うんこに種をまくと花が咲く ~うんこシリーズ Part1~
■とある飲み会の席で
「○○さん、いつもうんこ、うんこって仕事中に呟くんです~」
うら若き乙女が、飲み会の席でこんなことを言っていた。
まぁ、食事中だということは目をつぶろう。そんなことで、話に花が咲いていた。言われた○○さんも、まんざらではないようでした。
うんこにタネをまいて(というかネタにして)、話に花が咲いたな。そんな風に思い、一緒にほのぼのしていた。
■女子はただ嫌悪し、子どもは嬉々ととする。
「うんこに種をまくと、花が咲く」
コレを女子に言ってみたらどうだろう。「うんこ」という汚物を連想し、強い嫌悪を表すだろう。きれいなものやかわいいものが大好きな女子ほど、その傾向は強いように思われる。
なぜなら、「うんこ」は、かわいいやきれいの対局にあるものだから。
もうちょっと年齢層を下げて、子どもに言って見たらどうだろう。「うんこ」という、センセーショナルな響きに、ただ嬉々とする。「うんこ」は、子どもを笑わせたい時の魔法の呪文のようです。
■そしてエンジニアはうんこをほじくり返す
同じ言葉をエンジニアにいうと、奇妙な反応が返ってくる。
「うんこは汚い。花はきれいだが、実は汚いんじゃないか?」
「いや違う。きれいと言われる花が咲くのだから、うんこはそんな汚いものでもないんじゃないか?」
「うんこと花」という、対局にある存在が汚いかきれいかについて、激しい討論が勃発する。下手にヒートアップすると、小一時間、うんこと花について議論してしまう。
■そして私は、うんこと花を思い浮かべ、目を閉じる
「うんこに種をまくと、花が咲く」
「これは、汚いものでも、うまく使えば花を咲かせられる」という例えで使ってみた。考え方の違いを表現するのにちょうどいいかと思い、出してみた。
同じ言葉を聞いても、女性は物体をイメージし、子どもはただ言葉に反応する。エンジニアは何かと議論に持っていく。人それぞれ、取り方の差は広い。
しかし、ここにうんこがあったとしよう。そしてそこに花の種をまいて、花が咲いたとする。
事実は1つだ。1つの事実に対して、見解は1つでなくてもいい。多くの見解を受け入れることができるようになれば、それだけ発想力も広がるのかもしれない。
あるうら若き乙女のうんこ発言に、私は静かに目を閉じて、そんなことを思索していた。