別視点での未来予測
◾︎数十年前の未来像
昔、東京ディズニーランドにミートザワールドというアトラクションがあった。ディズニーランドにしては珍しく、日本の歴史を紹介するアトラクションだ。人形と映像を使ったアトラクションで、劇場ごと回転して場面が切り替わるのが印象的だった。
このアトラクションの最後の締めで、「これから日本はどうなるの?」と鶴に質問をすると、鶴は「あなた達がコレからの日本を作って行くのよ!!」とメッセージを送るシーンがある。この後、可動式の劇場を出て未来はどうなるの?みたいなコーナーがあったのを覚えている。
はっきりと覚えていないのだが、ここで音声でTVのチャンネルを操作しているシーンがあった。今になって振り返ると、この技術はiPhoneのSiriで実用化しているように思う。ただ、実現してみるとそう便利でもないことに気づく。機械に話しかけるのに違和感を感じるからだ。
◾︎期待はずれのなったらいいな
昔のアニメをみると、腕時計型のテレビ電話がよく出てくる。多分、当時の人にとってはあれがすごく便利そうに思えたのだろう。現代の技術をもってすれば、簡単に実現できるだろう。でも実際は、イヤホンをの根元にマイクをつけて、手ぶらで通話している。その方が楽だからだ。
昭和の感覚で考えると、今頃は車がチューブの中を走っていて、電車の代わりにリニアモーターカーが走っている筈だった。実際はそこまでしなくても、普通に車や電車を改良するだけで用途が足りている。みんなそれに気付いたので、平成になってからそういう発想をする人はいなくなった。
人は「こうなったらいいな」と思ったものを実現しようとする。これは当然だ。だが、実現しようとした結果、別の形で丁度よく収まることも多い。これは十年単位の時代の流れでも言えるし、数ヶ月単位のちょっとした改善にも言えると思う。
◾︎未来は思い描くものと別の形になるんじゃないか
例えばエネルギー不足の問題にしても、現在の消費を賄うよりも、「そんなにエネエルギー使わなくてもいいんじゃないか?」という方向に思考が向かえば、新しい技術を開発するより、無駄な労力を省くようになる。こういう発想の変化が起きれば、未来の都市はもっと田舎っぽい雰囲気に変貌すると思う。
現在の延長線上で考えるなら、こういう発想にはなかなか至らないと思う。しかし、大きな災害や社会現象が起きれば人の価値観は変わる。また、画期的なサービスや製品が生まれても人の価値観は変わる。
未来予想が外れる原因は、こういう価値観の変化を予測できないからだ思う。これは、時代に取り残される原因に似ている。思い描く未来が自分の価値観で納得できる保証は無い。今までに無い変化が起きる。だから未来の予測は難しい。
◾︎未来は予想するより創るものだ
そんなことで、未来を予測するのは難しい。未来の予測って、バンバン外れるものだ。なので、もっと気軽に打ち出してくれてもいいと思う。予測した未来を大きく打ち出すと、当たった外れたで騒がれるが、そんなのは放っておけばいい。
未来を予測するのは当てるためではない。未来を創るための指針だ。当たるか外れるかはオマケだ。予想することで、誰かに何かを気づかせる、思いつかせればそれでいい。ネガティブな未来を予測しても、それを外させるために努力を促せれば有益だと考える。
現代人は当たり外れにこだわり過ぎる。予測は当たっても「スゲー」で終わるだけだ。外したらこき下ろすネタに使う。予測から学ぼうとしない。何を根拠に予測が成り立っているかを突き詰めれば、必ず有益な情報は得られる。大事なのは、何を見てどう思ったかではないだろうか。