働いている世のエンジニアの手助けになることを願う独り言

疑念と心配症:ITエンジニア歴で染みついた「職業病」

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ITエンジニア歴が長くなってくると、どうしても「経験則」が強固に染みついてくるものです。皆さんも、一度は「これ、あとで痛い目に合うやつかも?」と感じたことがあるのではないでしょうか?しかし、若かりし頃の私は、その疑念を「ただの心配し過ぎだ」と無視してしまい、後々それが厄介な問題へと育ってしまう経験を何度もしました。その失敗を通して、気になる点を無視して進めるのは「地雷をそのまま埋めておくようなもの」だと悟ったのです。

1. 最初は小さな疑念にすぎなかった
新人の頃は、プロジェクト進行中に「ちょっと気になるけど、まあ大丈夫だろう」と放置した疑念が、後々、まるで「育ちすぎた不良息子」のように成長し、手に負えなくなるケースがたびたびありました。たとえば、あるプロジェクトでは、仕様書にちょっとした曖昧な表現があったんです。「ここ、曖昧だな。でも、きっと誰かが気づいて直すだろう」と流してしまったのが運の尽き。案の定、数か月後に「なぜこの仕様通りに動かないんだ」と炎上する事態に。あの時点で「曖昧さ」を解消しておけば、と心底後悔しました。

2. 疑念を見逃さなくなる瞬間
そんな経験を繰り返していくうちに、「疑念や気になる点は後々必ず自分に返ってくる」という教訓が身についていきました。エンジニアとしての歴が長くなると、「あれ?これちょっと怪しいかも?」と感じる能力が妙に敏感になるものです。気づけば、プロジェクトの最初から最後まで、微に入り細を穿ち、問題が起こりそうな箇所は片っ端から潰していく自分がそこにいるのです。もう完全に職業病ですね。

3. 仕事以外でも発動してしまう「エンジニア病」
この職業病は、仕事以外でも影響を及ぼします。例えば、旅行の計画を立てるときでも「本当にこのルートで時間通りに行けるのか?」「荷物が多いときの動線は?」「一番早く空港を出られるルートは?」と、ついつい心配の種を探し出してしまいます。友人や家族には「なんでそんなことまで気にするの?」と不思議がられ、時には「心配症だな」と言われることも。まあ、それはその通りなのですが、私にとっては「心配症」ではなく、むしろ「予防策」。それを理解してもらうのはなかなか難しいのです。

4. 職業病から抜け出せないことを笑う
でも、そんな「細かいところを気にする性格」も、今や私の個性の一部。これが仕事ではなく、趣味や日常生活でも発揮されるから面白いものです。たとえば、家で使う家電を選ぶときも、「これがどれだけ長持ちするか」「メンテナンスが楽かどうか」「将来的にパーツの交換が可能か」など、まるでプロジェクトの初期フェーズでリスク管理をしているように深く考えてしまいます。何事も完璧に準備しなければ気が済まないなんて、自分でも笑っちゃう時がありますね。

5. 職業病も性格の一部だと受け入れる
エンジニア歴が長くなると、この「心配症」や「疑念を解消せずにはいられない性格」も自分の一部だと割り切っています。でも、それでいいんです。何事も疑念はその場で解消したい。この職業病のおかげで、大きなトラブルを避けられたケースも数えきれませんから。

結論
確かにエンジニアとしての「職業病」は、周りから見ると少し「神経質」や「心配症」に見えるかもしれません。しかし、これが私たちの誇るべきスキルであり、経験の賜物なのです。たとえ笑われても、これはエンジニアとしての本能です。疑念を持ちながら進むくらいなら、その場で解消し、後に安心して振り返る方がずっといい。そうやって今日も、「気づいた疑念」は見逃さず、エンジニア道を突き進んでいます。

どこかで、エンジニアの価値を少しでもベースアップする手助けが出来てれば幸いです。

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