いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

エンジニアなら独学だろ

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こんにちはAnubisです。

先週はコラムニストの手塚さんから「学習」に関するコラムの執筆がありました。面白そうなので、同じテーマで書いてみます。ちょうど私自身が違う立場の人がどう考えるかというテーマと向き合っているので、ちょうど良い機会だというのもあります。

いつものように私事を書きますが、私は今に至るまで全部独学できています。人に教わろうとしたが、教えてくれる人がいない、そもそも教えられるレベルの人がいない。新しい技術を学ぶ時はいつもそうだった。学ぶことイコール独学という、個人的な立場からすればそういう印象。そういう状況だったと言えばそれまでなのですが、今までの経験で判断して、それで納得するのは違うと思った。そこで「勉強方法」を軸に疑問を掘り進めてみる。手塚さんのコラムを起点に考えてみた。その結果、ある事実が浮かび上がりました。


私は独学しか経験したことがない

IT技術はもちろんのこと、学業・勉強にはじまり、スポーツ、独立、自己啓発などすべての分野についてもそう。まったくの無知の状態からは「自分で調べる」事で知識と経験を得てきたことがわかりました。ある程度のレベルに達してから、改めて人から教えを乞うことは何度かあった。しかし、最初から人に教えを乞うことはしていなかったということに気づいた。

独学で掘り進めてある程度大きな壁に当たった時に、勉強会や、お金を払ってその道のプロに教わるというパターンだ。もしくは自分でアイディアを絞り出して新しいやり方を考える。だから独学で行き詰まることは一つのプロセスに過ぎない。詰まることが当然なので、そこからどうするかが焦点が移り、逆にマイペースでのほほんとやっている。

学習を始めるきっかけは、いつも思い付き。仕事のためにプログラミングを学ばなければならない人とは視点が全く違っていた。元々がIT系の人ではなかったし、習うほどお金が無かったので、独学以外の選択肢が無かった。

ところで独学以外で学んでいる人はどのくらいいるのか?

私と同じような視点で、独学しか経験していない人はどれほどいるのだろう?見聞きする範囲では、大多数がそういう人のように思える。人から教えてもらえること。それはかなり恵まれている。それは単に運が良いというより、人徳のようなものが背景にあることに気づく。

その証拠に教えてもらえる人の周りには人が集まってくる。スポーツなんて最たるものだ。スポーツは人とのコミュニケーション無しには成り立たない。サッカーや野球をやりたくても一人ではできない。ITの技術は一人でできてしまう。だから独学の人が多い。そう思っている。

この業界でコミュニケーションがあまり求められないのもそのためだろう。IT技術は本やネットから学ぶのが基本。私の周りではそう考える人が多いので、そういうものだと感じています。


教わったことがない = 人の力を借りる人が少ない

人から学ぶ経験がないとどうしてもコミュニケーションの切出しが難しく、協調することがなかなか難しい。お互いの意思が理解できればコミュニケーションがとれるようになっていく。しかし技術の共有というのはどうしても難しく、人から教わったことがないので、伝え方も分からない。独学で学んだ人はこの点だけは解決できていない。自分でやるなら一瞬で済むことかもしれない。でもそれを人にやってもらうとなるといつまでも苦戦します。

正直言って独学でできてしまえば自分が困ることはありません。だって会社の仕事はそれで済ませられるから。困る人といえば下についた部下や社長や経営者、誰かにぶら下がって仕事をしている人くらいでしょう。チームで結果を出したい人は誰かから学ぶことの重要さをしる事をオススメします(笑)。私のように後で後悔することになるでしょうから。


愚者はGoogleに学び、賢者は人に学ぶ

これは私の持論ですが、Googleを否定する訳ではない。たまに現場でこういう言葉を聞く。

「え、分からないって?まずGoogleで調べろよ。分からないところくらい自分でなんとかしろよ」

言っていることはわかりますが、意外なほどGoogleだけで問題解決することはできません。言っている本人を見ればそれがわかります。


人の話を聞いて、何かを得たことがありますか?

人の話を聞くと色々なことを知ることができます。でも実は全然といっていいほど理解していません。だから最後に失敗する。その失敗経験から価値が無いという。それがほとんどです。私もGoogleで調べ、自分の解釈で実践してきました。そのほとんどがその場しのぎです。これが愚者というか普通の人です。だからこそ、結局普通の人は自分の判断でしか考えていない。

でも失敗を繰り返す内に気がついたことがありました。「これがあの人の伝えようとしていた警告だったのか」それがわかって、やっと人の話を聞くことの意味を理解できました。

これがわかると人から聞いた失敗の原因と経験から、失敗の本質をつかむことができるようになり同じような失敗を繰り返すことが減ってきました。ここまでくると自分の経験に固執することはなくなります。なぜなら失敗原因が明確になり、言われたことに納得がいく。納得がいけば固執はしません。


賢者という名の凡人たち

賢者は他人の正しさを見出します。普通の人は自分の考えからしか正しさを見出せません。他人の正当性を立証できることで大きな失敗を避けられます。人の意見から取れる手段の選択肢を増やし、判断の根拠、条件付けのバリエーションを増やします。もはや迷うことがなくなります。そうなると成功率がありえないほど高くなり、自分で考えるより効率が上がります。天才的な才能がなくてもできることだな、と思いました。

他人の捉え方にも色々な形があると仮定して私はこのようにリストアップしました

パターン1 : 本を読まないググらない、他人の話を聞かない

パターン2 : とりあえずググるけど、全く他人の話を聞かない

パターン3 : ググって理解したつもり。だから忠告しても、ググった内容と結びつかない。

パターン4 : 失敗して経験することで、ググった結果と他人の話と結びつけることができる。

パターン5 : 完璧に理解していてググった内容から人の話を整理できる

パターン5の人はわかりやすくいえば、「話を整理して問題解決できる人」です。まれにいますよね?こういう人。実際に見ている事実は一つだけど、いろいろな方面から見れるので、何でも知ってるように見えちゃう状態です。そんな人たちは自分と違う世界を見ていると思ったほうがいいでしょう。自分が真実を見ていると思いたい人は別にいいですけどね。私には真実なんてほど遠いです。


人から教わることは尊いし、その機会は稀だ

大企業の人、新卒から会社にいる人は研修などの機会もあるし教育体制も期待できるでしょう。私はしがない火消しエンジニア。じゃぁ、下請けや派遣のエンジニアにそういう機会はあるのか?

しっかりした元請けだったら機会が設けられる可能性があります。元請がエンジニアの教育が重要だと認識していればです。もし自分が属する組織に力がなければどうなるか?最終的に独学に頼らざるを得ません。そこでへんな根性論に流されるととんでもない事になっていく。根性論で残業が増えてしまう、プロジェクトが炎上する、またはスキルが低いままなのはこういう理由があるからでは?

もちろん他にも理由があると思いますが、こういった理由もあるかもしれませんよ。





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ずいぶん長い前置きを書いてみたが、ここからがコラムの本編だ。

■人から教わったなら誇りに思うべき

 もし手塚さんが私の立場ならこう書いただろう。そいういう想定で長い前置きを書いてみた。言葉遣い、書式、構成をできる限り引き継いで元のコラムに似せるように書いてみた。ブラウザを二つ並べて読み比べれば、考え方の違いが比べやすいと思う。

 私と手塚さんではやってる分野も違うし、置かれている立場や状況も違う。同じIT業界にいても、見てきた世界は全くの別世界だろう。なので、同じテーマを考えてもこれだけの差が出る。手塚さんが守銭奴なら、私はさしずめ野生児といったところか。そのくらいの違いがある。

 スキル云々は比較のしようがないが、私が手塚さんに明確に及ばないものがある。それは人徳だ。なぜなら、人にものを教えてもらうには何らかの形で人徳が必要だからだ。それだけ人徳があったから教えてもらえたということだ。教えてもらったことは誇っていいことだと思う。その方が教えた人も嬉しいはずだ。

■教えてもらうのに人徳が必要な理由

 まず、ものを教えてくれるような企業に入るには人徳が必要だ。企業というのは似た者同士が集まりやすい。教育ができる余裕のある会社や、教育ができるだけの力のある上司。こういう状況に恵まれるには人徳がものをいう。

 能力が同じなら人で判断するというのが採用者の常識だ。人徳が高ければ、人を基準で判断された時にアドバンテージが高い。物事を有利に進めるために必要なようそなので、私は人徳を一つの能力としてカウントしている。

 ただし、人徳はスキルというよりお金に近い。使えば減るし、貯めれば増える。貸しや借りも成り立つ。守銭奴的な思考の方が人徳のフローの運用には向いている。ちなみに私は、人徳を切り捨ててスキルに集中した。なので、人徳についてはかなり怪しい。

■問題は優劣ではない

 こういう違いの話をすると、どちらが優れているかという方向に行きがちだ。だが、そんなことは些細な問題だ。重要なのは、こういう全く違う人種が同じ現場にいたらどうなるかということだ。優劣を判断するより、お互いの長所を引き出して目的を達成する方が明らかに重要だ。

 私から手塚さんを見たら、「どこの貴族か。」そう思うだろう。逆に、手塚さんから私を見たら、「なんだ、この野生のポケモンは。」そう思うかもしれない。現場では、そのくらい価値観の違う者同士が一緒になるなんてザラだ。だが、価値観が違っても同じ目標に向かって進んでいくのが仕事だ。

 優劣ばかり気にして、いろいろと抜け落ちていないだろうか。私が長々と書いた前置きを見て、どっちの考え方の方が優れているか。そういう視点で見たなら注意した方がいい。

■教わることと独学の違い

 独学で身につけたスキルと教わったスキルにどんな違いがあるのだろうか。そんなのは、水餃子と焼き餃子くらいの違いしかない。料理方法は全然違うが同じ餃子だ。料理方法なんかより、美味けりゃそれでいい。スキルも同じで、できりゃそれでいい。

 独学で学ぶ方がいいか、人から教わる方がいいか。それを議論するのは、水餃子と焼き餃子のどちらが美味いかを議論するのと同じだ。要はどっちでもいい。議論すべきは餃子をうまく食べるにはどうすればいいかだ。ひとそれぞれの好みの問題に過ぎない。議論するだけ無駄だ。

 違う価値観の人と上手くやっていくには、優劣よりも大事なものがある。それが、相手を知ることだ。優劣をはっきりさせても人は動かない。また、基準を変えれば優劣やメリット・デメリットなんて簡単に覆る。

 独学だろうとなんだろうと、身につけばいいのだ。身につけば。違う方法でスキルを身につけた人がいれば、話をじっくり聞こう。自分と同じ方法で成功した人から話を聞いても得るものは少ない。違う経験をもつ人だからこそ、学ぶものは多いのではないだろうか。

Comment(4)

コメント

夢夢

同感だ。そもそも学ぶという言葉は、他者から知識を吸収することを言う。
すなわち自分が保持していない新しい情報を取得することである。
言葉の定義からして「違う意見は聞き入れない」行為を学ぶとは言わない。
俺の経験から言うと、自分と違う意見を拒否をする人は知識が狭く技技術力もない。

gogotea3

同感です。
でも、独学で間違っていたり、浅かったりしている人が多いのを見ていると、
独学って難しいなと感じます。
しないよりましなのかしないほうがましなのかと

Anubis

>夢夢 さん
コメントありがとうございます。
結局、自分の好き嫌いと必要不要は一致しない。

自分が異質だと思っている人は、嫌いだが必要な要素を持ち備えている。
もしくは、気づかないが必要な要素を持ち備えている。

頂いたご意見に対する私の思う根拠です。

> gogotea3 さん
コメントありがとうございます。

最近、チェスを独学でやっているのですが、悔しいほど勝てない。
実のところ、ITと関係ないところで独学の盲点を痛感している。

独学に関しては、また別の角度からコラムを書いてみたいと思います。

gogotea3

独学についての別の視点からのコラム楽しみにしています。

チェスの定石や基本を最速、最善手で手に入れることが大事なのかなと、
思っています。
独学はあくまで手段のはずなので、目的が達せられることが最重要だと思っています。

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