。
とても細かい指摘ですが、考えて実行でしたら、「PDPD」でしょうか。
Mc
>とにかくやってみなければ何も進まないことだってある。
計画してる時点ではまったく収益はでず費用しか出ていない。
それなのに計画していると仕事した感が出てしまうのですかね。
Doなしにはなにも生み出せない。
とはいえそれなりに人数が集まってくるとPlan(方向付け?)がないとそれはそれで事故になる。
過大はPlanに時間をかけすぎている、判断が遅い、ことなのかなと最近感じています。