塵も積もれば……いくら積もろうと塵は塵だ!
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■ことわざに真っ向から喧嘩を売ってみる
「塵も積もれば山となる」
年をとると、こういう"積もる"とか"重ねる"という言葉の入った諺を使いたがる傾向が見受けられる。それはそれで大事な事だと思う。そういう傾向に、どうも反骨心が燃えてしまいます。そこで、「塵も積もれば山となる」。この諺を考察してみたい。
■塵は積もらない
もともとの諺の意味は、「《「大智度論」九四から》ごくわずかのものでも、数多く積もり重なれば高大なものとなることのたとえ。」だそうだ。しかし、ここでしっかりと言っておきたい。
塵はいくら集めても積もらない。塵はしょせん塵。風が吹けば飛ぶので積もりません。
塵は塵。積もらすなら、せめて雪くらいにするべきだ。新潟とか、雪の多い地方の方ならよく分るだろう。「塵も積もれば山となる」ではない。「雪が積もれば山となる」だ。
■諺に喧嘩を売る理由
今日、とある上司に「塵も積もれば山となる」ような例えで、小さいスキルでも重ねていけばいずれ大きなスキルになる。みたいな話をされた。
いや、この上司がムカついたとかそう言うのではない。積もらすスキルが「塵」でいいのか。という部分に疑問を感じました。実際に積もらすスキルが 「塵」程度なら、風が吹くたびに吹き飛ぶ。年を重ねて、さて積み上がったかなと蓋を開けると、そこに何も無かった。それじゃ困る。
求人を見ると、「サーバ構築歴3年」とか「Java開発経験2年」というのをよく見かける。その期間、いったい積んだ物は何なんだろう、塵か? 雪か? もしかしたら砂金か? 己に問い直す価値はあるかもしれない。
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