いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

Marionette ~マリオネット~

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■もてあましてるFrustration

 今回起きた地震の報道、買い占めなどを見てふと浮かんだキーワード。「やり過ぎ」。日頃のフラストレーションが爆発したみたいだった。

 今回の地震報道にしても、初日、被害のどこの局も津波の映像。確かに、インパクトはある。でも、1日中やられたら、さすがにウザイ。被害の大きいところの情報も大切だが、被害の小さかった所の情報も大事だ。ほとんど被害を受けていない埼玉県に行って、「被害、ありませんでした!」と報道することで、安心感を覚える人もいるはずだ。また、被災地の人が、埼玉の親戚のところに世話になろうか。なんて発想が浮かぶかもしれない。

 今日、コンビニに行ってみたらパンが並んでいた。物流も回復してきたんだけど、心配なのは買い込まれたパン。そろそろ、賞味期限が切れて捨てられ始めるんじゃなかろうか。

 安易な日々、デマを飲み込み、計画停電で静かに眠ってる東京近郊か……。

■諦め顔の良くできた歯車

 人間の特権。それは「考えられること」だと思っている。しかし、最近じゃインテリ層や社会的重要な立場の人が考える事を放棄している気がします。

 先ほど書いたような例のように、報道→スクープを撮ること、物資の不足→買い貯める。と、行動が非常にパターン化している。しかも、それが大勢の人の間で行われている。誰もかれも皆、同じように「そうだ、そうだ!」と声がそろってしまっている。

 いつから考えることをやめてしまったのだろうか? 自分のパートにきちんと収まるのもも大事だ。しかし、何の問題提起もせずに、付和雷同してるだけでいいのだろうか?

 そろえた言葉じゃ駄目です。とても何かが良くなるとは思えません。

■テレビの中のマリオネット

 マスコミって、ある意味自分たちを動かしている「いと」かな。そう思います。それが、マリオネットの「糸」であり、誰かの思惑、「意図」であったりします。

 いつも、ぐちゃぐちゃにもつれた場面ばかり写しているニュースやネガティブな情報を断ち切って、たまには考えてみてはどうだろうか。自分の考えるままの言葉はあってもいいはずだ。

 時間があれば、ずっとテレビがつけっぱなし。テレビで「良い」と言っていたことになだれ込み、「悪い」と言ったことには一斉に批判する。そんなテレビの中のマリオネットではいるべきでない。操る糸を断ち切って、己自身の主張はもつべきだ。自分のために動こう。

P.S.

 地震がなかったら、プロジェクトのネタでこのコラムを書いていたと思います。

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