【小説 失格のエンジニア】第三話 彼女がここにいて欲しい
「あなたがたとの契約は今月までです」
目白部長は眼鏡を人差し指で押し上げると、もう一度そう言った。
ピッチリ櫛を通してある七三分け、細身のグレーのスーツ、無表情。
前任の笠松部長がラフでざっくばらんな感じだっただけに、その冷静さが冷酷に映る。
「はい......」
雄一は「あなたがた」が誰を指すのかすぐに分からなかったが、机の上に放置された提案書に改めて視線を落とすと、それが自分たちのことだとやっと理解出来た。
「一体どういう事なんですか?」
目の前に座っている美穂と目白課長を交互に見ながら雄一は問い掛けた。
「今月末で満期になります。契約更新はしません。それだけです」
「そ......それじゃ、システムでトラブルが起きた時はどうするんですか!?」
「その辺はご心配なく」
目白部長はそれ以上答えなかった。
助けを求めるように美穂を見るが、この場では何か口止めされているのだろうか、気まずそうに目を伏せた。
「笠松部長はどうしたんですか!? 先週まで担当だったのに」
「彼は工場に異動になりました」
「え!?」
あまりに唐突な人事に雄一は驚いた。
部長から平の工員に。
先週の笠松部長の雰囲気からはそんな様子は一切なかった。
突然の契約終了と笠松部長の左遷に雄一の頭は混乱した。
だが、契約について違反は一切ない。
ユーザーとしては満期である三月末まで契約を切らないでいてくれる。
ただ、来期の更新をしないだけだ。
(だけど......)
雄一は目の前の理不尽な相手とその会社に苛立ちを覚えた。
リプレースの提案までさせておいて事前連絡も無しに今日突然契約打ち切りだ何て、客だからって勝手すぎる。
一生懸命に御社のために働いたこの一週間を返してくれ。
確かに自分は前任者から交代してまだ二カ月目だ。
だが会社同士の付き合いで見たら、十数年来の付き合いだ。
それを一方的に終わりにするだなんて、非情にもほどがある。
雄一は怒鳴りつけたい衝動に駆られた。
失うものが何も無ければ、目白部長に暴言を吐くことも出来る。
だが、自分は会社という看板を背負っている。
一時の衝動に任せた行動を取ることは出来ない。
「すいません......目白部長。せめて、契約を打ち切る理由を教えてください。今後のためにしたいので」
震える声でそう問い掛けた。
雄一は努めて冷静になろうとした。
だが怒りの炎は心の奥底でまだ燃えくすぶっている。
相手の返答次第では火に油が注がれることになる。
「まあ、一言で言うと代わりの会社が見つかったと言いますか......」
雄一は出されたお茶を一気に飲み干し、怒りを鎮めようとした。
「あなただってスマホの料金が高ければ他社に乗り換えるでしょ? それと同じですよ」
要は料金の面で自分たちよりも格安に出来る会社が見つかったということか。
「でも、その人たちは業務に精通してるんですか? うちみたいに長年付き合ってるわけじゃないんでしょ?」
「その点は問題ありませんよ。以前からうちに定期的に出入りしてもらっている業者なんで。あなたみたいに前任者から引き継いで二カ月くらいの業務知識よりは、彼らの方が良く知ってますし」
個人的な戦力外通告とも取れた。
だが、雄一は惨めさに打ちひしがれそうになる自分を何とか奮い立たせた。
「だけど......それでも何とか頑張りますんで考え直してもらえませんか?」
上手く言えない自分に腹が立った。
これじゃ、別れを告げる女に、未練たらしく縋りつく男とおんなじだ。
「分かりました。チャンスを一度だけあげましょう」
(え?)
もうダメかと思っていた雄一は耳を疑った。
「あなたの会社と今度うちが採用しようとしている会社とでコンペをしましょう。今回のリプレースの提案で、勝った方と今後お付き合いをさせていただきます」
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事務所を出た雄一は、ボロボロの外階段をギシギシ言わせながら降りて行く。
考えて見れば、物を大事にする府中屋だ。
昭和の物かと思うほど古い棚や机、鉄の羽の扇風機を使っている。
保守をさらに安く請け負ってくれる会社が出てくれば、それを選ぶのは当たり前の事だ。
いや、府中屋だけじゃない。
世界のどの企業も、同等のスペックなら安い方を選ぶ。
自分のことが笑えてくる。
いい気になってリプレースの案件を取るなど、おこがましいにもほどがあったのだ。
今までの付き合いがあるからと努力もせずに胡坐をかいていたのがいけなかった。
「有馬さん!」
階段を降り切ったところで声を掛けられ振り返る。
美穂が早足に階段を駆け下りて来る。
「新山さん」
「すいません。今日は......何と言っていいか......」
「いえ、あなたは悪くないですよ。ただ、私もちょっと甘かったですね。何もしないで契約がずっと続くと思ってたんですから。だけど、チャンスはもらえました。何としてもコンペで勝って見せます! そして来期もここで働く姿をあなたにお見せ出来るはずです!」
「有馬さん」
「はい?」
美穂は周囲を見渡すとこう言った。
「ここでは誰が聞いてるか分からないので、本当の事情については後日教えます」
「......わかりました」
実は何か別の事情があるのか。
であればそれが何なのかは知っておきたい。
「それはそうと、明日のライブ頑張ってくださいね。楽しみにしています」
美穂は顔を赤らめにっこりと笑った。
そんな彼女の顔を見て、雄一は胸がドキドキして顔が熱くなるのを感じた。
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「そうか......契約打ち切りか」
自社に戻り、先ほどのことを福島課長に報告した。
「ただし、競合になっている会社とサーバリプレース提案のコンペで勝つことが出来れば来期も契約更新してくれると言ってくれました」
「お前が先週作ってたあの提案書か......」
福島課長は腕を組み目をつぶって考え込んだ。
数秒後、目を開くとこう雄一に問い掛けた。
「その会社の名前は分かるか?」
「いえ......」
府中屋の案件で競合相手となった会社が何なのか?
それは目白部長には訊かなかった。
否、訊き出せる雰囲気ではなかったのだ。
だが、明日のコンペで分かるだろう。
「すまんが明日のコンペはお前一人で行って来てくれ。私はセントライトで打合せが入ってるんだ」
「ま......マジっすか? まだ提案書のプレゼン何てしたことが無いのに......」
「お前ももう三年目だろ? やってみろ」
普通の三年目がどれくらいのレベルなのか雄一には分からないが、周囲と比べていても仕方が無い。
福島課長が参加出来ないとなれば自分一人で何とかするしかない。
だが、不安からか無意識に桜子の方を見た。
「頑張ってね」
ディスプレイに向かったまま彼女はそう言った。
覗いてみると、Wordで社内報を作成していた。
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翌日--
府中屋の大会議室に通された雄一は目を瞠った。
コの字型の机に十数人の役員と思しき人間が座っている。
笠松部長とのざっくばらんな定例打合せとは明らかに異なる雰囲気だ。
空気が冷たく硬い。
緊張感で腹の底から不安が立ち上って来る。
「落ち着いてください」
入口で立ち尽くす雄一に、美穂が囁くように声を掛けてくれた。
担当者代表として参加している彼女は、入り口付近に座っていた。
椅子が足りないのか、どこかから持ってきたパイプ椅子に座っている。
美穂の言葉で人心地ついた雄一は挨拶を済ませると、一先ず着席した。
向かいには雄一と同じ年くらいの男が座っていた。
若干茶色く染めた短い髪、眉が細く目が二重でくっきりとしている。
顔は細面で、まあいわゆるイケメンってやつだ。
(こいつがコンペの相手か?)
その男の横に座っている目白部長が無表情でこう言った。
「じゃ、ステイヤーシステムさん、発表をお願いします」
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「......現行踏襲とすることで、期間や工数などのコストを抑えます」
昨晩、早く帰りたがる中山を相手にプレゼンの練習をしたせいもあってか、淀みなく話すことが出来た。
雄一は聴衆を見渡した。
だが、どの表情も興味が無いといった態だ。
(な......なんだ? このやる気のない雰囲気は?)
一人、美穂だけが熱心にメモを録っている。
雄一は続けた。
「データベースはORACLE9iからの11gにバージョンアップします。古いバージョンよりも、最新に近いバージョンの方が何かと情報が多いからです」
雄一は笠松部長を通して府中屋がケチな会社だということをよく理解していた。
だから現行踏襲でなるべくコストを掛けず、それでいて安心安全なシステムリプレースを心掛けて提案書を作った。
「......以上です」
プレゼンは終わった。
全てを出し切った雄一だが、一息ついている暇はない。
ここからが本番だ。
「質問いいかな?」
聴衆の一人が手を上げた。
「せっかく11gにバージョンアップするのに何で新機能を使わないの?」
「新機能を使うということは、その機能を使うための設計とテストの工数が掛かります。今回はコストを抑えることを前面にして提案させていただいております。新機能については運用しながら必要があれば導入して行く形を考えています」
「ふぅん。なんかもったいないね」
相手のことを考えて作った提案が、ものの見事に外れていた。
何でこうなったのか?
雄一自身もプレゼンしながら違和感を感じてはいた。
「バックアップから障害直前まで戻せるの?」
「復旧時間はどれ位を想定していますか?」
「他システムの連携はどう考えていますか?」
「全体的に遅いんですよ。パフォーマンスを改善お願いします」
「可用性についてはどう考えてますか? RACとか使わないんですか?」
「トランザクションデータについては過去13カ月分を保持出来ようにしてください」
「誰がどのデータを参照したか監査証跡として残せないかなあ」
次々と要望が上がって来た。
それはつまり雄一の提案に足りない部分があったからだ。
想定していない質問ばかりだ。
今の雄一の知識では、しどろもどろに答えることがやっとだった。
(ここに安田さんがいてくれれば......)
この不利な状況を一気にひっくり返すことが出来るかもしれない。
扉が勢いよく開かれて、彼女が現れるかもしれない。
そんな起こりえないことを期待するほど雄一は追い詰められていた。
「はい。じゃ、ここまでとしましょう」
時計を見ながら目白部長が言った。
つづく
コメント
コバヤシ
痛い目見ろ編から読み直してきました。
有馬しっかりしろ!と思っていましたが、本編は有馬くんがすごく大人に見えます。
がんばれー
VBA使い
相変わらず、追い詰められる感が出てますね。
湯二
コバヤシさん。
コメントありがとうございます。
あと、過去作から遡っていただきありがとうございます。
やっぱ、人に影響されて人って変わるもんなんですよね。
主人公が躓きながらも、頑張る話にしたいと思ってます。
湯二
VBA使いさん。
コメントありがとうございます。
なるべく、毎回追い詰められるようにしていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
匿名
毎回追い詰められるようにっていいですね笑
現実だったらイヤだけど、小説なので読みたいですね。
楽しみにしています。
湯二
匿名さん。
コメントありがとうございます。
小説なので、あの手この手で主人公を困らせ追い詰めようと思いますのでよろしくお願いいたします。