将来のビジョンが世界を腐らせる
■ビジョンとの向き合いかた
成功法や企業理念でよく語られる将来のビジョン。美辞麗句で飾られ、これを抱くのがいかに素晴らしかと力説される。だが、ビジョンと言えば聞こえはいいが、実態は個人的欲望だ。ピンキリの幅は広い。
ビジョンというのは到達目標みたいなものだ。そこを目指して努力するのは素晴らしい。だが、待つべき時期もあれば引かなければならないタイミングもある。猪突猛進で突っ込めばいいってもんじゃない。誰かの不利益になるなら捨てなければならない場合もある。今回はビジョンとの向き合い方を考えてみたい。
■ビジョンに隠れて見えなくなるもの
自己実現するためには、将来のビジョンが必要だと巷ではよく言われる。だが、将来のビジョンばかり追っていると、無意識に見えなくなるものがある。どんなものでも、最後は終わるということだ。
・・・・・?
「コイツ、とうとう頭が変になったか?」そう思った方も多いだろう。「こんな事は、幼稚園児でも分かるぞ。」そう言う方もいるかもしれない。だが、私達は意外と「終わり」に対して考えていない。
■会社が終わる事を想定しているか
もし、どこかの大企業の株主総会で「どうも世の中に必要無くなったみたいなので、○年後を目処に、会社を解散します!」なんて言ったらどうなるだろう。怒涛の大乱闘でも起こるんじゃないだろうか。ただ、某○○○社(※1)とか、案件を取るだけ取って下請けに丸投げだ。ああいう中抜きしかしてない会社であれば解散宣言で歓喜する人もいるだろう。実際、無くなった方が世の中のためだと思う。
会社は永遠に栄え続ける。そういう幻想を抱くので、いろんなものが歪む。ダメならさっさと会社たたんじまえ。ロクに仕事ができないのに、将来のビジョンばかり押し通すから企業が腐る。
将来のビジョンを語るなら、技術者をきちんと育てて欲しい。溜め込んだ技術的負債を自覚して欲しい。丸投げにした案件の数だけ社外に屍が転がっているんだ。IT業界のモラルを散々荒し回ってビジョンとは笑えない冗談にもほどがある。
事業を起こすのであれば、事業を終了する条件も決めておく必要があると思う。でないと、社員が何をやっても会社が潰れないと思い込み、好き放題なことをやってしまう。事実、そうなっている会社をいくつも見てきた。
■未来という名の現実
未来を見るというのは、自分勝手な楽観的思考をぶちまけることではない。物事の始まり、維持されて終わるまでの一連の流れを追うことだ。そこには当然、ワクワクする事もあれば、がっくりくるような事もある。これら全てを一貫して考察すること。それが未来を見るということだ。
十年後のビジョンを抱いたとして、せいぜい見えるのは来年くらいだ。若い人なんてほとんどがそうだろう。自分が老いる事、病む事、いずれはこの世を去ることなんて、コレっぽっちも見ていない。自分の人生全部見ようと思えば、数百年先くらいを想定しないと見えないんじゃなかろうか。
ちょっとした常識が覆えるだけで、五十年続いている企業でも終わりは次の瞬間に来るかもしれない。潰れた後に事実を整理していくと、だいたい潰れた理由は追求できる。これを潰れる前にできるのが本当に賢い人だ。そのためにはビジョンにばかり翻弄されてはいけない。ビジョンが実現した先、後処理まで視野に入れておく必要があるのだ。
※1 特定の企業の名前を入れてコメント欄に書き込むのはよしましょう。特定の企業を指定する意図ではありません。心当たりのある企業があったら胸の中にしまっておこう!
コメント
仲澤@失業者
少し前に、自身の年表を作ってみました(Excelで)。
ところが、あまりに昔過ぎて良く思い出せないことばかり。
学校の卒業の年も思い出せず、電卓で逆算する始末(笑)。
自身の過去にまったく興味がないのがよくわかりました。
で、年表の下の端。つまり終わりの年を2030年にしました。
自分にも、あと15回ほど夏がくるというわけです。
その15行の空白を見て思ったのが、たぶんなんにもしないのだろうな。ということですね。
もちろん、ろくなことはやってないので、過去の空白行も沢山ありました。
もう一つ思ったのは、もっと若いころに年表を書いたとしたらどうなっただろうか。
ということです。う~む。
Anubis
> 仲澤様
いがいと何もない方が幸せなのかもしれない。
何かやったとして、次の瞬間から負担になることだってあります。
・・・Excelですか。
ksiroi
DBでグリッド化すればまともな未来が見れるかもしれない。
ワードで箇条書きにすれば展望整理され指標が定まるかもしれない。
エクセルだから壊れるんだ!(データが)
エクセルだから途中で切れるんだよ!(印刷が)