Hey!差別化。
■キャベツの美味しい食べ方
差別と聞いて一番に思い浮かべるのがキャベツ。差別とキャベツ、語呂が似ているからだ。大阪の地下鉄の阪神電車に近いところの出口に、立ち食いの串カツ屋がある。その串カツ屋には、そのままざく切りしたキャベツがおいてある。串カツを食べながら、あのキャベツをボリボリやるのが美味いらしい。
キャベツに限らず、野菜が食べられる、食べられないは、料理のやり方で変わってくるようだ。私は基本的にキャベツは嫌いだ。だが、お好み焼きに入れたり、千切りにすればいくらでも美味しく食べれる。しかし、ロールキャベツやゴロッと生キャベツは食べられない。素材も重要だが、どう料理するかも重要だと思うのだ。
■差別化とは料理方法だ
IT業界で、スキルの差別化と聞くと、高いスキルが求められるような気がする。だが、実際のところ、大した能力の差は無いのではないだろうか。人のやらないニッチなところに気付くか気付かないか。また、そういうニッチな部分に関わるチャンスがあったか。単にそれだけの差だと思う。
同じレベルのスキルでも、何らかのエッセンスを加えることで、全く違ったものに見せる。そこに価値を作り出す。それが差別化の本質だと思う。これは、料理方法を工夫するのに似ている。スキルという素材さえあれば、原理的には誰にでもできる。
■だが誰にでもできるものではない
ただし、差別化というのは万人向けではない。また、万人が差別化できるほど世の中にはニッチなネタは無い。なので、万人が目指すべきものでは無い。というか、やっても成り立たないだろう。みんながニッチな分野ばかりやろうとしたら、一般的な分野をやる人がいなくなる。
単に優れるのであれば、100人が努力して100人が達成できる。ただ、他の99人に無い能力を身に付けるというのはどうだろう。それなりの発想力か環境がなくては難しい。差別化なんて、変わった人が好きなようにやればいい。普通の人が無理してやろうとしてもしんどいだけだ。私はそう思う。
■差別化以外の問題
差別化を口にする前に考えて欲しい問題が一つある。そもそも、普通に優れるだけではダメなのだろうか。付加価値やら差別化がなくては生き残れないというのは、業界自体に余裕がないということではないだろうか。より、高レベルの人でなければ生き残れないというのは、業界の成長ではない。競争の激化による疲弊だ。
エンジニアに精神的な余裕がなければ、自分の特色を押し出すより、無理に現場に合わせる。巷で語られる差別化って何だろうか。差別化を語る人ほど思考が一般的だ。個人の持つ資質を活かした差別化というより、無理やり作りだした差別化っぽいのだ。
自分の個性を最大限に伸ばすのはエンジニアとしては間違っていない。もちろん、差別化を追求するのもいいと思う。だが、無理やり作り出したような差別化が巷にあふれていると、どうも違和感が隠せない。みんなが口を揃えて差別化と言っている。結果、みんな同じ考え方になって差別化でも何でもなくなっている。そんな矛盾を感じるのだ。
コメント
やまぐち
根底に流れる社会のルールが資本主義なので
そこから逃げることは容易ではないです
Google「差異 利潤」
ググると
基本的に資本主義での利潤ってのは差異からしか発生しない
とかなんとか
Anubis
>やまぐち さん
どうも、Anubisです。
Yahoo「差異 利潤」
でも結果は同じですね。
利潤ってのは差異からしか発生しないとかなんとか出てきました。
おっしゃる通りですね。
ここからは個人的な考えですが、世の中の状況が変化すれば、資本主義も形を変えるかもしれない。そう思う。