Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

お持ち帰り残業

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2006年11月号)をお求めください。もっと面白いはずです。なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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 かつて「ふろしき残業」というものがあったらしい。書類をふろしきに包んで自宅に持ち帰るからだという。今は多くの書類が電子化されているため、持ち帰り残業はもっと手軽になった。先月に続いて、IT業界の労働習慣について考えてみたい。

 以前、「公私混同」という話をした。時代もその方向に進んでいるようだ。たとえば「社員ブログ」。対外的には「社員による個人的なブログ」という位置づけだが、実際には明らかにマーケティングあるいは宣伝活動の一環である。主観を交えた記述をしたり、企業活動とは直接関係ない内容を書くことで「個人」を強調する。読者がブログの作者に親近感を抱いてくれれば戦略の半分は成功である。次のステップは「広告よりも友人の情報を信用する」という性質を利用して、売り上げに貢献することだ。

 社員ブログを書いている時間は勤務時間なのだろうか。労働法上は勤務時間と言えるだろう。会社の方針に基づいて遂行される業務だからだ。しかし、実際の社員ブログでは、業務とは全く関係ないことを書く場合も多い。「親近感を抱かせる」という大きな目的を遂行するためだが、そのために残業代を支払うのは変だと思う人も多いだろう。

 「勤務時間にのみ給与が発生する」という概念を捨て「公私は密接に結びついていて、明確には分離できないグレーゾーンがある」ということを認めれば、給与体系の問題は残るものの、倫理的な問題は解決する。筆者の会社でも社員ブログを始めたので、暇ならのぞいてみて欲しい(諸般の事情でブログとしての使い勝手はかなり悪い)。もちろん個人的なものである(ということにしておく)。

 社会全体として見ると、公私混同は必ずしも歓迎されていないようだ。2006年8月15日付朝日新聞朝刊(東京本社版)によると「メール残業」の広がりが懸念されているという。

 「メール残業」は「添付ファイル残業」とも呼ばれ、個人用メールアドレスに会社の書類を送り、自宅で会社の仕事を続けることを指す。自宅から会社のメールを読み書きするのも「メール残業」だ。私用メールアドレスあるいは私用PCで、私用時間に仕事をするのは公私混同だといえる。

 朝日新聞は、メール残業に否定的だ。しかし、筆者は「メール残業」のすべてが悪いとは思わない。確かに無理な長時間労働を強いられる側面はある。知らず知らずのうちに過労に追い込まれることもあるだろう。過労状態に家族ですら気付かないということもあるかもしれない。だから、メール残業の強制には筆者も反対である。だが、公私混同と過労とは別の問題だ。

 メール残業には利点も多い。筆者は、夜(なるべく)早めに帰り、食事をしてから会社のメールを読む。簡単なものにはその場で返事をするが、通常は仕事の優先順位を付けるだけに留める。翌日は、優先順位にしたがって仕事を片付ける。電子メールが普及してから「必要だけど優先順位は低い」という連絡事項が増えた。こういうものを前夜に片付けておくことができれば、仕事が楽になる。

 自営業をしていた筆者の父の勤務時間は9時から12時、14時から18時、そして21時から23時だった(ただし、日によって、また季節によってかなりばらつきはある)。高校野球のシーズンと大相撲の時期は生産性が30%程度(筆者推定)低下していたようである。

 会社勤めをしている筆者も、気が付くと似たようなパターンになってきた。高校野球も大相撲も見ないが、ドラマは時々見る。昼休みは2時間も取らないし、夕方仕事を切り上げるのももう少し遅い。しかし、だいたい似たような傾向である。

 ところで、この朝日新聞の記事、よく読むと突っ込みどころ満載である。だいたい朝日新聞は昔からハイテクに対して冷淡である。言いがかりのような反論も多い。そのあたりを突っ込みながら読むのが筆者の楽しみでもある(*1)。今回も突っ込んでみよう。

 まず、本記事の中心となる「メール残業」については「広がりへの懸念が、労働相談の現場で増している」とある。増しているのは「懸念」であって、実際に「メール残業」が広がっているわけではないようだ。また、記事には「日本労働弁護団が6月に1日だけ実施した『残業・労働トラブルホットライン』にこんな相談が寄せられた」とある。たった1日のイベントである。十分な告知はあったのだろうか。

 しかも「相談総数419件のうち、99件が長時間労働について」ということで、その割合は4分の1以下である。他にどのような相談があったか分からないので、多いか少ないかは判断できない。その他の内容がどれも5%以下だというなら多いだろうが、70%を超える内容があるなら多いとはいえない。

 さらに、弁護士の話として「添付ファイル残業の悩み相談が、ここ3~4年で目立ち始めた」とある。「目立っている」ではないし、「急増している」でもない。これでは多いのかも増えているのかも分からない。

 記事にはもう1つ「休日も携帯電話で心理的に拘束される」ことが問題視されている。しかし、これはメール残業とは無関係である。40代システムエンジニアの妻の話として「夫は、休日も自宅で仕事。寝る時も携帯電話を近くに置き、システムトラブルが起きないか、と常に心臓がドキドキしている」とある。

 だが、携帯電話がなければ出社することになるだろう。むしろ、携帯電話によって条件が良くなっているのではないか。本来なら交代制のところが、携帯電話によって1人で対処しなければならなくなったのだろうか。だとしたら確かに大変だが、記事からはそういう背景が読み取れない。

 メール残業により、会社が従業員の労働時間を把握できなくなることは問題だと思う。従業員が、過労状態に気付きにくくなることも問題だと思う。しかし、最初から従業員の労働時間を適切に管理していない会社も多い。

 IT系ではないが、かつて過労で倒れた友人は「自己管理ができていない」と叱られた。本来なら、労働組合が適切な監視を行うべきだろが、組合が柔軟性に欠けるのは先月書いたとおりである。契約社員に至っては、ほとんどの場合組合員ではないため、はじめから無視されている。

 日本労働組合総連合会(連合)では、パートタイマー社員や派遣社員、契約社員も組合員として組織化すべきだと主張しているが、現実には難しいようだ。現在の正社員の地位は、非正社員の犠牲の上に成り立っている企業が多いからではないかと筆者は想像している。

 労使なれ合いの企業内組合が非正社員を取り込むのはおそらく無理だろう。偽装派遣の問題も、本来なら労働組合が先に指摘すべきだったはずだ。

 労働組合は、産業革命後の労働条件の向上には大きく寄与したことは認める。昔は週72時間を超える勤務が当然だったが、段階的に労働時間が制限され、現在、多くの国で週40時間労働となっている。こうした流れに労働組合が大きな力を果たしたことは間違いない。

 しかし、機械の稼働時間を短縮すれば、労働時間もほぼ自動的に短縮される工場労働者と異なり、ホワイトカラーの労働はそう簡単ではない。そのため、米国ではホワイトカラーの労働時間には制限を設けていない(*2)。日本でも、ホワイトカラーについての法規制は順次緩和されている。法規制の緩和は、労働者自身が望んだことでもあるので、その傾向は変わらないだろう。規制緩和というのは「自由にやっていい代わりに、自分で責任を取ってね」という意味だ。

 日本IBMは、先進的なワークスタイルを提案・実践する会社として知られている。同社の堀田一芙常務取締役は、月曜日は自宅で仕事をするようにしているという(*3)。そして「これは(仕事する時間と生活の時間の区別があいまいな)“公私混同型”のワークスタイルだ」と言う。IBM社員もこうしたワークスタイルを実践できる。ただし、それには「社員のモラルと責任感が要求される」としている(堀田常務)。

 実際のところ、個人ブログで企業情報を流出させないといったモラルの問題や、納期に影響するほど仕事中に遊んでいるといった責任感の問題はそれほど深刻にはならないと筆者は予想する。

 ホワイトカラーの多くは「プロフェッショナル」と呼ばれる存在だ。そして、そもそもプロフェッショナルは、高いモラルと強い責任感を持つ人だ。むしろ、問題になるのは、公私が混同された中で、いかに過労を防ぐかだろう。いわゆる「ワークライフバランス」である。

 同じ量だけ仕事をしても、過労になるかどうかは個人差がある。公私が混同されているので、労働時間は過労の目安にはならない。さてどうしたらよいだろう。筆者が心がけているのは実に簡単なことである。

 疲れたら休む。

(*1)朝日新聞といえば、日経新聞とともに世界で初めて新聞電子組版システムを実現した会社である。電子組版により失業したであろう文選工(活版に必要な活字を用意する職人)の失業問題はどのように報道したのだろうか。

(*2)ビジネス・レーバー・トレンド研究会「ホワイトカラー・エグゼンプションについて考える― 米国の労働時間法制の理念と現実 ―」(島田陽一・早稲田大学法学学術院教授)

(*3) 2002年7月18日WIRELESS JAPAN 2002講演より

■□■Web版のためのあとがき■□■

 本文で紹介した朝日新聞の記事は、連載当時Webで公開されていたのだが今は読めない。残念である。

 読者からは「疲れたら休む」というのは、実は極めて難しいことだと指摘された。過労の中には知らず知らずのうちに過労になっていて、倒れて初めて気付くということもあるようだ。「公私混同」のライフスタイルを実践できる人も少数派だという指摘もいただいた。

 確かに、よほど強い意志がないと単に遊んでしまって1日が終わるかもしれない。逆に、つい働きすぎて身体を壊すということもあるようだ。

 そう考えると、入社2年目くらいまでは、時間で働く習慣を付けた方がいいかもしれない。1年目は人について仕事ができることを目標にし、2年目は1人で仕事ができることを目標にする。公私混同で成果を出すのはそのあとだ。もちろん、人によっては1年目に1人で仕事をこなせるようになるかもしれない。そうしたら、公私混同は解禁だ。

 ただし、公私混同が、逆に過労を生む可能性も知っておいてほしい。特に、責任ある仕事をしている人ほどこうした傾向が強い。それは、ひとえに仕事が面白くなるからだ。言われた仕事をするより、自分から仕事をした方が楽しい。責任が重くなればなるほど、自分から仕事を進められる機会が増える。

 「過労」というと「働かされすぎた」というイメージが強い。しかし、中には自分から働いている人もいる。本当に恐いのはこっちである。自分の限界に気がつかなくなるからだ。仕事(work)と生活(life)を混在させつつ、両者のバランスを取りながら、メリハリを付けて働けるようになったら一人前である。IT業界で働く米国人は1つのモデルだろう。彼(彼女)らは、追い込みに入ると本当に寝食を忘れて働く。しかし、休むときはしっかり休む。そして周囲もそれを認めている。

 日本の企業では難しいかもしれないが、周囲との調和を取りながらぜひ試みて欲しい。この時、自分だけではなく、同僚も休めるように考えて欲しい。そうでなければ、結局、自分が気楽に休めなくなる。日頃から、同僚の仕事の一部をカバーできるようになっておくのが理想だ。お互いのカバー範囲が増えれば長期休暇も取りやすい。そうすれば、自営業では得られない、会社勤めのメリットが生かせる。フリーのエンジニアや独立起業した人にはない特典である。

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