そうだ。コラムを書こう。
■コラムはメッセージではない。ただの吐息だ。
仕事でメールを書く時、緊張することはありませんか? 言葉遣いは正しいか。誠意は伝わるだろうか、意図は伝わるだろうか。それが仕事の結果に直結する。そんな事で、私は緊張する。仕事って、何をするにしても意図やら目的を意識して動く。
正直、疲れねーっすか? ここに書くコラムは、かなり自由に書ける。滑ってもペナルティはない。言いたいことを言える。仕事で書くメールと比べると、鼻息くらいのノリで書いてます。
メッセージはなくても生きていける。しかし、吐息をはかずに生きられる人はいない。そんな気軽なノリでコラムを書いてみませんか? 正に、一息つくというやつだ。
■なぜか平等が成り立っている
仕事において、人が考えないような考えを言うと、たいがいドン引きされる。たまにヒットするけど。今の世の中、個性個性と騒ぐわりには、個性を殺す方向に進む。強烈な個性を持った人間はものすごくフラストレーションがたまる世の中。
仕事は、ニーズに合えば「能力」、ニーズが合わなければ「何だコイツ。あほじゃね?」で済すまされる。しかし、そんなことは関係ない。ここで書くコラムはみんな横並びだ。コンサルタントをやっているような人の隣で、ぺーぺーの私が対等にぼやける。
コラムを書いていて平等を痛感することがある。
■仕事で優れてなくても良いコラムが書ける
文章というのは便利です。口でなかなか伝えられないことでも、書きながら見直して、考えを整理して書けます。なので、口下手でも、普段から話のまとまらない人でも、頑張れば書けます。持っているネタがすべてです。
仕事で黙殺されている部分もコラムには書ける。「俺って、エンジニアとして二流、三流かも……」そんなことを気にする必要はない。コラムニストの方に何人かお会いしましたが、もがいているぐらいの人の方が良いコラムを書けるように思えます。
■結論。書こう。
いかなる才能も、きっかけなしに開花することはない。まず、書いてみよう。そこから気付くことも多い。直接のきっかけにならなくても、次のきっかけに結びつく事がある。
なぜ唐突にコラムを書こうなんて言ったのか。ここにコラムを書くようになってから、いろいろ気付けたからだ。考え方も広がったし、ひらめきが冴えるようになった。やっぱり、結果を求めずに、まずやってみるということの重要さを痛感したからだ。