いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

迷うから工数が足りなくなる。

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■断言できないエンジニア

 職業エンジニアと話すと、意外と断言できない人が多い。安易に断言すると発言に対して責任を負うことになってしまう。多分、そういう感覚で断言しない習慣がついたのかもしれない。

 しかし、断言できないおかげで、やたら話が長くなったり、結論が出せなくなったりする。抽象的な知識を並べて、ただ延々と話し続けてしまう。コラムのコメントでもこういうパターンはよく見かける。

 一般的に、考える量が多ければ頭が良いと思われる傾向がある。実際は結果を出せてなんぼだ。コラムなんて最たるものだ。延々と考えて書いても、結果が纏まらなければクソコラムと言われて終わる。ハッキリと意見を伝えてなんぼだ。考えた時間とコラムの出来は関係が無い。

 どんなに多くの時間を割いて考えても、結果が出せなければ意味は無い。単に同じような内容をループするのは、考えているというより、迷っているという方が妥当だ。ここら辺を見極められるようになると、頭の良い人と悪い人を的確に見極められる。

■迷うのは止まっているのと同じだ

 一つ質問。もし、今仕事で迷い事があったとしよう。その時、仕事は進んでいるだろうか。止まっているだろうか。答えは簡単だ。迷っている時は仕事は止まっている。時間だけが過ぎて、無駄に色々なものを消費する。

 迷うと言っても、いろいろなケースがある。思考がループしていたり、感情の都合で思考が一方に向いてしまっているようなケース、無理という結論が出た場合も、見た目には迷っているように見えることもある。

 ただ、迷うと言っても自覚症状が無い場合もある。迷っていることに気づけば、無理だと思ったら諦める。相談できそうな人がいれば相談する。もしくは何らか考えて行動に移す。とりあえず、何らかのアクションを起こせる。

 相手が迷っているかどうか判断するのは、同じようなことを何度も繰り返す、話が収束しない、少し前に言ったことを覚えていない。こうポイントを押さえると分かりやすい。もし、話す時にそういう傾向があるなら、コミュニケーションのとり方に問題があるかもしれない。

■迷わないためにはどうするか

 知識が多ければ迷わないと思う方も多いだろう。だが、知識の量はあまり関係無い。多く考えれば迷わないと思うかもしれないが、これも違う。多く考えてもループする速度と量が増えるだけだ。軽自動車で暴走するか、トラックで暴走するかの差みたいなものだ。

 結局のところ、結論を出す気があるか無いかが決め手になる。実際、決定的な根拠があれば、大して考えなくても結論は出せるだろう。逆に、延々と反論をリストアップしていけば、いつまで経っても結論は出せない。

  一般的に誤解されているが、決断力は思考を止める力だ。思考を切り替えるのが決断だ。いつまでも同じことを考えていては動けない。また、多くを望みすぎても思考は止まらなくなる。無茶を押し通そうとしても思考は止まらなくなる。

 思考が止めるのは勇気が要る。出した結論に対して責任が伴うからだ。頭の良さより、精神的な強さが必要なのかもしれない。自分に対する確信や、デメリットに対して折れない心の強さだろうか。

■それでも知識で解消できるとお考えの方へ

 「いや、それでも知識が多い方が迷わないぞ!」とお考えの方はいると思う。ある意味、それは間違いではない。知ってるか知らないかで結論の出るようなケースなら、知識の量で問題解決できるからだ。ただ、仕事や人生で直面する問題はそんな簡単なものではない。知識だけで対応できるのは学校のテストくらいだ。

 それでも知識を信じたいのであれば、知識を確信に昇華させるといい。知識に経験を関連付けていくのだ。知識というのは一つの点のようなものだ。経験で結びつければ線になる。そして、理論的に裏付けをしていけば、線と線が繋がって面になる。それが確信だ。

 脳が記憶している情報という意味では、知識と確信に大した差は無い。だが、経験が結びついているか、裏付けはあるか。その違いで、知識と確信には雲泥の差がある。何らかの問題に直面した時、その強さの違いを実感できる。

 最後にまとめると、今回のコラムのテーマはすごくシンプルな話だ。結論を出せないから無駄に工数を食うんだこんにゃろう。小手先の知識にばかり頼ってるから、いつまで経っても決められないんだ。キッチリ覚悟決めて決断しやがれこんちくしょう。

・・・ということだ。

Comment(4)

コメント

ハリコフ

「安易に断言すると発言に対して責任を負うことになってしまう」という人が一定数いるのは認めますが、結果に対して責任を持ちたいが為に曖昧なことを口にしないという人もいると思います。

問題は、発言するタイミング。限られた時間内で対応しなければならないならば、確信が無くても想定の一つとして口にする、時間に余裕があるなら、調査のための時間が欲しいと口にする。これが出来るかどうかが大切だと思います。

ま、この話ってエンジニアっていうよりは、社会人(主にサラリーマン)全般に言える事ですかね。

非現実性AR

「エンジニアたるもの最初っから1から10まで一分の隙もなく漏れなく説明せよ」

こんな強迫観念に囚われてるから話がgdるんじゃないですかね。

「こいつはこうなのさ」
「ヘイ、ボブ! この場合はどうなるんだい!?」
「HAHAHAHA、いい質問だジョニー」

アメリカ~ンに軽妙に意見のやり取りすりゃいいのに何故かしない出来ない人が多く見受けられます。
まあ質問する方に問題があると成り立たないんで自衛のためなんでしょうか。

日本じゃコミュ力つうと「話す力」限定でばかり言われるので理不尽だと思います、先生!

定期巡回者

>いつまでも同じことを考えていては動けないとい。
typoでしょうか?
もしそうでしたら、修正後、このコメントは消して頂ければ...。

サンクス!
By Anubis

y

決断と責任には関連がある。結論を出せないのは、ある問題において結論を出す責務が誰にあるのか曖昧な企業が多いからだろう。各人の責務が明確でなければその範囲内で決断し、何かをアウトプットすることはできない。

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