いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

フォアグラとITエンジニア

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■他人ごととは思えない

 ネットを見ていて気になるニュースを見つけた。コンビニエンスストアFで、フォアグラを使用した弁当が販売中止になったと発表があった。理由については、「フォアグラの生産法は残酷で、そうした食材は使わないでほしい」などと指摘があったためとのことだ。

 私は普段からあまり肉を食べないようにしている。自分から肉を買って料理することはない。理由は2つある。一つは菜食主義者がよく唱える「残酷だ」的な発想。もう一つは単に値段が高いから。ただ、肉が云々言う前に、肉を食べようが食べまいが人間が残酷なのに変わりはないと思っているので、皿に盛られた肉を出されたら美味しくいただいています。

 フォアグラ弁当自体はよくある「なんじゃこれ?」系のニュースだが、どうも他人ごととは思えない。そんなことで、コラムのテーマとして取り上げてみた。

■フォアグラの立場に立つ

 フォアグラの生産方法を見てると、ITプロダクトとダブって見える。家畜のように狭い部屋にすし詰めにして、消化しきれないタスクを投入する。ストレスから暴飲暴食に走り、本当に脂肪肝になる人もいる。それだけでも悲惨だが、同じ人間とは思えない扱いも多々見かける。自分の痛みには敏感だが、人の痛みには鈍感だと恐ろしくなる。

 人間同士でもこんなことをしているのだ。肉を食べないくらいで残虐性は拭えない。フォアグラの弁当が販売中止になったところで、フォアグラは既に生産済だ。このフォアグラが廃棄されたらその分の命は無駄になる。生産者にも経済的な打撃がいくだろう。経済的な打撃を受けた生産者は、高密度飼いや飼料を安くする等、より劣悪な環境で家畜を養わざるを得なくなる。

 残酷だと苦情を入れた結果、より残酷な負のスパイラルが起きると私は思う。そして、似たような理不尽がITの現場でも繰り広げられている。つくづくやりきれない世の中だと思う。

■苦情一言の重さ

 IT系のプロダクトでも同じことがいえる。お金を払っているから、という理由で安易な苦情が多い。もちろん、正当な苦情もある。ただ、自分に落ち度がある状態で相手の責任を追求すると、思わぬところで悪循環を生む。

 理不尽な理由で難癖をつけるお客さん、怒りの沸点が低い上司、会社のキャパシティを見間違えた取り締まり役。そんな人が気軽に発した苦情が悪循環を生み出していく。こういう光景は日ごろよく見かけていることだろう。立場が高いほど苦情の重さが重くなる。しかし、自覚している人は驚く程に少ない。

■苦情を道具として活用してはいないか

 苦情というのは通った時点で責任を丸投げにできる。故に、道具としての利用価値が高い。存分に活用している人もいると思う。苦情自体は理不尽に対する手段としてあるべきものだと思うが、苦情が通った時点で思考が停止してしまう危険がある。苦情をあげる前に注意しよう。

 本当に問題なのは、苦情の裏にある無知だ。もし、自分に過失がある状態で苦情が通ったら、過失を正す機会を失ってしまう。そして、自分こそが正義と勘違いしたまま、人に迷惑をかけ続けてしまう。正義を勘違いした人ほどたちの悪いものはない。

 エンジニアとしてこういう苦情に対処するにはどうしたらいいのか。まず、その先を考えることだ。自分たちだけの解決策でなく、相手の抱える問題も解決できるくらいの策があるだろうか。自分の正当性ばかり主張せず、人の主張を理解する努力をしていきたい。IT業界からフォアグラの生産工場みたいな現場がなくなる事を切に願う。

Comment(2)

コメント

くろねこ

まず、その先を考えることだ。自分たちだけの解決策でなく、相手の抱える問題も解決できるくらいの策があるだろうか。そして、その先を考えることだ。自分たちだけの解決策でなく、相手の抱える問題も解決できるくらいの策があるだろうか。


大事なことなので2回言った?

Anubis

ほう。二重コピーしてましたね。
修正しておきます。

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